2017-05

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「館長雇止め・バックラッシュ裁判」まもなく結審――桂館長証人尋問とその後

 このブログでたびたびお伝えしている、「館長雇止め・バックラッシュ裁判」(大阪府豊中市の男女共同参画推進センター「すてっぷ」の館長だった三井マリ子さんが、バックラッシュ勢力の圧力に屈した豊中市によって2004年3月に雇い止めされたことを訴えた裁判。|事件の概要|この裁判を支援する「ファイトバックの会」のHP)ですが、さる2月21日、桂容子現館長の証人尋問がおこなわれました。

 被告(豊中市と「すてっぷ」財団)側は「2004年2月、三井さんと桂さんに対して公正な試験をおこなった結果、新館長として桂さんを決定した」と主張していました。
 それに対して、原告(三井さん)側は「面接が実施されるまでもなく、桂さんが新館長に選任されることはとっくに決まっていた」と主張していました。さらに、「その点は、桂さんに対する館長就任要請の説得活動などの実態を明らかにすることによって証明できる」とも主張してきました。
 裁判長も、桂さんの証人尋問の必要性を認めたため、桂さんに対する証人尋問がおこなわれることが、昨年、決まりました。
 それだけに、この日の桂さんの証言は注目されました。

 ただし、桂さんは「原告側の証人」として法廷に立ったわけではありません。それどころか、被告側の「すてっぷ」財団の職員という立場にありました。
 しかし、私は、にもかかわらず、彼女の証言によって、原告の三井さん側の主張の正しさはいっそう裏付けれらたように思いました。

〈目次〉
1.桂さんを何と言って説得したか?
2.一村市議の「陳述書」について
3.採用選考委員会は公正だったか?
4.三井さんを排除した組織変更は「体制強化」になったか?
5.桂証言全体として言えること
6.桂館長辞任――その意味するもの
7.バックラッシュ派の北川悟司氏が落選
8.結審は6月6日(水)

1.桂さんを何と言って説得したか?

 桂さんは、2003年12月初め、豊中市の人権文化部の本郷部長から、新しい館長(当時は事務局長をトップにする予定だったので、正確に言えば事務局長)に就任するよう要請されました。
 桂さんは、この日の証言で、就任を要請された際に、桂さんが「三井さんは辞めることを了解されているのですか?」と尋ねたところ、本郷部長は「三井さんは了解されている」と答えたと述べました。
 さらに、原告側の島尾弁護士が桂さんに、「もし三井さんが辞めないと言ったら、どうされましたか?」と聞くと、桂さんは「それだったら話にならない。就任の打診を受け入れる可能性はなかった」と答えました。
 しかし、三井さんは、館長として勤務を継続するか否かについて、一度も豊中市当局から意向を確認されていないのです。新館長の就任要請の活動も、三井さんに隠れてなされていました。
 すなわち、豊中市は、桂さんに「三井さんは辞めることを了解している」と嘘を言うことによって、桂さんに館長への就任を了解させたのです。そのことが明確になりました。

 桂さんは、12月16日、豊中市役所に出向いて館長就任を受諾する返事をします。
 その際に館長の内定の約束をもらったか否かについて島尾弁護士が質問すると、桂さんは「内定」という言葉にすら違和感を示され、「『来てもらえますか?』『わかりました』ということであり、内定よりもっと強い」と答えました。
 しかし、その前日の15日、三井さんは館長としての雇用継続の意志があることを本郷部長らに訴えていたのです。
 すなわち、面接試験のはるか以前の前年12月に、豊中市は、三井さんの雇用継続の意志を無視して、新館長を桂さんにすると完全に決定していたことが明確になりました。

 桂さんがそれまで勤務していた寝屋川市も、ただちに桂さんを辞めさせることを決め、桂さんの後任を募集しました。桂さんは、退路を断たれてしまいました。

 豊中市では、バックラッシュ勢力に圧力に屈した豊中市によって三井館長が排斥されそうなことを察した市民の皆さんが、それに反対する運動を起こします。
 翌年になると、桂さんのところにも、豊中市ではもめているという情報がしだいに伝わってきました。
 桂さんに就任を断られることを恐れた豊中市の本郷部長は、2月9日に桂さんの自宅の近くまで来て桂さんを説得しました。それに対して、桂さんは「三井さんが残りたいと言っているのに行く気はありません。押しのけて行く気はありません。私の中では豊中市に行くことは保留になっています」と言います。すると、豊中市の本郷部長は「いや、うちには桂さんしかいないんです。あなたしかいないんです」と言いました。このように桂さんは証言しました。
 しかし、その前の2月1日の臨時理事会で、三井さんは採用試験を受けることを公に表明していたのです。2月1日には、「採用選考委員会を設置して選考する」という選考方法も決まりました。
 すなわち、三井さんが採用試験を受けることを公に表明した後になってさえ、桂さんに「あなたしかいない」と言っていたことが明らかになったのです。
 昨年、この裁判の裁判長が桂さんを証人に採用することを決定した際、「2月9日のことを中心にお聞きしてほしい」と双方の弁護士に要請していました。それだけ、2月9日に桂さんがどのような説明を受けていたかは裁判所としても注目していたわけです。この桂さんの証言は重要です。

 なお、聞くところによると、被告側は「2月1日の臨時理事会では、三井さんを候補にするとは決めなかった。決めたのは2月16日だ。その時点では桂さんしかいなかったのだ」などと言い訳をはじめたそうです。
 しかし、2月1日には桂さんを候補にするとも決定されていません。それどころか桂さんの名前さえ臨時理事会では言及されていません(すでに決定済みの人がいることを隠していたのでしょう)。被告側の言い分はとうてい通用するものではありません。

 なお、この日の尋問では、採用選考委員会を設置することをいつ桂さんに説明したかも焦点でした。
 被告側は「1月15日に桂さんに会ったときに説明した」と主張していました。どうも「早くから選考委員会の設置は決定していたんだ。そういうふうに公正な手続きを踏んでいたんだ」と言いたいようです。それに対して、原告側は「三井さんが採用試験を受けたいと言ってから、慌てて選考委員会を設置したのだから、桂さんに説明したのは2月9日のことだろう」と考えていました。
 この点に関しては、原告側、被告側それぞれの弁護士が尋ねましが、桂さんはいずれに対しても、「『選考委員会を立ち上げなければいけない』と言われたことは覚えているが、1月15日のことだったか、2月9日のことだったかは覚えていません」という返事をなさいました。
 「『面接をする』ということをいつ説明されたか」という点についても、同様に、「記憶にない」というご返事でした。

 ただし、原告側の島尾弁護士が「『形式的なものだ』というふうに言われたのは、2月9日のことだということでいいですね」と質問すると、桂さんは「‥‥と思います。というか、ずっと形式だと思っていたので」と答えました。
 また、選考委員会についての質問の際、島尾弁護士が「この日、『あなたを候補とする』というような説明はありましたか」と尋ねると、桂さんは「『候補にする』というような説明は全然なかったと思います」と答えました。
 すなわち、桂さんは、選考委員会も面接も、完全に形式的なものだと思っていた(=そのように説明されていた)ということです。
 選考委員会や面接について説明された日が記憶に残っていないのは、そのせいもありそうです。 

2.一村市議の「陳述書」について

 実は、すでに2004年、桂さんは、自らが館長就任要請を受けた時のことについて三井さんに語っていました。その時の話は、三井さんが自分の「陳述書」(裁判所に提出する文書。発売中です)を作成する際の一つの資料になっていました。
 さらに2005年にも、桂さんは、豊中市議の一村和幸氏にこの事件について語っています。一村議員も、その時の桂さんの発言などを、裁判所に「陳述書」として提出していました(一村議員の「陳述書」)。

 桂さんは、その一村陳述書についても、島尾弁護士の「書かれていることは本当だと思いますか?」という質問に答えて、「はい、言ったとおりだと思います」とはっきりお答えになりました。
 桂さんは、被告側の反対尋問に対しては、一村陳述書について、「もっといろんな話をしたから、あそこだけ取られるのは辛い」というふうにも述べました。けれど、反対尋問に対しても、書かれていること自体については、「私がいつも思っていることが出たので、その通りだと思います」「嘘は何もないと思います」と言っていました。
 また、一村陳述書には、桂さんが「三井さんは私の話をもとにしている」と述べたことも書かれています。
 ですから、この日、桂さんは、三井陳述書と一村陳述書に書かれているご自分の発言をすべて本当のことだと認めたということです。

 これまで述べてきた点のうち、豊中市が「三井さんは辞めることを了解されている」と嘘を言っていたことや、面接前に桂さんの館長就任が決定していて、桂さんは面接などは形式的なものだと考えていたこと自体は、すでに基本的には三井陳述書や一村陳述書に書かれています。
 ただし、この日の証言では、それらをより具体的に語っています。また、2月9日に「あなたしかいない」と言われたことなどは、それらの陳述書にも書かれていません。

 逆に、当日証言なさらなかったことも、この一村陳述書にはいくつか書かれていますので、その意味では、桂さんがこの一村陳述書の内容を肯定したことの意味は大きいと思います。

3.採用選考委員会は公正だったか?

 さて、先に述べた採用選考委員会が公正だったか否かが問題なのですが、「うちには、桂さんしかいないんです」と言っていた豊中市の本郷部長が選考委員の一員だったのですから、公正なはずがありません

 実際、この日も、島尾弁護士が桂さんに「実際に面接を受けたとき、落ちる可能性があるとは思っていましたか?」を尋ねると、桂さんは「何か手続きを踏むというふうに思っていますから、それで落ちるとは思っていませんでした」と証言しました。

 また、三井さんによると、初代館長募集時や「すてっぷ」の職員募集の際は、論文や作文を提出させていたのに、この時の館長採用試験では履歴書しか提出しなかったとのことです。三井さんは、このことは、書類選考が名ばかりのおざなりのものだったことを示していると述べていました(『陳述書』90-91頁)。
 ところが、「すてっぷ」の吉井理事は、彼女の陳述書で「志望動機をペーパーで出させた」と書いていました。
 この日、その点を島尾弁護士に問われた桂さんは、三井さん同様、「出したのは履歴書だけです」と証言しました。三井さんの主張どおり、書類選考は、その基礎となる「書類」自体が十分に存在していない、おざなりなものだったことが確認されました(また、吉井理事の陳述書の信憑性も疑われます)。

 しかし、被告側の弁護士はこの日、何とかして桂さんから有利な証言を引き出そうとしました。

 まず、被告側弁護士は面接の内容について質問しました。
 すると、桂さんは「一番最初に、『応募の動機をお聞かせください』と言われて、びっくりしました。私は応募したわけではないのに何を言っているんだ、と思ったんですけど、それが手続きをちゃんとすることなのかな、と思いながら答えました」と述べました。
 三井さんに対しても面接をしたからでしょうか、どうも豊中市は、面接のときは、それが形式的なものであることを露骨に表に出すようなことはせず、一応の形は整えたようです。
 だからでしょうか、被告側弁護士が桂さんに「面接の質問の内容・やり取りからして、あなたは面接を受けた当時、結論が先に決まっている、形式上だけの面接だと感じましたか?」という質問したのに対して、桂さんは「別に感じませんでした」と答えました。

 ただし、もう一人の受験者だった三井さんは、「面接試験は10分程度でした。抽象的な質問ばかりだったため、このような質問で2人の候補者から一人を選べるのだろうか、と私は疑問に思いました」(『陳述書』89頁)と述べており、このときの面接も、一応、試験らしき形を整えたという以上のものではなかったようです。
 もちろん桂さんと三井さんとでは、試験に対する事前の認識が異なります。ですから、私は、桂さんもなにも嘘をついたわけではなく、その時に感じたことをそのまま述べたにすぎないと思います。ただ、結果的には、被告側弁護士の巧妙な質問のやり方によって、被告側にやや有利な証言を引き出されたかな、と思います。

 続いて、被告側弁護士は桂さんに「あなたは今から振り返って、選考委員が公正に審査したと思いますか、それとも不公正な審査をしたと思いますか」という直接的な質問をしてきました。
 私は、こういう質問は、一つ一つの事実を明かにすることによって判断を下すという、裁判の尋問のあり方から外れているように感じました。そもそも被告側自身、「桂氏は選考される対象にすぎず、選考経過や財団側の具体的事情を知る立場になかった」という理由から、桂証人尋問の必要性自体を否定し続けてきたのですし‥‥。

 さて、桂さんは、上の質問に対して次のように答えました。
 (1)「その当時は、私はそんなふうには何も考えていないんですが、普通に進んだなと思ってました」
 (2)「裁判が始まってからは、よく分からなくなっていました」
 (3)「ただ、今年に入ってからの理事さんの集まりの時の理事さん同士のお話を聞いて、(桂と三井という)2人の候補を普通に面接して選考したんだなと感じました。何かすごく私は危ないところにいたのかなとそのとき思いました」。
 これらは――(1)(2)は措くとしても、(3)の点は、被告側の「選考委員会は公正だった」という主張に有利な発言でした。だから、私は「これはまずい」と、嫌な気持ちになりました。
 同時に、私の胸の中では、「『理事さん同士のお話』って何だ?」という疑問が渦巻きました。

 原告側の再主尋問では、まず、宮地弁護士は「本郷部長は、桂さんが館長に採用されなかったら、どうされたと思いますか?」と桂さんに尋ねました。すると、桂さんは「本郷さんに聞いたら、もしそうなったら自分の首が飛ぶような、もうとにかくすごく心配をしていたような返答でした」と証言しました。
 ここで、まず、「桂さんが採用されなかったら、自分の首が飛ぶ」ような立場の人(本郷氏)が、選考委員会の一員だったことが明確になりました。

 宮地弁護士が上の点を指摘して、選考委員会の公正さに疑問を呈すると、桂さんも「だから私もずっと訳がわからなかったんですが‥‥」と同調しつつも、上で言及した「今年1月の理事さんの集まりの時のお話」をしました。
 桂さんが言うには、「その話をお聞いた時に、ある理事さんたち(吉井さんと岸本さん)はまじめに面接をされたと思ったんです」とのことでした。
 そこで、宮地弁護士が「そしたら、全体の選考委員会が公正かどうかは、あなたは判断」まで言ったところで、桂さんは「それはやっぱりわからないですよね」と答えました。
 つまり、部分的には被告側に有利を証言した桂さんも、「全体の選考委員会が公正だったかどうかまではわからない」ことは認めているわけです。私はかなりホッとしました。

 しかも、なぜ桂さんが「吉井理事らは『まじめ』だ」と考えたかというと、桂さんが言うには「吉井さんたちは、『内諾している人が既にいるのに選考委員会をやるのは、茶番と言われても仕方がない』と市に抗議した」からだということでした。
 宮地弁護士が、「それは、理事のお立場からしても、内定している人がいるという状況で選考委員会をするということは、疑われても仕方がないと意味ですか」と問うと、桂さんは「そういう意味だと思います」と答えました。
 つまり、理事の一部にさえ、「選考委員会は茶番と言われても仕方がない」という問題意識があったということです。

 最後にもう一度、宮地弁護士が「本郷氏のような人が選考委員の中にいるということは、公正らしさを疑われるとあなたは思わなかったのですか」と尋ねると、桂さんは「そういうふうには思わなかったです。今そう言われれば、そういう見方もあるんだなと思います」と答えました。
 これは、いささかトボケた感じの返答だと思いましたが、桂さんも「そう言われれば、そういう見方もあるんだなと思います」とまでは認めたわけです。

4.三井さんを排除した組織変更は「体制強化」になったか?

 豊中市らは、三井さんを雇止めするために、三井さんが就いていた非常勤館長職を廃して新館長を据えるという組織変更をしました。
 被告側は、この組織変更は、けっして三井排除のためではなく、すてっぷの「体制強化」のためのものだと主張していました。

 ところが、この日、原告側の寺沢弁護士が、桂さんの「私は男女共同参画の仕事がしたかったのに、できていない」(一村陳述書)という発言を引用しつつ、「すてっぷの組織変更は、『体制強化』になっていると思いますか?」と尋ねると、桂さんは「実態はそうなっていない」と答えました
 「すてっぷ」の組織体制について男女共同参画の観点から最も的確に評価できるのは、その館長だと考えられます。ですから、桂さんの証言はきわめて重要です。

5.桂証言全体として言えること

 私は、桂さんの証言は、全体としては、その時々にあったことや思ったこと、思っていることをそのままお話しになった証言のように感じました。

 もう一つ感じたのは、証言の前には、必ず裁判長から証人に「質問には、端的に答えるように」という注意があるのですが、双方の弁護士の質問に対する桂さんの回答は、まさにその通りの回答のし方だということです。
 だいたい証人というのは、自分が言いたいことがあると、弁護士の尋問に対して、直接聞かれていないことをしゃべって、そのために一度や二度は相手方弁護士や裁判長とゴタゴタしますが、桂さんの場合、そうしたことは一度もありませんでした。

 しかし、いずれにせよ、最初に述べたように、桂さんはけっして原告側の証人というわけではありません。そのことは、証言の以下のような点にもあらわれていたと思います。
 第一に、桂さんの考えには、原告側の主張と異なっている部分もありました。たとえば、原告側は、いくつかの情況証拠をもとに、バックラッシュ勢力と豊中市が裏取引をした(男女共同参画推進条例の制定と引き換えに三井排除をした)と主張していました。しかし、その点については、桂さんは「真相は分かりませんが、ちょっと結び付かないです」と答えていました。
 第二に、そうしたこともあって、被告側の尋問の際には、日ごろ、桂さんと接する機会が多く、桂さんの状況や考えを知る機会が多かったであろう被告側(の弁護士)に、被告側に都合の良い質問をされて、被告側に都合の良い答えを上手に引き出された部分もあるように思いました。上で述べたように、桂さんは、質問には端的に、言い換えれば素直に答えるという姿勢を貫いていただけに、特にそうなったのではないかと思います。
 ただし、公平のために言っておくと、原告側の弁護士にもかなり素直に答えておられましたので、上では、「その時々にあったことや思ったこと、思っていることをそのままお話になった証言」と述べたわけです。
 第三に、桂さんは被告側の財団の職員です。その分、被告側に気を使った慎重な返答が多かったように思いました。原告側の証人でしたら、被告側にガンガン主張するところです。
 たとえば、選考委員会の不公正さに関しても、私は桂さんに、「今そう言われれば、そういう見方もあるんだなと思います」ではなく、もっとはっきり言ってほしかったのですが‥‥。
 第四に、桂さんの証言には「覚えていない」というものがかなり目立ちました。この点について、私は「桂さん、ひょっしとしたら被告側に口止めされているのかも?」というふうにも思いました。もっとも、そう考えるのは、考え過ぎかもしれません。桂さんの証言に「覚えていない」が多かった要因としては、次の2点が重要だと考えられます。
 一つには、桂さんは、覚えていたことの多くは、すでに三井さんや一村さんに語っていたということです。ですから、語っていなかった点は、覚えていないことが多いのも当然の面があります。
 もう一つには、桂さんは、原告側の証人のように、あらかじめ原告側の弁護士と打ち合わせて証言したわけではなかったということです。もし、原告側の証人でしたら、桂さんが覚えていない点については、初めから質問しなかったでしょう。でも、桂さんの場合はそうはいきませんでした。
 以上で述べたように、桂さんは原告側の証人ではありませんでした。むしろ被告側の「すてっぷ」財団の一職員でした。にもかかわらず、原告側の主張を裏付ける証言をいろいろなさった。この点は、桂さんが被告側べったりの人間ではけっしてなかったこと示しているとともに、真実がどこにあるかを示していると思いました。

6.桂館長辞任――その意味するもの

 桂館長は、この証言の少し前から体調を崩され、証言の後は「すてっぷ」には出勤しなくなったそうです。その後、辞表を提出なさり、桂さんは館長を3月31日付けで退職。4月から「すてっぷ」は館長不在となりました。

 館長辞任の一つの原因は、やはり原告側と被告側の板挟みになったということのようです。
 しかし、もう一つの重要な原因は、桂さんが証言でも述べたように、「すてっぷ」の組織体制がぐちゃぐちゃだったことのようです。この点については、豊中市議の坂本やすこさんも、実際に「すてっぷ」の状況を調べて、そうしたことをおっしゃっています(坂本やすこさんのメールマガジン112号。この中の「『すてっぷ』2代目桂容子館長も3月31日付けで退職に! 2人の館長を使いすて? 豊中市、および財団の体質に問題があるのでは…。」という記事をご覧下さい)。

 「館長不在」――これが、被告側が主張する「組織強化」の顛末です。

 桂さんは証言当日は、双方の弁護士の質問に答えるだけで、自分の言いたいことは十分おっしゃれなかったのではないかと思います。被告側に気を使う点もあったでしょう。
 ですから、桂さんがより自由な立場になった今、「すてっぷ」や三井さんの雇止めについて考えておられることを自由にお話しになればよいのでは、と私は思います。

7.バックラッシュ派の北川悟司氏が落選

 4月の豊中市議会議員選挙では、三井マリ子館長と「すてっぷ」攻撃の急先鋒だった北川悟司氏が前回より606票も票を減らし、落選しました(豊中市議選の結果の詳細)。
 もちろん、選挙の当落にはさまざまな要因がからみます。
 しかし、この裁判を支援する会が、北川市議を批判してきたことによって、彼の実像が豊中市民に知られるようになったことも一因だったのかもしれません。

 それはともかく、北川氏の落選は、豊中市の男女共同参画行政にとっても、この事件の解決にとってもプラスだと思います。

8.結審は6月6日(水)

 以下のとおり、もうすぐ結審(判決のことではなく、審理が終了すること。)です。
 ぜひおいでください。

 6月6日(水)午後1時15分~
 大阪地方裁判所 809号法廷


 ファイトバックの会からの呼びかけです。
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 また、「中国女性・ジェンダー関係主要HPリスト」(リンク集)も併せてご覧いただければ幸いです。日本の問題の一部は、「ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)の労働争議・まとめ」や「館長雇止め・バックラッシュ裁判」でまとめています。
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