2017-10

「館長雇止め・バックラッシュ裁判」で、原告の主張の正当性が全面的に明らかに──原告最終準備書面──

 バックラッシュ勢力に屈した豊中市らによって「とよなか男女共同参画推進センター・すてっぷ」館長(非常勤)の三井マリ子さんが雇止めされたことを訴えた「館長雇止め・バックラッシュ裁判」が6月6日結審しました。
 この日、この裁判を支援する「ファイトバックの会」は、結審にあたっての「声明」を出しました。

 原告側弁護団からは、この日、「最終準備書面」が出されました。
 最終準備書面は、原告側の主張の総まとめの文書です。
 この書面では、これまでに出された多数の証拠や証言にもとづいて、原告側の主張の正当性が何重にも立証されています(その証拠・証言には、被告側のものも多く含まれています)。
 また、私はこの最終準備書面によって、今回の三井さんの「すてっぷ」雇止め事件の隠されていた全貌がほぼ明らかになったと感じました。その全貌は、「どす黒い陰謀」という形容がぴったり来るものです。

 私はすでに、最終準備書面の「第6 組織体制の変更に名を借りた原告排除」については、私のサイト内にに次の記事を書いています。
 「明らかにされた豊中市の陰謀」

 今回は、この書面全体の要約を書いてみました(ただし、細かな節の番号などは対応していません)。わかりやすいように、被告側の主張はオレンジ色で示してみました。文中の敬称は、略させていただくことに統一しています。
 詳しくは、ぜひ最終準備書面の原文(PDFファイル)をご覧ください。

 なお、判決は9月12日(水)です。
 また、6月末ごろまでに「公正な判決を求めるハガキを出しましょう!」というアクションが提起されています。ぜひご協力ください。

 <目次>
第1 原告と被告財団の雇用契約
第2 館長としての実績
第3 地方自治行政の通常のあり方からは到底考えられない組織体制の変更
第4 原告排除の真のねらい──バックラッシュ──
第5 もうひとつの狙い
第6 組織体制の変更に名を借りた原告排除
第7 被告豊中市の責任
第8 原告の蒙った損害

第1 原告と被告財団の雇用契約
 被告らは、「原告との雇用契約は期間満了により当然に終了した」という。
 しかし、第1に、最高裁の判例においても、たとえ期間が定められている契約であっても、当然更新さるべき労働契約であって、期間の満了ごとに当然更新を重ねて「あたかも期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で存在している」場合(東芝臨時工判決)や(「実質的に異ならない」とまでは言えなくとも)「雇用関係のある程度の継続が期待されている」場合(日立メディコ判決)は、解雇制限法理が適用されるべきであるという点は確立している。
 第2に、原告の募集・採用手続きは、全国公募がなされ、また第一次論文選考と第二次面接選考があり、けっして簡易なものではなかった。これは、最高裁が有期雇用の場合と終身雇用の本工を解雇する場合との合理的差異を認めた日立メディコ事件のケースとは異なる。
 原告の募集・採用手続きより、むしろ原告の後任の常勤館長の採用時の手続きの方が、論文選考もなく、ずっと簡易である。
 また、原告が応募した館長募集要項は、応募資格として「男女共同参画社会の実現についての活動の実績や行動力、情熱」を求めており、被告らが主張するように「設立時から立ち上げ段階の一時的なもの」「看板」「動く広告塔」としての館長を募集したのではない。
 第3に、原告と被告財団間の雇用契約は、当然更新を前提としていた。なぜなら、○更新手続きは、毎年更新前に、豊中市の人権文化部長が「来年も続けていただけるでしょうか」と言うだけだった。○助役も「少なくとも4年は頑張って下さい」と言っていた。○被告財団においては他に雇い止めの前例がない。○被告財団自身が、「一年ごと」というのは「採用形式」にすぎないことを認識していた、など。
 第4に、被告らは「非常勤館長職は一時的なものだった」と主張するが、館長職は寄付行為(財団法人の根本規則)の変更をしなければ廃止できない職である。また、「事務局組織・事務分掌規則」によると、館長職の職務内容は、館長常勤化以降も変更がない。
 第5に、「ジェンダー問題の解決」というすてっぷの基本理念は、短期に実現できるようなことではない。また、それにふさわしい人材として原告は採用されている。
 第6に、実際、すてっぷ館長は「設立時から立ち上げ段階の一時的なもの」だと考えられていたことは一度もない。
 第7に、次の「第2 館長としての実績」で見るような原告の館長としての実際の仕事ぶりからも、すてっぷ館長は「設立時から立ち上げ段階の一時的なもの」ではなく、単なる「象徴」や「看板」でもないと言える。
 第8に、他の女性センターの館長も45%が非常勤であり、非常勤館長だからといって「設立時から立ち上げ段階の一時的なもの」だとは言えない。

第2 館長としての実績
 原告は、館長として以下のようなすぐれた実績を上げてきた。①すてっぷ出前講座、②ジェンダー問題講座、③講座「世界のフェミニズム」、④英語でエンパワーメント、⑤「北欧の風をあなたに」、⑥スカンジナビア政府観光局との共催セミナー、⑦ノルウェー初の女性の党首の講演、男女平等オンブッド講演、⑧学校や企業とのタイアップ、⑨女性議員との懇話会、市民との協力、⑩ポスター展、⑪映画「ダナーとその娘たち」
 上記の各種事業は、その性質上も、実際上も、2004年以降も継続的に行われていくことが予定されていた。こうした業務の内容からも、原告の雇用契約は当然更新されることが合意されていたと言える。
 このような原告の上記活動は、けっして「設立から立ち上げ段階の一時的なもの」ではない。
 また、被告らは「職員の指揮監督という常勤館長の職務内容については、原告には実績がない」と主張するが、もともとその点は職務内容とはされていなかったし、原告が館長として上のような企画を遂行するためには、指揮監督力が必要だった。

第3 地方自治行政の通常のあり方からは到底考えられない組織体制の変更
 (1)被告らは「2004年に『すてっぷ』の組織体制の変更をする必要があった」と主張していくつかの理由を挙げている。
 しかし、被告側の挙げている理由は、すべて理由にはならない。
 (2)この時期は、「指定管理者制度の導入」という大きな変化を前にした時期であった。こうした時期は、かりに組織体制を動かしたとしても、柔軟に対応できるようにしておくのが通常である。すなわち、雇用関係を解消しやすい(と被告らが言っている)非常勤館長のままにしておくはずである。
 ところが、豊中市は、非常勤館長廃止による原告排除をおこなった。このことは、被告らには特別の事情があったことを示している。
 (3)本件の職員体制の変更は、財政当局との予算額の折衝(これは11月以降におこなわれる)抜きに行われている。こうしたことは通常ではありえないし、豊中市の財務規則に違反している。
 じつは、豊中市の本郷人権文化部長は、財団の補助金についての予算案を議会に提出する際に「どなたが館長か、市長が了解していない方だと、今後の議会運営からも色々問題が出る」と言っており、実際、10月20日に市長に次の館長の候補者リストを見せて、「それで当たれ」という了承のもとで候補者に打診をおこなっている。こうした市長の了解があったからこそ、通常ではないやり方ができたのだ。
 (4)今回の組織・職員体制の変更は、組織体制の強化にもなっていない。この点は常勤館長の職にあった桂館長自身が証言した。すなわち、常勤館長には、予算も職員もつかないために男女共同参画の仕事ができない仕組みになっているのである。

第4 原告排除の真のねらい──バックラッシュ──
 被告らによる原告排除は、バックラッシュ勢力の攻撃に被告らが屈服した結果である。
 (1)豊中市におけるバックラッシュ攻撃は、市長が男女共同参画推進条例制定の意向を示した直後の2002年7月頃から、条例制定が決定された2003年10月頃までに集中している。
 (2)被告らは裁判では、バックラッシュ攻撃について、「市民のさまざまな意見や考え方があったから、根気強く説明し、理解を求める」対象だったと述べている。
 しかし、被告らもかつては、バックラッシュ勢力について、「単なる市民ではない」とか「完全な右翼の活動」だとか認識していたのである。被告らがバックラッシュ勢力に屈したからこそ、認識がこのように変わったのである。「根気強く説明し、理解を求めた」結果として条例が可決されたのではないことは、後で述べるような北川議員の行動を見てもわかる。
 (3)豊中市は、2003年3月議会に男女共同参画推進条例の条例案を上程することを予定してしたが、それを断念した。この点について、被告側は「準備不足だったからだ」と言う。
 しかし、事実はそうではない。当時は、豊中市側も「バックラッシュの力が大きかった」からだと言っていた。
 (4)豊中市のトップは、バックラッシュ勢力と条例案に賛成することの見返りに原告の首を切るという密約を交わしていた(5月下旬と推測される)。
 この点は、条例案上程前にバックラッシュ勢力と余裕の記念撮影をおこなっていたことからもうかがえる。
 この点はまた、密約成立後の6月ごろからは、豊中市の態度が変わっていることからもわかる。具体的に言えば、○6月には、豊中市は、「男女共同参画社会をつくる連絡会」の行動を抑えるように言うようになった。○財団の山本事務局長は、6月を最後に同連絡会のメーリングリストへの投稿を中止した。○「三井は専業主婦はIQが低いと言った」という根も葉もない噂も放置した。
 また、男女共同参画推進条例が上程された9月議会では、バックラッシュ派の北川議員らは、総務委員会でも本会議でも反対意見を述べたのに、採決の時はいずれも賛成するという不可解な行動をした。本郷部長は「議員個人が反対でも、会派として賛成ならば、賛成に回る場合もある」と言うが、強固に反対する北川議員などの場合は、採決時に退席するほうが一般的である。
 そして男女共同参画推進条例が可決された後は、北川議員は、人けのない夜の市役所でテーブルをバーンと強打して行政職員を叱りとばすなど、行政対暴力にまで及んでいる。しかるに、豊中市はその恫喝事件に対して、原告に関係者へのおわび行脚をせよという始末だったし、始末書を書くことも求めた。
 こうした行為は、バックラッシュ勢力は、密約の履行を迫るためにだめ押しをしたということであり、被告らのほうは、バックラッシュ勢力に屈したために、原告排除の口実をさがして原告を追い詰めようとしたことを示している。

第5 もうひとつの狙い
 原告を館長から排しようとしたことについて、被告らにはもうひとつの狙いがあった。すなわち、被告らは、財団の非正規職員らを正規職員化させないために、就業規則を改めて雇用に更新回数に上限を設けてその雇止めをはかろうとしていた。
 けれども原告が館長職に在職していれば、これに反対する恐れが大きいと思われたので、原告を館長職から排除しようとしたのである。

第6 組織体制の変更に名を借りた原告排除
1 組織体制変更の経過について
 (略)
2 密約の実行策としての組織変更案
 被告らは、「すてっぷ」の組織強化のために組織変更をおこない、その結果原告の雇い止めをおこなわざるをえなかったと主張する。そしてこの組織変更は、2002年頃から、山本事務局長が中長期的ビジョンの必要性から作成した第1次山本試案、第2次試案の延長線上で、乙8号証の組織変更案を作成しておこなったものだと主張する。
 しかし、被告らがおこなった組織変更は、バックラッシュ勢力との密約実行のために作成された第2次試案と乙8を使って、組織変更の形を借りて原告排除をおこなったにすぎない。この組織変更案は、財政上のメリットもなく、組織強化にもなっていない。
 (1)2002年7月に作成された第1次山本試案は、中長期的なビジョンのための課題提起で、2004年における事務局長プロパー化は全く想定外であった。
 (2)第2次山本試案は、館長職について、非常勤嘱託から常勤プロパー化することを「決定」している。被告らは、それを6月9日の事務局運営会議に提出して検討したと主張するが、議案書にも記載はなく、当日議論された形跡はない。これは、被告らが首切り準備のために、「将来常勤化になる」というものを原告にも見せたというアリバイ作りを目的にしたものであり、この試案は、実は山本氏が5月25日に密かに豊中市と協議して作成したものである。また、第2次試案は複数存在するが、被告らは、都合の悪い部分はずっと隠し続けている。
 (3)2003年10月に作成された乙8では、「非常勤館長職廃止」による「現館長(=原告)」排除と、事務局長のプロパー化が明確にされている。
 (4)実際にどうなったかというと、寄付行為の変更を避けるために形のうえでは館長常勤化になった。しかし、桂館長は、管理運営の仕事しかさせてもらえなかったのであり、実態的には、「事務局長プロパー化」という乙8で述べられたとおりになった。
 (5)手続きの異常性
 ア 密かに取られた手続き 乙8の組織変更案は、本郷部長の指示で、武井男女共同参画推進課長と「すてっぷ」の山本事務局長(市からの派遣職員)が2人で決定したものである。この2人は、8月以降、非公式な協議を秘密裏に頻繁におこなって、原告の首切り策やその場合の職員配置について策を練り、10月10日ごろ、部長の了解を取って決定したという。協議の場所も、財団の建物はいっさい使っていない。
 すなわち、密約の実行策としての組織変更の形をとったがゆえに、その策定・決定の手続きの過程でも、絶対の秘密を保持しなければならなかったのである。
 イ 被告財団を無視して進められた また、財団では山本事務局長以外は誰も知らずに方向性が決定された。財団の評議員会や理事会にも諮られることなく、また、財団の理事長より先に市長が了承した(10月20日)。財団の理事長も、表に出せないことを知っていたからこそ、評議員会や理事会に諮らずに単独で了承した(10月30日)。
 ウ 秘密主義と周到性 被告らは、職員からも事態が漏れることを恐れて、極秘に事をすすめており、被告らの秘密主義・周到さは異常である。山本事務局長は、6月9日に第2次試案の一部を資料として出した以外は、毎月の運営会議、全体会議などの部内協議を一切していない。その一方で非公式に頻繁な協議をこっそりおこなって決定をし、後任探しなどをしたのである。
 (6)組織体制強化にならない組織変更案の実施
 財団が実際に実施した組織変更案は、新館長に男女共同参画の仕事を分担させるシステムとはなっておらず、組織強化ではない。
 豊中市との密約によってバックラッシュ勢力は、男女共同参画推進条例の通過という「名」と引き換えに、原告の解雇と組織体制の変更による「すてっぷ」の弱体化という「実」を手に入れたのである。

3.原告排除の意図に支配された組織体制の変更と不公正な選考過程
(1)原告排除の意図に支配された組織体制の変更の経過
 乙8案の組織変更案作成以降の経過からも、財団の組織変更が原告排除のためにおこなわれたものであることは明らかである。
 ○原告に対する情報からの徹底した排除
 このかん、原告は情報から徹底して排除されてきた。豊中市は、11月8日になるまで組織変更について原告になにも知らせておらず──本郷氏らは、すでに10月20日に市長から「それで当たれ」という了承を得て、事務局長の候補者に対する打診を始めているにもかかわらず──、また、この時も口頭で伝えただけで、乙8などは示していないし、「館長と事務局長を一本化する」とだけ伝えて、事務局長一本化案であることを明示していない。だから原告は「館長常勤化」と理解したし、「すてっぷ」の理事長や副理事長も同じように理解していた。しかも、このとき、山本事務局長は「(常勤館長は)第一義的には三井さんです」とまで言っていた。
 原告にようやく「事務局長に一本化して、館長を廃止する」と伝えたのは、豊中市が桂に事務局長就任の受諾を決意させた後の12月19日のことである。この時も、口頭で伝えたにすぎない。
 しかも、その案が2004年1月に「常勤館長に一本化する」と変更されたことやそれを正式決定する臨時理事会の開催日(2004年2月1日)は隠していた。原告がそれを知ったのは、自分から要求したからにすぎない(この点については宮地光子弁護士も、結審の日の交流会で「もしも三井さんがそのことを知らないままだったら、常勤館長に立候補もできず、こうして裁判を起こすこともできなかったかもしれませんよ!」と怒りを込めて述べておられました)。
 このように、原告に対して正確に情報を伝えないことは、原告が自らの身を守るためにしかるべき行動に出ることを妨げ、原告を排除する狙いがあったと考えられる。
 ○原告に対する裏切りを自認する山本事務局長
 財団の事務局長という原告が最も信頼を置かなければならないはずの職員である山本事務局長は、原告に問い詰められた際、原告に「うそを言った」こと、「裏切った」ことを認めた。このような事態は異常である。ここからも、原告の排除を至上命令とする外からの圧力(密約の存在)がうかがわれる。
 ○桂に対する事実上の採用決定
 財団は、桂を「新館長」と事実上決定したことはないと主張している。
 しかし、桂証人尋問その他の証拠から、豊中市は、桂に「三井さんは了解されている」「桂さんしかいない」と言うなど、情報を操作して桂に常勤館長への就任を決意させ、事実上の採用決定をおこっていたことが明らかになっている。桂は「候補」であるという言葉を全く聞いておらず、「選考」があるということも認識していない。まさに桂にとって、面接を受ける以前に採用は決定していたのである。
 このような桂に対する事実上の採用決定は、原告に対する排除と表裏の関係にある。そして被告豊中市が、情報操作までして事実上の採用決定をしたのは、原告を排除することに組織体制変更の目的が存在したからである。

(2)原告排除の意図に支配された不公正な選考経過
 財団は、選考過程は公正だったと主張している。しかし──
 ○財団職員採用要綱では、筆記試験と面接を要求しているのに、筆記試験をおこなっていない。要綱に違反してまで、より客観的な判定方法である筆記試験を行わなかったのは、不公正さのあらわれである。
 ○本郷が選考委員の一人であること自体で、選考委員会は不公正である。本郷は、2004年2月9日の時点で、なお桂に「あなたしかない」と言い切った人物である。本郷は、1月に選考委員会が設置されると決まったとき、「もしも桂が不合格になるようなら、辞表を出して済む問題やないというふうに、私は覚悟を決めました」と述べている。もしそれが本当ならば、2月9日に桂が常勤館長に就任することを保留にするとすると自ら言い出した時に、その翻意を受け入れていれば責任問題に発展することはない。ところが、なお本郷が桂に「あなたしかしない」と言って桂の翻意を防いだのは、選考委員会の結論を左右することなど本郷にとっては容易だったことを示している(この点についての宮地弁護士の解説)。
 実際、以下のような事情を考慮すると、選考委員会の結論を左右することは本郷にとって容易であった。
 1.選考委員を決定したのも山本・本郷らである。その結果、決定された選考委員5名のうち、1名は本郷自身であるほか、1名は原告に反感を持っていた人物、1名は今回の裁判で被告らを擁護するために合理性を欠く書面を出してきた人物、残りの2名は、2月1日の理事会に欠席したのみならず、2002年以降に一度も理事会に出たことがない理事であり、「すてっぷ」の問題を自らの意思で主体的に判断する姿勢が乏しい人物と考えられる。
 2.1月には山本と武井は、各理事を訪問して、インターネット上の「豊中市に抗議の要請」という情報に対して弁明をおこなっており、各理事らにあらかじめ被告らの立場を説明することによって原告に先入観を持たせていた。
 3.面接後の意見交換の場で、影響力を行使しうる。
 ○また、桂が原告よりも常勤館長にふさわしいとする合理的な理由は見当たらない
 1.原告が館長として在籍した実績については、理事会の資料でも高く評価されている。
 2.被告らは、常勤館長の候補者から原告を外した理由を、原告は常勤が無理だからということに求めていたが、原告は、常勤館長への就任を希望するという意思表示をすでにしていた。
 3.選考委員会の合否の判断の過程も、原告より桂が常勤館長にふさわしいという結論を導き出せるものではない。たとえば被告財団は「桂が地域密着型の取り組みを考えている」と評価しているが、桂に男女共同参画の仕事をさせたのは最初の2カ月だけである。

第7 被告豊中市の責任
1 すてっぷの人事を掌握する被告豊中市
 すてっぷを管理運営する被告財団は、形式上は豊中市とは別法人である。しかし、すてっぷの人事は、予算を握る豊中市が全面的に掌握しており、財団人事の最高責任者は市長であった。この点は、財団の高橋理事長の証言からもわかる。
2 原告排除にあたって、被告豊中市が果たした役割
 原告排除にあたって中心的役割を果たしたのは豊中市である。また、組織変更案作成も、候補者の選任も、候補者への打診も、形式的な選考手続きも、豊中市が主導した。

第8 原告の蒙った損害
 原告は館長として多様で水準の高い実績を上げた。しかるに、被告豊中市と被告財団はバックラッシュ勢力に屈して原告の雇止めと採用拒否をおこなった。
 原告の被った精神的苦痛は筆舌に尽くしがたく、慰謝料は1000万円をくだるものではない。弁護士費用200万円との合計1200万円の支払い義務は免れない。
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