2017-08

[書評]何春蕤著、舘かおる・平野恵子編、大橋史恵・張瑋容訳『「性/別」攪乱―台湾における性政治』

[書評]何春蕤著、舘かおる・平野恵子編、大橋史恵・張瑋容訳『「性/別」攪乱―台湾における性政治』御茶の水書房 2013年12月 A5版 263頁 3,800円+税

本書の構成
序章
第一章 バックグラウンド―もはや単純ではないジェンダー・ポリティクス―
第二章 ポルノグラフィと女性の性的行為主体性
第三章 セックスワークにおけるセルフ・エンパワーメントと職業的行為遂行性―なぜフェミニストはセックスワーカーを読み解くことができないのか―
第四章 スパイス・ガールズから「援助交際」へ―台湾におけるティーンの少女たちのセクシュアリティ、そのいくつかの編成体―
第五章 反人身売買から社会的規律へ―台湾における「女性運動」の役割の変遷―
第六章 アイデンティティの具現化―トランスジェンダーの構築―
第七章 トラブルの撲滅―ある訴訟の捏造―
第八章 トラブルの統御―台湾におけるグローバル統治とクィアの存在―
第九章 トラブルの統治―台湾のジェンダー・ポリティクスにおける「年齢」的転回
第十章 ジェンダー統治をめぐる新たな政治
終章―何春蕤へのインタビュー―

何春蕤は、現在、台湾の国立中央大学教授であるが、1994年のセクハラ反対デモの際に、「私が欲しいのはオーガズム、セクハラは要らない」というスローガンを唱えたことでも知られる。同年、何は、著書『豪爽な女―フェミニズムと性解放』で、性を抑圧する諸規範は両性に課せられるが、それは特に女性に不利であるとして、フェミニズム的な性解放運動を提唱した。同書で、何は、性に対する女性の主体性・能動性を主張し、さまざまな性の規範(婚姻内、異性間、モノガミーなど)を乗り越えることを唱えて、論争を巻き起こした(何 1994)。

本書は、何が、台湾で主流のジェンダー・ポリティクスから「トラブル」と見なされたさまざまな物事(ほかならぬ何自身も「トラブル」と見なされた)に関する係争を辿るとともに、トラブルを排することによって生み出される統治のあり方について検討した書である。

本書は、何が2003年にお茶の水女子大学ジェンダー研究センターでおこなった講義およびコメンテイターとの対話を収録した章(二~六章)と今回、何が書き下ろした章(一、七~十章)と何に対するインタビュー(終章)からなる。各章については、それぞれより詳細な何の中国語論文や英語論文が存在するとはいえ、第九章が何の2012年の論文(何 2012)に、第十章が2013年論文(何 2013)にほぼ対応するなど、本書は、現在に至るまでの何の理論体系全体を概観できるものとなっている。こうした書籍は、台湾にもない。

本書の第一章では、何が1995年に国立中央大学に設立した「性/別研究室」が依拠している「性/別」パースペクティブに含まれる4つの認識――(1)「性別」の単純な二分法を乗り越える、(2)ジェンダー(性別)とセクシュアリティ(性)との連関と区別を示す、(3)「性」の多元的差異(「別」)を捉える、(4)その他の社会的差違(階級、エスニシティなど)との関連を表す――は、台湾の社会運動が、以下に記すような経験によって獲得したものであることを述べる。

第二章では、主流フェミニストがポルノグラフィについて、ジェンダーの視点のみから見て反対していることを批判する。何も、ポルノがしばしばジェンダー・ステレオタイプであることは認める。しかし、何は、多くの若い女性たちが、ポルノ的な映像を通じて、自らのセクシュアリティと従来とは異なる能動的、積極的な関係を築くことによって性的行為主体性を発揮していることを指摘する。

第三章では、1997年に台北市長・陳水扁(後の台湾総統)が公娼の営業許可を廃止したことに対して、公娼たちが公共の場に姿を現して異議を申し立てたために(主流フェミニストは陳を支持し、何は公娼を支持)、フェミニストとセックスワーカーとの対話が可能になったが、主流フェミニストは、性愛に対して偏見を持っているために、セックスワーカーが職業活動においてセルフ・エンパワーメントを実践して行為主体性を発揮していることを認識できないことを指摘している。

第四章では、「援助交際」は、特殊な社会現象あるいは「問題」ではないことを主張している。何は、ティーンの少女たちは、欲望の客体というより性的な主体になりつつあり、親密な関係を複数持つことにもオープンになっていること、そうした彼女たちにとって援助交際は性的冒険心の現れであると述べる。また、彼女たちはこの仕事において実践的な知恵を蓄積しつつあるし、社会的/性的交際の新しい形態を切り開いているとも言う。

第五章では、台湾の人身売買反対運動は、当初は原住民の少女たちを対象とした、反売買春というより反奴隷制的性格のものだったが、のちに本人の同意の有無と関係なく性的接触と年齢という条件だけで処罰する法律を求めるようになり、1995年に成立した児童・少年性取引抑止条例もそうしたものになったこと、さらに1999年の修正では、性取引への「関与を招く」ようなメッセージを個人的にインターネットに掲載することも処罰の対象になったという変遷を述べている。また、この過程で反人身売買NGOが力を得たが、セックスワークの多様な側面を人身売買に還元することは(とくに移民)セックスワーカーの行為主体性にとって障害になると言う。

第六章では、主流フェミニストがとったジェンダーを二極化する戦略は、トランスジェンダーを女性の着替えを覗くような変質者と見なしたり、トランスジェンダーが受けるホモフォビックなジェンダー暴力を見過ごすことにつながったりしたことや、同性愛者の運動にもジェンダーのステレオタイプ的理解があることを批判する。

第七章では、2003年、保守的宗教団体が何のウェブサイトの中の「動物性愛」ページを検察に告発したことによって、何が被告になった事件を取り上げる。当初大学は何を粛清しようとしたが、学術界や社会運動団体、海外で何に対する声援が高まり、裁判でも無罪になったことが述べられている。しかし、ポルノや売買春の問題で何と対立してきた台湾の主流フェミニスト団体は長らく沈黙していたという。

第八章では、台湾は国際政治にアピールするために、名目上は人権、とくに同性愛者の権利を支持し、プライドパレードも盛んになったけれども、同性愛者らの実際の情況が変わったわけではなく、むしろキリスト教系の未成年保護/反人身取引NGOによって推進された1999年の児童・少年性取引抑止条例修正や2003年の児童および少年福利法によって、セクシュアルな物事に関する18歳未満のアクセス規制が強化され、若者やセクシュアル・マイノリティにとっての自由な空間は縮小したことが述べられている。

第五章や本章では、台湾のジェンダー/セクシュアリティ政策と、台湾の国民国家としての位置や政治的正統性が複雑な状況にあることとの関係も指摘されている。政府が未成年保護/反人身取引NGOと結びついたのも、それらのNGOは国際NGOや国際機関とつながっているので、政府がその国際的ネットワークに参入して台湾の存在をアピールするためだったという。

第九章では、主流フェミニストは体制に参与して「ジェンダー主流化」を推進したが、それは生物学的基礎にもとづくもので、それ以外の社会的差異は排除されたことや、女性団体が目指した立法や法改正は、そのリーダーシップが次第にキリスト教系の女性・児童福祉団体にとって代わられ、その理解枠組みの基軸も、「ジェンダー平等」から「年齢」にとって代わられたことが述べられる。すなわち、女性団体は当初、性取引やポルノグラフィ、性暴力/セクシュアルハラスメントに対して「ジェンダー」の視点から対応したが、のちにそれらの問題に対する対応は、「青少年を保護する」視点と結びついたという。

第十章では、何は、現在台湾ではジェンダー平等が推進されつつも、女性と子どもの保護の名の下に性的なものは抑圧されていると述べ、それは女性ジェンダーの特徴を反映した「ジェンダー統治」だと言う。何は、主流フェミニストは、女性を脆弱な存在として表現することによって、「性的自主性」概念を「自分のセクシュアリティについて肯定する権力」から「望ましくない性的接近を拒否する権利」に変え、その権利を国家が保護するよう求めたこと、脆弱性の強調によって弱者保護が道徳的強制力を持つようになったこと、子どもはさらに脆弱な存在として捉えられたことを述べる。市民も、台湾という文明的な先進国の一員として、そうした道徳的態度をとることを期待されているという。

本書の各所で、台湾の主流フェミニストは、中産階級で高学歴のエリート女性であり、国家体制に参入したが、婚姻・家庭に組み込まれており、性に対しては常に防御的(反ポルノ、反セックスワークなど)で、正面から性的権利を求めようせず、そのため保守派キリスト教女性団体による社会的浄化に対しても抵抗できなかったことも指摘されている。

何は、新しく現れた「性/別」の主体と実践は、広くアジアにおいて意義を持つと述べているが(4頁)、日本においても、何とある程度共通した視点から、主流フェミニズムとは異なった/対立する議論や実践をしている人々がいる。

たとえば守如子は、「ポルノは性差別だ」とだけ認識するようなフェミニズムを、女性の性欲が無視されている点などから批判する(守 2010)。また、何は、とくに若い世代の女性が性的行為主体性を探求していることを述べているが(18-20,35-36頁)、日本でもそうした動きは若い世代に目立つ(あくまで実践 獣フェミニスト集団FROG 2007など)。

また、日本でも、SWASHなどがセックスワーカーの立場に立った理論と運動を展開しており、政府や一部民間団体による人身取引政策に対しても批判がなされていることは知られている(青山 2014など)。

援助交際についても、何と同様、それを特殊な「問題」と見ずに、社会の構造的変化の下での少女の主体的行動であるとする人々がいる(圓田 2001)。台湾の児童・少年性取引抑止条例は、日本の青少年健全育成条例の買春処罰規定に相当すると考えられるが、日本の規定についても、一律に18歳以下の女性の性取引を取り締まることを「性の自己決定」の観点から批判している人々もいる(藤井 1997宮台ほか 1998)。

また、守は、買売春やポルノグラフィなどの性風俗を「悪文化」として批判するような女性運動では、女性の人権擁護の主張が「母親として子どもを守る」というレトリックに置き換えられ、無垢な子どもたちを守る要求に変質することを指摘した(守 1998)。この指摘は、「年齢基軸」に対する何の批判と共通点があろう。

トランスジェンダーに関しては、本書の中でも三橋順子が、「主流派のフェミニストたちはMtFトランスジェンダーの存在をあまり認識してこなかった(というよりほとんど無視してきた)」(124頁)と批判している。

何は、主流フェミニストが国家体制に参入したことに批判的だが、日本においても、同様の批判が山口智美・斉藤正美らによってなされている(山口・斉藤・荻上 2012)。また、何は、動物性愛事件において自らへの保守派の攻撃に対して台湾の主流フェミニストが沈黙してきたことを指摘しているが、こうした指摘は、山口・斉藤が、バックラッシュへの対応や自治体の男女共同参画条例の制定において、フェミニストの多くが性的少数者の問題に無関心だったと批判したこと(同上 157,199頁)と共通点があろう。

以上で述べたように台湾と日本の情況には類似点があるため、本書の主張は、それに対する賛否を問わず、日本の私たちにも自らを考える材料を提供している。実際、本書の中でも、とくに台湾が専門ではないコメンテイター(根村直美、水島希、田崎英明、竹村和子、三橋順子)が、自らの立場から何に対して意見を表明している。付言すれば、台湾における何とは異なる立場からの実践報告(顧 2010など)も、もちろん日本の参考になる。

また、本書には、フェミニズムにおけるさまざまな分岐や対立を一連のものとして提示した意義もある。それらが真に一連のものか否かは議論の余地があろうし、「主流フェミニスト」に対峙する側が自動的に連帯できるわけではないだろうが、この点も、日本の運動や理論に示唆を与えると考える。ただし、何も述べているように、問題にすべきはあくまで「事件、政策、そしてその影響」(250頁)であり、特定の個人や団体に対して一面的な分類やレッテル貼りをすることは慎むべきだろう。

もちろん本書からは、日本と台湾には相違があることも理解できる。第一に、台湾のジェンダー政策の背景には、台湾が国家としての国際的承認を得たいという動機があったことである。この点については、つとに金戸幸子が、台湾におけるジェンダー主流化(具体的には両性工作平等法の成立)は「台湾の国民国家としてのアイデンティティの確立と『国際社会』への復帰という、『国家』としての生き残り戦略にも関わっている」(金戸 2005、38頁)と指摘しているが、何はそのことが性の保守主義に結びついた面を強調している。

第二に、台湾では、日本よりも主流と反(非)主流との分岐・対立が先鋭化ないし顕在化している場合が多い。その原因はいくつか考えられるが、その一つは、何が1987年の戒厳令解除後間もなく、本書評の冒頭で述べたようなラディカルな主張を打ち出し、1995年には「性/別研究室」を設立したという先駆性にあろう(日本で「ジェンダー/セクシュアリティ」が機関(誌)の名称として使われたのは、2005年に国際基督教大学ジェンダー研究センターが創刊した『Gender and Sexuality』が最初ではないか)。もちろんこの先駆性は、何だけでなく、公娼やトランスジェンダーの運動、「性/別研究室」の他のメンバーの力にもよっている。たとえば、同研究室の卡維波は、同性愛者とセックスワーカーとの連帯について解明している(卡 1998)。

第三に、日本と台湾とでは、政治勢力やNGOの具体的状況が異なることは当然である。

本書で疑問や不足を感じた点もある。まず、援助交際に対する分析は、「年齢基軸」批判にとって重要だと思われるが、何の他の著作(何 2003など)を併せて参照しても、分析にやや実証性が不足しているように思う。

また、何は「ジェンダー統治」によってマージナルなむしろ問題は闘いにくくなったと言う(6頁)。たしかにそうした面はあろうが、その一方、台湾では、新たな矛盾の中から発生したマージナルな運動(セックスワーク運動、トランスジェンダー運動など)も、日本より発展している面があり、それらは日本でも参照に値すると考える。

参考文献
[日本語]
青山薫2014「グローバル化とセックスワーク――深化するリスク・拡大する運動――」『社会学評論』65(2)。
あくまで実践 獣フェミニスト集団FROG2007『今月のフェミ的』インパクト出版会。
金戸幸子2005「台湾の『両性工作平等法』成立過程に関する国際社会学的考察」『日本台湾学会報』7。
藤井誠二1997『18歳未満「健全育成」計画』現代人文社。
圓田浩二2001『誰が誰に何を売るのか? 援助交際にみる性・愛・コミュニケ―ション』関西学院大学出版会。
宮台真司ほか1998『〈性の自己決定〉原論』紀伊國屋書店。
守如子1998「〈性風俗批判〉における『母』というレトリック」『相関社会科学』8。
―――2010『女はポルノを読む 女性の性欲とフェミニズム』青弓社。
山口智美・斉藤正美・荻上チキ2012『社会運動の戸惑い』勁草書房。

[中国語・英語]
顧燕翎2010「フェミニズムの体制内改革――台北市女性権益保障弁法の制定の過程と検討」(羽田朝子訳)野村鮎子・成田靜香編『台湾女性研究の挑戦』人文書院。
何春蕤1994『豪爽女人 女性主義與性解放』皇冠。
―――2003“From Spice Girls to Enjo-Kosai:Formations of Teenage Girls’Sexualities in Taiwan”,Inter Asia Cultural Studies4(2)
―――2012「台灣性別政治的年齡轉向」何春蕤編『轉眼歷史:兩岸三地性運回顧』国立中央大学性/別研究室。
―――2013「性別治理與情感公民的形成」甯應斌編『新道德主義:兩岸三地性/別尋思』同上。
卡維波1998「同性戀/性工作的生命共同體」『性/別研究』1-2合刊。
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コメント

ありがとうございます

たいへん詳しい書評、ありがとうございます。
この本に、ささやかに関係した者として感謝いたします。
何先生も、きっとお喜びになると思います。

こちらこそ、ありがとうございます

とんでもありません。こちらこそ、このようなすばらしい本を世に送り出すために尽力なさったことに感謝申し上げます。書評ではあまり触れられませんでしたが、この本は、各コメンテイターと何さんとのやり取りも興味深いもので、三橋さんのコメントからも私は多くのことを教えられました。

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