2017-05

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婚姻内での強姦罪を否定する判決とその論理

 一昨年、広東省仏山市で、ある女性が夫に強姦されたことを告発しましたが、昨年、裁判所は無罪の判決を下しました。

事件の経過

 2010年12月に『広州日報』が報道したところでは、事件は以下のようなものでした。

 李某さん(男)と張某さん(女)は、2005年9月、結婚しました。しかし、2009年初めから、2人は離婚騒ぎを起こすようになり、3月からは、同じ家の中の別の部屋に住むようになりました。

 4月8日、2人は家の中でまたケンカをし、そのとき、李さんは張さんと無理やり性的な関係を持ちました。その際、カーテンが半分開いており、張さんが反抗する叫び声が隣に住む人にまで聞こえたので、隣の人は警察を呼び、警官は2人から調書を取りました。

 翌日、張さんは夫が牢に入れられることを恐れて、派出所に行って李さんの責任を追及しないように言ったものの、4月21日、張さんは警察に夫の刑事責任を追及するよう要求し、同日、裁判所に離婚訴訟も起こしました(1)

無罪判決――夫婦には「同居の義務があり、性生活は夫婦の共同生活の構成部分である」、夫を強姦罪で処罰するのは「わが国の倫理風俗と合致しない」

 広東省仏山市順徳区法院は、夫の強姦について、「無罪」の判決を下しました。その理由は、以下のとおりです。

 正常な婚姻関係の存続期間においては、夫婦のいずれの一方も、もう一方に対して同居の義務があるが、性生活は夫婦の共同生活の構成部分である。このような状態において妻と無理やり性的関係を持った夫を強姦罪によって刑に処するのは、事実および法律に反し、またわが国の倫理・風俗と合致しないので、夫を強姦罪の主体にすべきではない。

 この事例を見ると、被告人の李某と妻の張某とは『離婚で騒いでいた』とはいえ、双方は当時はまだ裁判所に訴訟を起こしたり、民政部門に行って関連する手続きをしたりはしていなかった。事件が発生した後になって、はじめて張某は被告人の李某と感情が破綻したことを理由にして離婚訴訟を起こした。それゆえ、法律の規定にもとづけば、被告人の李某が強姦罪をおかしたとは認定できない。

 (裁判官の補足の話)婚姻状況が正常でない情況、たとえば別居したり、離婚訴訟を提起している期間は、双方はすでに法律的に保護された夫婦関係にはなく、夫婦間の権利と義務は基本的に終わって、夫婦関係はすでに不確定な状態にある。この時には、夫が妻の意思に反して妻と無理やり性的関係を持つことは、他の女性を強姦する社会的危害と本質的区別はなく、強姦罪として処罰することが法理と情理に合致している(2)


 呂頻さんによると、最高人民法院はすでに判例選集の形式で、「婚姻関係が正常に存続していない期間」、すなわち離婚訴訟期間などの場合しか、夫は強姦罪の主体になりえないと説明しているそうです。それに対しては、つとに「婚姻関係が正常に存続している(いない)期間」という概念は法律的根拠のない曖昧な概念であるという指摘がなされているそうですが(3)

さまざまな婚姻内強姦罪否定論とそれに対する反論

 今回、この判決をめぐって、新聞紙上などでも、判決を支持して「一般に婚姻内では強姦罪は成立しない」とする主張やそれに対する反論が掲載されました。

○「性行為は配偶者間の権利であり、義務でもある。」「法律は夫婦間の性行為の時間・地点・方式・方法に干渉しない。」

 中国刑法学会理事で華南理工大学法学院副院長の徐松林教授は、以下のように述べました。

 わが国の刑法学の理論の通説によると、「婚姻内強姦」の行為は一般に「強姦罪」によって処罰するべきできはない。主な理由は、以下の3つである。

 第一に、婚姻関係が存続している期間は、性生活は夫婦生活の重要な内容である。性行為は配偶者間の権利であり、義務でもある。夫婦間の性行為は法律の保護を受け、法律は夫婦間の性行為の時間・地点・方式・方法に干渉しない。

 第二に、夫婦生活には、たしかに一方が相手が望んでいない状況の下で性行為を強要する状況があるけれども、これは夫婦間の性道徳の問題にすぎない。強制した側は道徳的な譴責を受けなければならないが、犯罪ではない。強制された側は、夫婦生活の不調和を理由にして離婚の訴えを起こすことができる。

 第三に、一方が配偶者の意思に反して性的関係を強要した場合、もし情状が劣悪ならば、「強姦罪」にはならないとはいえ、他の犯罪になりうる。もし一方が長期にわたって暴力を使って配偶者に性的関係を強制し、配偶者の心身に重大な傷害を作り出したのなら、具体的状況にもとづき、「虐待罪」あるいは「故意傷害罪」に当たるとして処罰できる。

 しかし、「婚姻内強姦」は一定の条件の合致するとき、「強姦罪」によって責任を追及できる。それには主に2つの状況がある。
 1.双方が結婚証を受け取ったけれども、共同生活をまだ開始していない(農村では俗に「過門(輿入れ)」と言う)。この時に、一方が結婚を後悔して離婚訴訟を起こしているのに、もう一方が暴力を使って性的関係を強制し、被害者の心身が重大な障害を受けた場合。
 2.双方の感情が破綻して、長い間別居しており、離婚訴訟がおこわれている間に、一方が暴力を使って相手に対して性的関係を強制し、被害者の心身が重大な障害を受けた場合。

 上述の2つの状況が強姦になるのは、主に夫婦生活は「形式」(結婚省を受け取る)だけではなく、「実質」(共同で生活する)が必要だからである。(……)

 この事件については、李某と張某は長い間別居していたのではない。同じ室内で別のベッドで寝ていたことは「別居」とは見なせない。感情もまだ破綻しておらず、暴力行為も離婚訴訟の期間ではなく、離婚訴訟の前に発生しており、そのうえ張某は事件発生後の翌日、派出所に行って李某のためにとりなしているという情状もある。刑法の謙抑の理念および「婚姻内強姦」の基本的法理により、この事件は「強姦罪」として処罰するべきではない(4)


反論①――性の自由と性の尊厳は人格権だから、本人だけが行使できる。一方が他方の人格を支配する権利はなく、どちらの人格も義務の客体にはなりえない。

 徐松林教授の主張に対しては、次のような反論が出ました。

 「私には、『性行為は配偶者間の権利であり、義務である』という主張の法律的根拠がどこにあるのか、まるでわからない。」「わが国の婚姻法をひもといても、筆者には、性行為は『配偶者間の権利であり、義務である』というような条文を見つけることはできなかった。」

 「民法の人格権の理論では、性の自由と性の尊厳は、人格権の重要な構成部分である。人格権が財産権と異なるのは、本人だけが自由に行使できて、いかなる他人の支配も受けないことである。この認識にもとづけば、たとえ男女が夫婦の関係になっても、彼らは依然として各自の人格を有しており、どちらにも、もう一方の人格を支配する権利はない。また、どちらの人格も、義務の客体にはなりえない。妻を夫の『性奴隷』とする概念、『夫は妻に強制してよく、妻は夫に性的サービスを提供する義務がある』という観念は、封建的な腐りきった観念であり、とっくに現代の民法理論が打ち捨てた、現代の文明社会に合致しない倫理観念である。」(5)

反論②――「個人のプライバシー」だと言うが、家族成員間にも傷害・虐待・遺棄などの罪が、被害者を保護するためにある

 徐松林教授は、「法律は夫婦間の性行為の時間・地点・方式・方法に干渉しない」と述べましたが、ほかにも、「婚姻・家庭の結合は、セックスの関係も含んだ結合であり、夫婦の間でどのようにセックスをするかや、セックスの回数は感情の上のことであり、非常に微妙で、公権力が捉まえうることではない」(6)と述べる人もいました。

 こうした、性行為をすべて夫婦間のプライバシー扱いして法律の介入ほ否定する議論に対しても、中国政法大学の呉丹紅准教授は、以下のように反論がしました。

 「性生活は個人のプライバシーの範疇であり、個人あるいは家庭の自治領域であり、公権がいったん私権の空間に介入することには危機感を覚えると考える人もいる。しかし私個人は、婚姻内強姦を言い渡すことと、公権力と私権の衝突とは無関係だと考える。刑法は社会に危害を与えるいかなる行為も懲罰する。家族のメンバーの間に起きた傷害・虐待・遺棄などの罪は、まさに被害者を保護するものではないのか? 夫が暴力的手段で妻に性行為を強制し、重大な結果を引き起こした場合は、それ自身が刑法の保護の範囲であり、なんら新しい罪を創設する必要はない。/当然、公権力の濫用を防ぐためには、婚姻内強姦の規定を『告訴があった場合だけ処理する』とし、起訴を決定する権力を被害者に持たせることもできる。」(7)

○妻が夫を陥れる危険があるから「家庭の調和や社会の安定にとって不利」

 楊濤さんは、「家庭の調和や社会の安定」という観点から、次のように述べました。

 法律は必ず家庭と社会秩序の安定を考慮しなければならない。(……)もし婚姻内強姦罪を一方の頭上に高く掲げて、もう一方が『性』を相手を報復・懲罰する手段にしたら、家庭の調和・安定と長期にわたる社会の安定にとって不利である。家庭の安定という角度から見ても、随意に『婚姻内強姦の罪』を規定すべきではない。(8)


反論――妻が夫を陥れる可能性は、妻が婚姻内強姦に遭ったのに法律の保護が得られない可能性よりはるかに小さい。

 呉丹紅准教授は、それに対して、以下のように反論しています。

 「この理由も早くから『夫は[強姦罪を]免除する』という刑法の立法者が心配した点で、すなわち夫が妻に陥れられないように保護するということである。このような仮設の状況においては、妻は夫に対する不満や恨みの報復によって強姦を訴える。けれど、強調しなければならないのは、強姦罪の認定は、被害者の陳述以外に、物証など他の証拠が必要であり、たった一つの証拠では強姦罪は認定されないということである。実際には強姦が起きていないのに告発をする者は、誣告罪になる危険があるだけでなく、証拠が足りないという問題もあるため、成功する可能性はあまりない。私の見るところ、夫が陥れられる可能性は、婚姻内強姦に遭ったのに法律の保護が得られない女性が傷つく可能性よりも、はるかに小さい。」(9)

 以上のような婚姻内におけるの成立強姦罪を否定する主張は、要するに、夫婦の一体性やプライバシー、「家族の安定」、公私の分離を強調するものでした。また、「権利と義務」を一般的に論じることによって男女間の力関係を覆い隠したり、妻が夫を陥れるという危機感を表明したりしたりするもので、その意味で男性(夫)中心主義的なものだとも言えましょう。

○「血は水よりも濃い」「和を以て貴しとなす」という「中華民族の伝統的観念」を尊重すべき

 判決にも、夫を強姦罪で処罰するのは「わが国の倫理風俗と合致しない」とありましたが、はっきり「中華民族の伝統」を言う人もいました。

「わが国は肉親の情の関係が非常に濃い国家であり、『血は水よりも濃い』『和を以て貴しとなす』は中華民族の伝統的観念である。わが国の現在の情況の下で、『婚姻内強姦』事件を処理する際は、必ず中華民族の伝統文化を尊重し、また事件の処理の社会的効果を重視しなければならない。(……)家庭は社会の細胞であり、肉親の情の関係が非常に濃い家庭の雰囲気の中では、婚姻関係が正常に存続している期間は、どの妻も家庭を破壊して自分の夫を監獄に入れようとは思わない。(……)夫が出獄したのちは、妻に対する恨みから、正常な婚姻家庭が引き続き揺らぎ破壊される。事件処理のこのような効果は、国家と社会も期待することろではない。このように考えると、筆者は、わが国で『婚姻内強姦』事件を処理する際は、『夫は免除』を原則とし、『夫も同じ罪』を例外にすべきだと主張する。」(10)


 けれど、もちろん「夫は[強姦罪を]免除」してきたのは、中国に限った話ではありません。呉丹紅さんが「国外の刑法でも、『夫は免除』という伝統はある」、「中国の前近代であれ、西洋の前近代であれ、伝統的社会は女性を男性の家族に付属した私有物と見なして、夫の性の特権が女性の性に対する意志を遮断した。これが『夫は免除』立法の社会的基礎である」(11)と述べているとおりです。

 また、もちろん日本と中国は違いますが、「血は水よりも濃い」や「和を以て貴しとなす」が強調される点は日本も同じなので、単なるナショナリズム的な主張であるように思います。

長年の議論にもかかわらず変わらない中国の立法と司法。「わが国の倫理・風俗」とは何か?

 呂頻さんは、次のように述べています。

 「あるべき人権の角度から言えば、人権の保障には公私の領域の区別はなく、家庭内暴力の懲罰の強さは、一般の人の間の暴力と同等であるべきだということは、1993年のウィーン会議が『女性の権利は人権である』と提起して以来、すでに国際的な共通認識である。『夫に対しては強姦罪を免除する』ことを廃止することは、国際的な法律改革の趨勢であり、アメリカ・イギリス・ドイツ・台湾……調べることができただけでも、これらの国家と地区はすでに近年、夫は強姦罪の主体にならないという規定と実践を廃止した。中国では、ここ十年余り、関連する法理についての弁論はかなり激しく、婚姻内の強姦を懲罰する観点のほうが明らかに優勢であるのに、立法者と司法者は、このような弁論に対して耳を塞いで聞こうとしない。立法の面では、新刑法はすでに8回改正されたのに、この点は何ら変わっていない。司法の面で興味深く話されるのは、相変わらず、1997年の夫が強姦罪で執行猶予に処せられたという例[注:離婚訴訟中]であり、大部分の婚姻内の強姦は法の網を逃れてのうのうとしており、まったく法律の手続きにさえ入っていない。」

 「秘密は、順徳区法院が強調している『わが国の倫理風俗』にもあるのかもしれない。なぜ婚姻内強姦を懲罰することが中国の倫理風俗を反するのか? 『娶った嫁と買った馬は、乗ろうが殴ろうが思うまま』、こうした伝統的倫理は、当然婚姻内強姦を承認しない。しかし、私たちは、それはとっくに時代遅れで、唾棄されるべきものだと考えたのである。――いや、実は、それはまだなくなっておらず、婚姻内強姦という問題においては、妻は無条件に夫に従わねばらなず、夫は妻を性の道具にしてよいという思想が、まだ中国の法律と司法の実践を支配しているのだ。」(12)

 呂頻さんも述べているように、婚姻内強姦の問題は、1990年代から中国でも繰り返し議論されてきました。1990年に『婦女生活』誌で婚姻内強姦が議論された際に李循さんが書いた論文は日本語にも翻訳されています(田畑佐和子訳「『婚姻内強姦』についての私の意見――女性の人権としての性――」秋山洋子・江上幸子・田畑佐和子・前山加奈子編訳『中国の女性学』頸草書房 1998年)。李循さんの論文も併せてお読みいただければわかりますが、その頃から、論争の内容もあまり変わっていないようです。

 ただ、今回のように、実際に婚姻内強姦を訴えたことがニュースになり議論を巻き起こしたのは、少なくとも近年においては私の記憶にはありません。今回、そのぶん、婚姻内強姦否定派の論理も新聞をにぎわしたわけですが、「性行為は配偶者間の権利であり、義務でもある」という言葉は、加害者にとっては「強姦する権利」、被害者にとっては「強姦される義務」ということに他ならないわけですから、本当に怖いと思いますが、婚姻内強姦に対する司法の姿勢は日本も中国とほとんど変わらない水準ですし(13)、もちろん他人事ではないと感じます。

(1)男子“婚内强奸”被判无罪 专家称性也是义务」人民網2010年12月7日(来源:広州日報)。
(2)同上。
(3)呂頻「“婚内无奸”?——法律仍在赦免暴力」網易女人2010年12月8日。
(4)专家谈“婚内强奸”认定:须具体问题具体分析」中国新聞網2010年12月6日(来源:人民法院報)。
(5)婚内强奸不是罪很荒唐!」網易新聞2010年12月8日(来源:新京報)。
(6)楊濤「“婚内强奸”罪与罚须平衡各方利益」華声在線2010年12月9日。
(7)吴丹红:婚内强奸定罪,这个可以有」南方報業網2010年12月21日。
(8)(6)に同じ。
(9)(7)に同じ。
(10)法制时评:“婚内强奸”的罪与非罪」網易新聞2010年12月10日(来源:広西新聞網)。
(11)(7)に同じ。
(12)(3)に同じ。
(13)もっとも、今、ネットで検索してみると、2007年に「[婚姻関係の]破綻の有無にかかわらず,夫婦間でも強姦罪が成立することを正面から認めた東京高裁の裁判例」があるとのことです(その裁判が扱った事件自体は、すでに婚姻関係が破綻していたそうですが)(hakuriku「妻に対する強姦罪の成立」2009-05-09)。
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