2017-10

LGBT運動のゲイ中心主義やフェミニズム運動におけるレズビアンの主体性喪失に対する異議申し立て

中国のセクシュアル・マイノリティの人々の運動も、他国同様、ゲイが中心になっている傾向を免れなかった。そうした中、2011年末から、レズビアンらが明確にゲイ中心主義を批判しはじめた。2012年以降活躍している若い行動派フェミニストの中にも、レズビアンやバイセクシュアルのメンバーが多く、そうした動向に同調してきた――ないしは、そうした動きの中からフェミニズムの運動が生まれてきた。しかし、いま、レズビアンの中に、フェミニズム運動においてレズビアンとしての主体性を出せないことを問題にする人も出てきた。

――上記の議論は現在も進行中だが、以上のような状況があると思うので、この点について、以下、述べてみたい。

<目次>
1 クィア視点からのLGBT運動批判――「美少女戦士レズビアン」の微博
2 若い行動派フェミニストも、クィア視点を支持/共有
3 LGBT運動とフェミニズム運動におけるレズビアンの二重の失声状態を批判――『クィア レズビアン タイムス』

1 クィア視点からのLGBT運動批判――「美少女戦士レズビアン」の微博

LGBTサイトの理論家のクィア理論批判

2011年8月、LGBTサイト「愛白網」(ただし、1999年に創設された時はゲイサイトで、今日でも記事の内容はかなりゲイ中心である)の理論家であるDamien Lu(星星)さんは、「クィア理論の概念の多くは、セクシュアル・マイノリティたちの権利の推進にとって、破壊的作用がある」と批判した。その理由は、「クィア理論の主要な理論家は、性的指向は非常に可塑的で、固定的ではなく流動的であること考えており、それだけでなく、いかなる性別や性的指向の分類の『レッテル』もみな誤っていると考えている」が、そうした理論的立場に立つと、同性愛者に対する「治療」を容認することになるし、同性婚の根拠は、同性愛が先天的なものであるということなのに、性的指向が可塑的であると考えると、同性愛者差別に反対する立法や同性婚姻法を推進することが難しくなる、というものだった(1)

「美少女戦士レズビアン」の微博(ミニブログ、中国版ツイッター)による反論とLGBT運動の現状批判

2011年12月17日、「美少女戦士レズビアン(*)」の微博[美少女战士拉拉的微博]は、「私たちはレズビアンである。私たちはクィア(**)である。私たちは声を上げなければならない」という発信を皮切りに、上のような議論に対する反論を開始し、上のような議論を生み出す背景についても批判した。

(*)「美少女戦士」は、「美少女戦士セーラームーン」の中国語名(2)。また、「レズビアン」の原語は「拉拉」であり、ここでは仮に「レズビアン」と訳したが、華人拉拉連盟によると、「『拉拉』の定義は、女性の同性愛、バイセクシュアル、女を愛するトランスジェンダーである。トランスジェンダーは自分を拉拉ではないとも認識できるし、自分を拉拉だとも認識できるが、拉拉は『トランスジェンダーは私たちの中には入らない』と言ってはならない」と述べている。「美少女戦士拉拉」の微博も、この定義を引用しつつ、「lesはlesbianの略語だが、『拉拉』の2字は必ずしもそうではない」と述べている(2012.1.28)。

(**)「クィア」については、「美少女戦士レズビアン」の微博は、「性愛の表現方法が伝統的基準とは異なる立場の人を指し、必ずしも同性愛者ではない。多くの同性愛、トランスジェンダー、バイセクシュアル、性愛の方法が伝統的な一夫一婦の異性婚姻とは異なる一部の異性愛者も、クィアという呼称を受け入れる」、「『クィア』は、しだいにジェンダーないしはその他の各面でのレッテル貼りを望まない、分類されることを望まない者の総称になった」(2011.12.18)と説明している。

「美少女戦士レズビアン」は、半月の間に360の微博(ツイート)を発信し、盛んに論争を繰り広げた。

「美少女戦士レズビアン」も、「性的指向は生まれつきなので、変えることができない」という主張は、「同性愛の矯正・治療」に反撃するために、同志(セクシュアル・マイノリティ、LGBTといった意味)運動の戦略として「一つの段階の一つの領域において暫時の成果を収めうる」ことは認めている(2011.12.24)。

「美少女戦士レズビアン」の主張は、2012年1月5日の以下のような発信によくまとめられているように思う(以下は、当日の発信すべてではなく、抜粋です)(3)

第一の分岐は(……)相手方が繰り返し論証しているのは「どのように同性愛が合理的であると証明すれば最も良いのか」ということであり、私たちは、「人は、基本的権利を獲得するために、合理的であると証明される必要はない」と主張している。

そこに隠れた更に大きい分岐は、私たちの運動の目標に対する期待が非常に異なっているということである。私は、運動はすべてのセクシュアル/ジェンダーマイノリティのために権利を勝ち取るものだと考えており、「生まれつきの同性愛」あるいは「科学的に証明された同性愛」のためにだけ権利を勝ち取ることを望んでいるのではない。

私にはある友達がいて、彼女は以前は男に対して強烈な性欲を抱いていたが、50近くになってガールフレンドと付き合い始めたら、男に対する欲望がなくなった。私には別の友だちがいて、小さい時から自分は間違いなくレズビアンだと思ってきたけれど、のちにボーイフレンドと付き合いだしたら、うまくいっている。彼女たちは困惑しているけれども、私は、彼女たちは、現在、なかなか幸せだと思っている。

同性愛が構築されるものであることにマイナス面がある理由は、人類が同性愛の起因を誤解しているということにはなく、近代社会の価値観が、異性婚姻の中の、一夫一婦の、男性主導の性関係だけが正当で、その他――同性愛も、バイセクシュアル・婚姻外の性関係・SM・セックスワーク・トランスジェンダーなどなども――をみな堕落していると考えていることにある。

狭隘な出発点から考えると、いま私たちは努力して、社会に「同性愛も正常だ」と受け入れさせるために、私たちは「生まれつき」の「血統が純正」な同性愛だと言って、その他の性的マイノリティとの区別をはっきりさせなければならない。しかし、クィアがやるべきことは、朝廷の権威を直接問いただして、さまざまな情欲に対して制約をする社会の偏見の根源に挑戦することである。

このように言うことができる:ある人々は、搾取をされているので、自分がいかに這い上がるかを考え、権力を獲得した後には、他の人を支配する。しかし、ある人々は大きな局面を見ることができ、システム全体をひっくり返してこそみんなが徹底的に解放されると考える。ジェンダー不平等、異性愛ヘゲモニー、フェミニズムの関係は、モニカ・ウィティグ「人は女には生まれない」(Monique Witting“One Is Not Born A Women”)を参照してほしい。

性的指向の起因以外にも、人類の各種の態度・行動についての先天論と後天論との論争は、社会科学・自然科学の領域で今に至るまで勝負がついておらず、現在、もっと広く受け入れられているのは、先天論も後天論も部分的な働きをしているというものである。最近、国内のクィア理論に対する最大の誤解は、クィア理論は性的指向に先天的要素があることを否定しているというものである。


また、以下のような発信もしており、問題の背景には、以下のような状況があることもうかがえる。

現在、多くの同志団体は、「私たちはLGBT団体だ」と言いたがる。けれど、けれど……多くの場合、団体の中には、Gしかいない。。。。

なぜ専門のレズビアン団体があるのかについて、本当にしっかり考える必要がある。多くのLGBT団体は実際はゲイ主導の組織であり、女性が一人もいないこともある。同様に、多くの場合、B(バイセクシュアル)がおらず、T(トランスジェンダー)がいない。

大多数のレズビアングループは登録されていない民間団体であるし、一般に「LGBT」とは自称しない。若い男も女もいる1、2の組織を別にすれば。


華人レズビアン連盟の声明

論争の最中の12月25日、華人レズビアン連盟も以下のような声明を発表した(4)。全体として「美少女戦士レズビアン」の考え方を支持した声明だと言えよう。

1.性的指向が生まれつきのものか、後天的に構築されるものかという点に関しては、私たちの多くの取材や意見交換において、その2つの観点/生命の経験が共に現れており、どちらか1つの観点によって、すべての生命の経験をカバーすることはできないと考える。

2.「生まれつき論が現段階の運動の戦略だ」という説については、私たちは、それは危険な観点だと考える。その説は、そのように思っておらず、そのような定義に当てはまらない人々を軽視し、犠牲にする可能性がある。そうした軽視や犠牲は、私たちが身を投じようとしている同志運動ではない。同志運動の出発点は、科学研究によってその生理的な原因を証明することではなく、天賦人権―― 一人一人が、他人を傷つけないという前提の下、自分がどんな人であり、どんな人を愛するか、どのように生活するかを選択できる権利を持っているということにある。(……)

3.クィア理論は、その誕生の日から、周縁の立場から、しだいに主流化している同志運動に挑戦し、多元的な思考と実践をもたらしている。クィア理論は、中国大陸ではまだ充分に紹介や理解がされていないが、私たちはクィア理論に対して開放的な態度を取って、もっと多くの議論が起きることを期待する。

4.現在大陸の同志運動は勢いよく発展しているけれども、私たちは、運動の中にジェンダー視点が乏しいと切実に感じている。声をじゅうぶん上げることができないために、女の同志/レズビアンは、運動の中で常に匿名状態になっている。「同志」と言えば、人々は往々にしてゲイのことしか想定せず、レズビアン・バイセクシュアル・トランスジェンダーなどのもっと弱い立場の人々を無視する。また、同志コミュニティの中でも、理論上当然だとされる論述が、事実上、女の同志/レズビアンには適用されない。(以下略)


崔子恩さんらもクィア理論を支持する観点から、議論に参入

「中国初のクィア作家」と言われる崔子恩さん(5)も、「中国の同志運動は、もうクィア理論/文学研究との関係を断ち切ることはできない。二元論は一部のGayに享楽的な生活ができるように誤って思わせることができるけれども、二元論が作り出す独裁と専制は、けっしてそのために抑圧を弱めることはない」(@崔子en的微博2011.12.23)と述べた。

北京クィア映画祭の主席をつとめた楊洋さんも、「自分は、北京クィア映画祭がまだ北京同性愛映画祭だった間は、ずっと本当の帰属感が持てなかった」と述べ(杨oig洋non葱的微博2011.12.24)、それに対して崔子恩さんは「論争の起源は、@美少女戦士拉拉が挑戦した『同志運動の意見の指導者』だった」とコメントした(@崔子en的微博2011.12.24)。

また、崔子恩さんは、12月27日、「午前、同志NGOに輪番制を呼びかけたところ、ある人が私に対する@愛白アカウントのフォローを外した。個人が支配するNGOのようだ」(@崔子en2011.12.27)と述べ、翌日に、「改選しないことは、体制上、腐敗する土壌が生まれることを認めることになる」(同2011.12.28)と指摘、美少女戦士拉拉は「クィア映画祭の輪番主席制度が、参考になる一つのモデルだ」と述べた。

ここでは、「指導者」が権力を持つような、LGBT運動内部の民主主義のあり方も問題にされている。

2 若い行動派フェミニストも、クィア視点を支持/共有

2012年は、若い女性を中心にしたフェミニストが、街頭でのパフォーマンスアートや抗議活動、署名運動などの新しい運動を次々におこない始めた年だった(「『ジェンダー平等唱導・アクションネットワーク』(中国)年表」参照)。彼女たちの中には、レズビアンやバイセクシュアルが多いが、彼女たちの多くも、「美少女戦士レズビアン」のような視点を支持ないし共有している(6)

シルヴァースタイン講演におけるクィア理論否定に対する抗議をめぐって

2012年4月16日、アメリカのチャールズ・シルヴァースタイン(Charles Silverstein)さんが、北京LGBTセンターが組織した交流会(司会は上述のDamien Lu[星星]さん)で、「クィア理論は10年以内に消滅する」「LGBTの親密なパートナーの間には暴力は存在しない」「アメリカではゲイとレズビアンが親密に隔たりなく共闘している(とくにレズビアンが、ゲイの組織に加入することを「習得」したのち)」といった発言をした(爱白Aibai的微博2012.4.19、灰烬AshWang的微博2012.4.20)。シルヴァースタインさんは、日本でも福田広司ほか訳で『ザ・ニュー・ジョイ・オブ・ゲイ・セックス』(白夜書房 1993年)という本が出ているなど、古くからのアメリカで同性愛者運動をしてこられた方らしいが、新しい運動の動向には疎いようだ。

シルヴァースタインさんに対して、「クィア理論とフェミニズムの視点からLGBTの中の周縁のグループに関心を持つ」ことを謳って結成された「辺辺グループ(边边小组)」が異議を唱えた(「性向自主!反对霸权!——边边小组关于性向问题的立场声明」边边小组的博客2012年4月19日)。

「辺辺グループ」は、呂頻さんや徐玢さんによって結成されたグループだが、若い行動派フェミニストのリーダーの一人である李麦子さんも、この件について取り上げている。李さんは、Damien Lu[星星]さんらがゲストとして呼ばれた4月19日の会で、辺辺小組のメンバーがビラを撒くとともに、ゲストと対話の機会を設けるように望んだのに対して、主催者が故意に質問の機会を与えなかった(予定よりも5分早く終了させた)という出来事を批判している。

李麦子さんが上記の出来事について述べたのは、NGO業界の問題を取り上げた、「あなたに反対する者がいるときは、あなたは再考する必要がある」という文章だ。李さんは、「問題が起きたら、私は対話によって解決しなければならないとずっと思ってきた。大国間の矛盾も、対話によって解決しなければならないのではないか?」と言い、NGO業界において「多くの人が問題から逃避したがり、矛盾を激化させる。こうした思考はまるで中国の『維穏(社会的安定の維持)』のようだ。事件が起こったら、最初は情報を封鎖し、塞ぎ止められなくなってから、やっと問題に対応する」という状態を批判している(7)

このようにNGOの民主主義の問題を問うていることも、前年の崔子恩さんらと同じだ。

クィア理論については、同じく若い行動派フェミニストの鄭楚然さんも、「クィア理論の良さは、反覇権的な理念であり(……)重要なのは、権威者たちがどのように言ったかでも、それらの権威者たちがどのようなキャリアを持っているかでもなく、私たちが主流の覇権的な声tmd[=罵倒語「他妈的」の略語]に圧死しないことである」と述べている(大兔纸啦啦啦的微博2012. 4.19)。

若い行動派フェミニストの主要メンバーは、以下のように、LGBT運動におけるゲイ中心主義や同性愛中心主義も批判している。

LGBT運動の中の男性中心主義批判

李麦子さんは、「同志はゲイと同じではない!」「女の同性愛者は相対的には弱者だが、たしかに存在していて、同じでは全くない」(麦子家的微博2011.12.5)、「多くのゲイもまったく男権的であり、セクマイ圏内のジェンダー不平等問題も深刻である」(同2012.4.27)、「男のセクマイには、セクハラというテーマについてかくも深刻な誤解がある。女性の権益が侵害されたとき、男権社会は集団で被害者に矛先を向け、被害者を非難し、被害者を中傷さえする」(同2012.9.26)と述べている。

バイセクシュアル差別批判

梁小門さんも、男とセックスしたレズビアンに対して「私は真のレズビアンは男とは寝ないと思う。本当に気持ちが悪い」と言った人に対して、「純同性愛ヘゲモニーは、異性愛ヘゲモニーと本質的に同じである。他人に自分たちと同じであることを許さない」と批判した(梁小門的微博2012.8.12)。

3 LGBT運動とフェミニズム運動におけるレズビアンの二重の失声状態を批判――『クィア レズビアン タイムス』

「美少女戦士レズビアン」の微博は、2012年7月で更新を停止しており、彼女たちが若い行動派フェミニストの運動をどう評価していたかは十分にはわからないが、全体的には、運動に注目し、評価しているようだ。ただし、「男子トイレ占拠」の際、とくに「ユニセックストイレ」の設置を唱えている(美少女战士拉拉的微博2012.2.23)ことなどは独自の特色だと思う(運動全体の要求の一つにも、ユニセックストイレの設置自体は入っていたが)。

さて、2013年4月、『クィア レズビアン タイムス[酷拉时报(Queer Lala Times)]』というネットマガジンが創刊された。

その「発刊の言葉」は、以下のようなものである(大头「《酷拉时报》发刊词」2013年4月25日)。

私たちはレズビアンであり、女性・「同志」・「同性愛」の名の下に一括して論じられることを拒絶する。

私たちはクィアであり、同性愛/異性愛、男/女、正常/変態という簡単な区分に不満である。私たちは、この複雑な世界にふさわしい多元的な論述を追求し、より差違があって多様な世界を創造することを願う。

私たちは実践者であり、中国のジェンダー/セクシュアリティの運動に身を投じ、多くの組織者たちといっしょに、現実の変化を自ら体験し、人の変化こそが社会運動の最も重要な目的であると信じる。

私たちは論述者であり、言葉の力を信じる。

私たちは、今日の中国で、このような刊行物を発刊するが、直面している問題は多重であり、多様である。

第一に、十年あまりの同志運動はすでに成果を上げ、社会的可視性も、公衆の認識も大きく高まった。とくに大都市で生活し、社会的・経済的地位が比較的高い男女の同志の境遇は改善された。しかし、まだはるかに不十分である。ひとまず権利については措くとしても、多くのLGBTはまだ恐怖と社会的圧力の下で生活しており、得られるべき援助が得られていない。政治環境・公共空間の状態はジャングルのようで、同性愛者・女性に対する差別は広範で赤裸々であり、公衆レベルの闘いは盛んになり始めたばかりで、まだ充分ではない。

第二に、本来平等を追求することを目標にしている同志運動に、さまざまな問題が現れている:ジェンダー観念の弱さ、階層分化、理念の単一性、主流社会への同化など。同志(LGBT)内部の差違は、本来虹色のように多種多様に、細密に現れなければならないのに、「同志」という大きな旗の下に、それらの差違は覆い隠され、単一化され、ゲイ男性化され、主流化されている。

第三に、今日の中国では、市民社会が勢いよく発展しつつあるが、同志運動、ジェンダー/セクシュアリティ運動は社会運動の一部として、どのように他の運動と対話し、どのようにこの変化により広範に参与するのか? どのようにグローバリゼーションの中で、中国本土の現実に対処するのか?


この「発刊の言葉」は、同志(LGBT)運動の問題が非常に幅広く捉えられているとともに、「女性」という一括した捉え方も拒否していることが特徴だ。

続いて掲載された、小燕「LGBT運動誰が先に平等になるのか?――中国のジェンダー/セクシュアリティ運動に関する若干の考察」(小燕「【专题】让谁先平等起来?——关于中国性/别运动的一些观察」2013年5月2日)は、LGBT運動やフェミニズム運動のあり方に対する批判を、より具体的に述べている。以下は、その抜粋だが、LGBT運動に対する批判の箇所を茶色に、フェミニズム運動のあり方に対する批判の箇所をオレンジ色にしてみた。

「一部の人が先に平等になる」、これが有効な戦略なのかどうか私は知らないが、少なくとも私は、これは有害な運動の理念だと思う。

同志運動は、結局、セクシュアリティとジェンダーにもとづく社会的公正を実現するためのものか、それとも一部分の人の合法性を勝ち取る――「同性婚姻合法化」あるいは「性的指向にもとづく差別に反対する」が私たちの最終的目標なのか?

私たちが同志運動に参加したとき、ある人は「エイズ防止」が同志運動の戦略だと言った。レズビアンの声はそれによって全面的に消されてしまったけれど。その後、ある人は「生まれつき論」が有効な戦略だと言った。なぜなら、「やむをえない」状況ならば受け入れられやすいからだと。さらにその後、彼らは「積極的で肯定的な」同志のイメージの形作ることを始めた。それは、より多くの人に社会的エリートの同志たちを受け入れさせるためだった。

私も、これらの「戦略」がおおむね、ある程度「有効」であることを否定できない。たとえば、同志の社会的可視性を高めるためには有効だろう。しかし、結局、誰が視野に入るようになり、誰がそのために後ろに隠されるのだろうか?  私はこれらの戦略を怖いと感じる。なぜなら、自分が戦略のニーズに合致していないという理由で、いつ運動から放棄されるかわからず、怖いからだ。


私は、2012年のフェミニズム運動について、「レズビアンによって中国のフェミニズム運動の誕生が推進された」と簡単に言おうとは思わないけれども、レズビアンの運動者たちがより強いジェンダー平等意識と社会運動の自覚を持ってこれらのフェミニズムのアクションに参加し、「運動」の形成において重要な役割を演じたことは認めざるをえない。

今年1月、私が上海でのある会議で李麦子
[遠山注:レズビアン]に会ったとき、私は彼女にこのような考え方を話した。その時、麦子は半ば冗談で、半ば緊張して、「もしあなたが発言するときに、『レズビアンが中国のフェミニズムを推進した』と言うのなら、私は『自分は異性愛だ』と言明する」と言った。私は麦子に何故かと問うと、麦子は「そういう言い方は、彼女たちから多くの運動の力を流失させるかもしれないからだ」と述べた。まじめな話、この回答に、私はいささか驚いた。私の心配は焦りに変わった。ひょっとしたら私はもっと繰り返し「私は確固としたフェミニストだ」と表明するべきだったのかもしれないが、私が心配なのは、レズビアンの活動家がこのままフェミニズム運動の中に埋没する、あるいはフェミニズム運動の中の「レズビアン」が主体性を喪失する――この欠落は、戦略的考慮にもとづいて主体に放棄したのかもしれないし、受動的に遮蔽されたのかもしれないが――ことである。

後に、私は会議で、このような観点を出したとき、すぐ「フェミニストレズビアン」たちの反対にあった。(……)会議に参加していた一人のフェミニスト学者は、「これらのフェミニズムの訴えを主張するのは非常に良い。けれども、レズビアンとしての身分を強調するべきではない。レズビアンであることを強調することは、公衆のフェミニズムに対する誤解を生じさせるし、そのような少数派のセクシュアリティは過度に強調するべきではない」と述べた。私が言いたいのは、これこそが私が心配している状況だということだ。


実際は、私が言いたいのは簡単なことである。

第一に、セクシュアリティ/ジェンダーの平等が基本的立場であり、LGBTであれ、フェミニズムであれ、セクシュアリティの権利であれ、どの陣営でも、これが、協力と共生の基礎である。(……)「一部の人が先に平等になる」、これが有効な戦略なのかどうか私は知らないが、少なくとも私は、それは有害な運動の理念だと思う。そうした理念は本当の圧迫と分離を作り出して、一部の人に他の一部の人のために道を譲らせ、既にある既得権益を打ち固め、作り出す。

第二に、運動の協力と結びつきは重要だが、主体の異なった訴えも、常に強調されなければならない。LGBTの訴えは異なるし、フェミニズムの訴えとレズビアンの訴えも異なるし、女性内部の訴えも異なる。人は多面的であり、ジェンダー平等の訴えも多面的であり、どの陣営も一枚岩ではない。普遍的に適用できるフェミニズムはなく、普遍的に適用できるセクシュアリティの権利もない。


上の文はフェミニズム運動のあり方も批判しているのだが、「女権之声」も、この文章に「閲読推薦、討論歓迎~」とコメントを付けて紹介しているので(2011.5.3)、中国のフェミニズム運動が、こうした議論を排斥しているわけではないようだ。

次の大頭「周縁の中の周縁に立つ」(大头「【专题】站在边缘的边缘」2013年5月20日)は、「フェミニズムレズビアングループ」を設立した女性の文である(以下の文も抜粋だが、上の文と同じく、LGBT運動に対する批判の箇所を茶色に、フェミニズム運動のあり方に対する批判の箇所をオレンジ色にしている)。

なぜ「フェミニズムレズビアングループ」を設立しようと思ったかという理由の一つは、同志運動に、ゲイが主導し、代弁する情況が深刻に現れているからだ。

公衆レベルでも、同志運動内部でも、「同志=ゲイ」、「同性愛=ゲイ」という理解がかなり一般的である。各地で「エイズ防止」の名の下に、大小の多くのゲイの組織が設立されたが、レズビアングループはその下に付属していて、「同志」の名の下に統合され、忘れられた。多くのレズビアンは、ゲイといっしょに会議をした時には発言権がなく、自分の意見が尊重されないという経験をしている。このままでは、レズビアンたちは焦りを感じ、信頼を感じられなくなりそうだった。そのとき、「フェミニズム」が、自己を確立し、ゲイとは異なる意見を確立する出口になった。

この一、二年、女と男の同志の分岐が現れた後、「レズビアンはよくしゃべる」と言う人が出てきた。これは、次の事実を無視している。レズビアンはもう長い間沈黙してきており、やっと話し始めたばかりだ。しかし、ゲイは今なお、至るところで中国のLGBT集団を代弁している(……)多くのゲイを中心とした組織は、現在「LGBT」という名前を付けている。これは流行していて、国際的な慣例にしたがっており、ポリティカル・コレクトであるけれども、「内部の差異を真に尊重し、理解する」というこの言葉の背後の意味を無視している。同時に、クィア理論に反対する組織者が「クィア」という名称を使っている(……)。

周縁の人が自らの権益を勝ち取るとき、一部の人は主流に入り込むことができるが、もっと多くの人が置き去りにされる。この「もっと多くの人」が、周縁の中の周縁である。すなわち、お飾りとしての「LTB」、辺鄙な地区、経済的状況が良くないLGBT、などなどである。同時に、運動の目的が結局、人の解放――個人の自由・自信・理解の獲得であるのか? それともいささかの量化した結果、たとえば同姓婚姻合法化? であるのか? この点から見て、現在の中国の同志運動は、異なった理念が存在しており、まだ討論がまったく不十分である。


フェミニズムのほうを見ると、奇異なことに、フェミニズムのアクションに参加したら、レズビアンたちは、広義の「女性」の中に身を隠してしまう。レズビアンの運命と異性愛の女性の運命は完全に同じであるかのようだが、実際はもちろんそうではない。「性別」と「性的指向」(カムアウトの圧力を考えてみよ)との二重の抑圧が、私たちの身の上にかぶさっている。このことは、レズビアンの、LGBT運動とフェミニズム運動の中での二重の苦境、二重の失声をもたらしている。

それゆえ、私たちは誰であるかをはっきりさせて、「レズビアン」と「フェミニズム」と「同志」との関係をはっきりさせ、自らの主人になって、相互に尊重するという前提の下で異なった運動と同盟を結ぶ、これこそが未来の方向である。私は誰なのか? それは、単なる「フェミニスト」と「同志」との間を移動するレズビアンの組織者ではない。二重(多重)に抑圧された中で生活している一人一人のレズビアンには語らなければならないことがあるのだ。みんなの経験を集めてこそ、運動のあり方が次第にはっきりし、豊富になる。

積極面を言えば、周縁は力を持っている。なぜなら、失うものは、本当に鎖だけだからである。レズビアンは、男権的社会に対して感情上のニーズもなければ、現実的な利益も得られないのだから、幻想を最も持っておらず、それゆえ、最も勇敢で、最も革命性を持っている。性別と性的指向の二重の反逆は、家父長制的体制を揺るがしうるものでもある。その前提は、私たちがもっと勇敢で、もっと自由で、もっと知恵を持たなければならないということである。



本ブログで以前述べたように、中国の若い行動派フェミニストには、レズビアンなどのセクシュアルマイノリティが多いという特徴があるが(「若い行動派フェミニストたちのネットワークの幾つかの特徴」)、上の文を読むと、その背景として、中国では、同志運動の中の男性中心主義に対する反発から、フェミニズム運動が生まれたという面があるように思う。日本では「新左翼運動の性差別への反発からウーマン・リブが生まれた」と言われるが、それと似たようなものなのだろうか?

それはともかく、その後、フェミニズムとレズビアンの問題に関しては、『クィア レズビアン タイムス』でも他の方が自らの経験や考察を発表しているし、若い行動派フェミニストたちの助言者である呂頻さんも応答している(8)。今後どのような形で議論が展開するのかは、同様の問題を抱えていると思われる日本にいる者としても注目に値すると思うので、今後またご紹介したい(こうした問題は、もちろんフェミニズム運動だけの問題ではないし)。中国の場合、当初からレズビアンであること自体は、とくに隠していない(ただし、メディアなどには宣伝しない)という状況なので、興味深い展開が生まれるかもしれないとも思う。

ただ、若い行動派フェミニストたちが4月6日から15日におこなった西北巡講(李麦子ら)の途上でのパフォーマンスアートでは、就職差別反対のアクションが男でも女でもない「東方不敗」の扮装でおこなわれた(前年は「花木蘭」という女性の扮装でおこなった)し、レズビアンの結婚式もおこなった(詳しくは本ブログの記事「ジェンダー平等活動グループの活動家が西部の都市を巡回講演」)。こうした変化は、『クィア レズビアン タイムス』で小燕さんや大頭さんがおこなった異議申し立てと何らかの関係があるのかもしれない、と思う。

(1)Damien Lu(星星)「同志问答:什么是“酷儿理论”?它与同志运动有什么关系?」爱白网。この文は、発表された日時が書かれていないが、別のサイトに掲載されている同じ文(「同主题阅读:同志问答:什么是“酷儿理论”?它与同志运动有什么关系?zz」)は、2011年8月26日に掲載されている。
(2)この名前を名乗っている理由はよくわからないが、彼女たちが微博の中で、「月に代わって差別をなくす!」(2011.12.18)とか、「風が強い闇夜の深夜、美少女戦士レズビアンは、空から現れる/この上なく麗らかな明け方、美少女戦士レズビアンは、空から現れる/薄暗いたそがれに、美少女戦士レズビアンは、空から現れる/もう黙ってはいられない瞬間には、いつも美少女戦士レズビアンが空から現れる!」(2011.12.18)とか、「私たちは、月に代わって男性を出発点とした言葉をなくさなければならない。私たちは闘いを宣言しているのよ!」(2011.12.19)と述べているところから見ると、「美少女戦士レズビアン」は、「匿名の女性の正義の味方」といった程度の意味のように思われる。
(3)これは、les+の問いに答えたものなので、より詳しくは、「1月5日les+微访问美少女战士拉拉实录」(les+的blog2012年1月6日)参照。また、「美少女战士拉拉的微博」の発信とそれをめぐる議論のある程度の部分は、微博そのものにアクセスしなくとも、「美•少•女战士拉拉的博客」に、「微博精读:拉拉在LGBT社群中的边缘化地位」、「微博精读:“正面”的同性恋形象」、「 微博精读:酷儿本土化」、「微博精读:同运与艾滋病」、「微博精读:跨性别」、「微博精读:性别规范」、「微博精读:同性恋是一种选择?」、「微博精读:双性恋」、「微博精读:同性婚姻」、「微博精读:女大学生“占领男厕所”」、「微博精读:中国的“同志运动”」、「微博精读:酷儿政治」、「微博精读:对拉拉的定义」、「微博精读:同性恋是天生的?」、「微博精读:同性恋的唯一性」、「微博精读:同性恋的“科学”解释」、「以女性主义角度看问题」として、テーマごとにまとめられている。
(4)华人拉拉联盟委员会「华人拉拉联盟关于酷儿理论争论的声明」同語サイト2011年12月25日。
(5)崔子恩については、白水紀子「中国同性愛小説の作家とその周辺」(山田敬三先生古稀記念論集刊行会編『南腔北調論集―――中国文化の伝統と現代』東方書店 2007年)p.548-557に詳しい。その他、私は読めていないが、郭晓飞「本质的还是建构的?――论性倾向平等保护中的“不可改变”进路」2011年12月28日 (来源:『法学家』2009年第1期)と二言「同性恋:本质还是建构?」二言的日志2011年12月25日とが対照的な議論をしているようだ。
(6)彼女たちに大きな影響力を持つ、女性メディアウォッチネットワークの『女声』誌も、すでに論争中から、「美少女戦士レズビアン」の微博が「クィア」論によってレズビアンの代弁者として登場したことや華人レズビアン連盟が上記の声明を発表したことを好意的に報道していた(「“美少女”激荡同志圈」『女声』第105期(2011.12.26-2012.1.3)[word])。
(7)麦子家的微博2012.4.21。李麦子さんがもう一つ、NGO業界の問題の具体的な事例として挙げたのは、恩派(NPI)公益組織発展センターが企画したお見合いの件である。李麦子さんは、このお見合いのプランがジェンダーステロタイプだったので、それに対して多くの人が微博で異議を出したけれども、黙殺されたこと、そこでやむなく、数人の女性が当日ビラまきをしたら、主催者に包囲攻撃され、「場を壊した」と非難されたこと、その後いったんは主催者が「反対者と一緒に総括会議をする」と言いながら、実際は彼らだけで総括会議をしたことを批判している。李麦子さんは、「NGOの間は垣根を打ち破らなければならない」と述べている。この件については、吕频「相亲非公益 “幸福”是迷思?——我为什么质疑“公益相亲会”和“新幸福主义”」2012-04-13も参照。
(8)大兔[鄭楚然]「【专题】在女权圈中,直着进来,弯着出去」酷拉时报2013年5月6日、Stephanie「【专题】女权拉拉——如何消解身份名词」酷拉时报2013年5月14日、文\Holly 编\典典「【专题】 后现代的“玩”身份政治」酷拉时报2013年5月16日、吕频「关于女权和拉拉」社会性別与発展在中国2013年5月22日。
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://genchi.blog52.fc2.com/tb.php/433-1d9cad11
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

プロフィール

遠山日出也

Author:遠山日出也
 検索から来られた方へ:このブログの記事を分類した一覧である「『中国女性・ジェンダーニュース+』記事総覧」を見ていただくか、下の「カテゴリー」欄を使われると、関連情報がご覧いただきやすいと思います。最近の行動派フェミニストについては、「中国の行動派フェミニスト年表、リンク集」をご覧ください。
 また、「中国女性・ジェンダー関係リンク集」(リンク集)も併せてご覧いただければ幸いです。
 恐れ入りますが、スパム対策などのため、コメントは私が拝見した後で表示させていただきます。
 私への連絡はtooyama9011あっとまーくyahoo.co.jpまで。

最近の記事

月別アーカイブ

カテゴリー

最近のトラックバック

最近のコメント

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード