2017-06

林さんへのお応え――「自分はWANのために何ができるか」という問いをめぐって――

日本女性学研究会でご一緒してきた林葉子さんが、「WAN(ウイメンズ・アクション・ネットワーク)のこと」という文をお書きになりました。

その文の中で林さんは、「『WANの今後を、どうすればいいのか』という問題は、やはり他人事としてではなく、『自分は、WANのために何ができるか』という形で、皆さんに答えてほしい」(以下、便宜上、林さんの主張を赤字にしています)と問いかけられました。そのコメント欄に私が書き込んだコメントの中で、私は、「私はユニオンWANの支援者で、WANの会員ではないのですが、WANには発展していただきたいと思っていますので」という前置きをして、まず、以下のように述べました。 

第一に、私は、WANを発展させるには、広く投稿を集めることが効果的だと思いますので、もし私がWANという場で訴えたい問題が出てくれば、自らWANに投稿してみようと思います。

第二に、私は、先々月、わずか2000円ですが、カンパをしました。それ程度のものは既にWANから得ていると思ったからです。また、私は、自発的なボランティアの方にも、少なくとも(「賃金」とまではいかなくても)何らかの手当を払ったほうがいいように思いますので(私は、とりあえずそんなふうに思います)、今後も、ささやかながら財政的に貢献するつもりです。まして、もし自らが投稿したならば、掲載(+審査)作業の「賃金」に相当するお金を払うつもりです。

WANへの記事の投稿と「掲載料」について

この私のコメントに対して、林さんから、「WANのこと(2) 遠山さんのコメントにお応えして」という応答をいただきました。その中には、以下のように書かれていました。
第一の点については、私も全く同意見です。(中略)

ただ、第二の点として挙げられた掲載料の件は、その第一の点と、矛盾しないでしょうか?

現時点でさえ、WANでは、おそらく投稿記事の不足に悩んでいます。

それは、投稿なら何でも良いというわけではなく、WANの趣旨に沿った投稿を求めているために、そのような条件をクリアできる記事を集めるのが難しい、というようなことが背景にあるだろうと私は想像しています。

ですから、掲載料を取るとなったら、WANは、いっそう記事不足に悩まされることになるだろうと私は思います。

また、記事不足という問題だけでなく、掲載料というハードルを設定することによって、経済的に困窮している人の意見を載せにくくなる、という事態が考えられます。

これは大問題で、私が考えるに、投稿のしやすさがその人の経済力によって左右されるという事態は、絶対に避けるべきことです。

ですから、掲載料の徴収というアイデアについては、私は賛成できません。


まず、私は、WANに投稿記事が少ない原因は、「そもそもサイトで投稿を呼びかけていない」ということが大きいと考えています。投稿規定すら、WANのサイトのどこにも掲載されていません。投稿規定も書かれていないような雑誌やサイトに投稿する人は、ほとんどいないと思います。私は、「WANは、投稿を受け付ける体制はまだできていないのだな」とずっと理解していました。私が初めて自分も投稿できると知ったのは、2000円カンパしたときのお礼に同封されていた文書に、「投稿もお待ちしています」という一節があったのを見たときです。ひょっとしたら以前から会員には投稿が呼びかけられていたのかもしれませんが、外部からは、会費を払って会員になれば投稿できるのか否かさえわからない状態です。

投稿を呼びかければ、ある程度、投稿する人は出てくると思います。なぜなら、個人ブログを持っていない人もいますし、個人ブログを持っている人でも、個人ブログでは訴えられる範囲に限界があるからです。実際、林さんも「個人が作るブログではやはり力不足で、歯がゆく思うことも多かった」と述べておられますし、私が投稿しようと思ったのも、同じ気持ちからです。まさか、そういう気持ちの人が私たち2人だけということはないでしょう。

また、私は、「掲載料を徴収すべきだ」(まして一律にそうすべき)とは主張していません。私は、「もし自らが投稿したならば、掲載(+審査)作業の『賃金』に相当するお金を払うつもりです」と述べているのです。このように述べた理由は、林さんの問いかけが、「『WANの今後をどうすればいいのか』という問題は、やはり他人事ではなく『自分は……何ができるのか』という形で、皆さんに考えてほしい」というものだったので、私は、「WANはどうすべきか」ではなく、「自分」はどうするかを述べたのです。

私自身は、「投稿料」の規定の有無にかかわらず、その対価にふさわしいカンパはするつもりです。その理由は、個人ブログでは力不足だからWANに掲載していただくのだし、掲載作業をする人に貴重な時間を使っていただいたのだから、対価を支払うのは当然だという気持ちがあるからです。

また、私は、他の方にも、上のような理由から、投稿料を払うことを呼びかけたい気持ちもあります。規定まで作る必要があるかどうかはわかりませんが、もし規定を作るとしたら、もちろん、法人の会員のほか、経済的に困窮している方に対しても、減免すべきでしょう。年収次第で負担を変えるというのは、今回の林さんご自身の文にもありますし、さまざまな場で行われていることですから……。依頼原稿はどうするかなどの問題はありますけれども。

もちろん、もし掲載料の支払いが慣習化でもすれば、無料が原則である場合に比べれば、心理的なハードルは上がるでしょう。しかし、自分のサイトに自分の記事を掲載する場合と違って、他人に掲載していただくのだし、広く訴えられるのですから、私は、「労働には対価を」という気持ちは大切だと思っています。

もちろん実際にうまくいくかどうかはわかりませんが、今回の林さんの文を拝見するかぎり、林さんは、ボランティアの労働の有償化を検討に値する一つの案と考えておられるようですので、原稿掲載という労働に対して受益者が代価を払うことに理解を求めることも、検討に値すると思います。

カンパなど、私の金銭的支援について

林さんは次のようにおっしゃっています。

遠山さんが第二の点として述べられたことのうち、カンパとボランティア・スタッフの「手当」について、私の意見を述べます。

まず、遠山さんが2000円のカンパをなさったということは、私が想像するに、心づくしの、誠意の表れであった、と思います。

私たち若手研究者にとって、2000円という額は、決して小さいものではありません。

現在、ネット上の情報は、ほとんどが無料で提供されているわけですから、遠山さんが、それでもなお2000円を支払っても良い、とお考えになったということを、私はボランティア・スタッフの一人として、重く受けとめたいと思います。

しかし、2000円という額は、私が想像するに、WANの有償労働者の一人である遠藤さんの一時間分の時給と、ほぼ同額でしょう。

つまり、遠山さんが心づくしの2000円をカンパしてくださっても、それだけでは、資金面での不足を補うには、まったく足りていない。

もちろん遠山さんだけでなく、多くの人がWANに強い関心を持って、特に経済的な余裕のある層の人たちが、これから先も、どんどん、まとまった額を寄附してくださるならば、状況は変化するかもしれません。

けれども、それも現時点では「そのようなことがあったらいいな」という夢想にすぎないわけで、不況不況と叫ばれている現在、そのような事態の好転というのは、なかなか考えにくいことです。


私が、先々月、2000円カンパしたのは、私が書いたように、純粋に「その程度のものは既にWANから得ている」という理由からです。すなわち、WANの財政状況や賃金問題をまったく考慮しなくても、サイトからの「受益」の面だけで、半年あまりの間にそれくらいの利益を得ていると思ったからです。「資金面での不足を補うには、まったく足りていない」のは当然です。

私は、WANの社会的意義や財政状況、賃金の問題などを考慮すれば、もう少し払うつもりです。ですから、私は、そのすぐ後で、「自発的なボランティアの方にも……手当を……と思いますので、今後もささやかながら財政的に貢献する」と書いています。

なお、このカンパの件についても、私は、林さんが「『自分は……何ができるのか』という形で、皆さんに考えてほしい」とおっしゃっているからこそ、自分のことしか書いていないのです。もし、「WANとしてどうすべきか?」と聞かれれば、WANのサイトやweb会員に対するメールで、財政状況や社会的役割、スタッフの負担などについて率直に述べて、募金や会員拡大を訴えるとともに、意見や感想を求めればいいのでは? と思います。もしWANに意義を感じる人が多ければ、それなりの金額が集まるでしょうし、不満が寄せられたら、改善する参考にすべきでしょう。さまざまな意見をお持ちの方がいると思うのでして、たとえば、昨日は、macskaさんが意見を述べておられましたよね(労働争議でグダグダになってるWANを再生させる5つのアイディア)。そうしたさまざまな意見を参照なさればいいのではないでしょうか? 私自身も、スタッフブログに3回ほど意見を書き込んだことがあります。

さて、「自分は、WANのために何ができるか」という林さんの問いに対して、私は、コメント欄で、金銭面では、次の三つの行動を示したわけです。
(1)WANは私のためになっているから、すでにカンパした。
(2)ボランティアにも少なくとも手当はあったほうがいいから、今後も金を払う。
(3)まして自分が投稿したなら、掲載作業の「賃金」に相当するお金を払う。

しかし、林さんは(1)については、「重く受け止めたい」とおっしゃりつつも、「資金面での不足を補うには、まったく足りていない」とコメントなさいます。また、(2)(3)については、どう見てもマイナスにはならないことなのに、評価するどころか、批判のネタにしかしておられません。このような対応は、少し不可解です。

上でも触れているように、林さんは、一人一人に「『自分は……何ができるのか』という形で、皆さんに考えてほしい」と問いかけられました。そのような問いかけは、一人一人の自分を出発点にした答えが得られるという利点がありますが、誰であれ、自分1人でWANを救えるはずはない以上、その答えは、ごくささやかな実践になると思います。ですから、そのささやかな実践の中の一つ一つの芽を発展させなければ、せっかくの林さんの問いかけの意義が失われるのではないでしょうか?

なぜ、ボランティアに対しては、賃金でなく、「手当」という表現をしたのか?

また、林さんは、以下のように述べておられます。

もう一つ、遠山さんが第二点目として述べられたのは、「自発的なボランティアの方にも、少なくとも(「賃金」とまではいかなくても)何らかの手当を払ったほうがいいように思います」ということでした。

私はここで質問したいのですが、なぜ、遠山さんは、現在設定されているところの有償労働者と無償労働者の壁を取り払って「同一労働、同一賃金」の原則を貫く、というかたちではなく、「自発的なボランティア」には「(「賃金」とまではいかなくても)何らかの手当」を与える、というような表現をなさるのですか?

「自発的なボランティア」で、やりがいを感じているから、「(「賃金」とまではいかなくても)何らかの手当」で十分だ、と思われるのでしょうか?

しかしそのように、やりがいを感じているならば低い賃金で良い、という論理こそ、「やりがいの搾取」という言葉で批判されているところのものではないでしょうか?

WANにおける労働の問題を、「争議」を通じて徹底的に考え直し、もしも、その考え直した結果として「WANにおける労働の対価は賃金として支払われるべきだ」という原則を採用するならば、現時点においては無償で提供されているボランティアの労働力も、「同一労働、同一賃金」の原則に基づき、正当に、経済的な対価が支払われるべきだ、ということになります。


実は、私もこの箇所を書いた際に、林さんが指摘しておられる「同一労働同一賃金」という論点は思い浮かびましたので、悩みました(この問題があるからこそ、私はボランティア問題についての文献も読んで、いろいろ考えてみようと思ったのです)。ですから、私は、「少なくとも」という限定を付けましたし、「とりあえずそんなふうに思っています」とも書いていますよね。

なぜ「とりあえずそんなふうに思ったのか」という理由は、第一は、そもそもの出発点として、WAN(の理事会)が、ボランティアだけではサイトができないので、労働者を雇用したという経過があるからです。その結果として、現在は、「無償」労働者と「有償」労働者の2つにはっきり二分されているわけですよね? さらに、WANの理事会は、今後は、業者(仕事をするのは当然有償労働者)に委託するという方針なので、少なくとも当面はその2つの区分はそのまま継続させる方針だということになります。

私が、賃金と区別して「手当」と書いたのは、もちろんWANの財政のこともありますが、そのように完全に二分されているという現状を出発点にして考えた場合、ボランティアは完全に「無償」とするよりは、いくらかでも手当を払った方が「一歩前進」だと思ったからです。林さんは「やりがいの搾取」論によって私を批判なさっていますが、「やりがいの搾取」論は、報酬がゼロである状況を「究極」の悪い状態として批判しているのですから、少しでもお金を払うことはそれを一歩緩和していることになるので、その意味では、むしろ私の行動は、プラスだと思うのです。かえって全然もらわないほうがいい人もいらっしゃるかもしれませんが……(ただし、もらったものを募金すればいいという考えもあります)

もちろん、もしも私がそれで「十分だ」と言っているならば、批判が可能ですが、私は「少なくとも」と書いています。何より、その次の箇所で、私は、「まして、もし自らが投稿したならば、掲載(+審査)作業の『賃金』に相当するお金を払うつもりです」と、「自分」自身の行動としては、明確に「賃金」水準のものを提供すると書いております。

「手当」と述べた第二の理由は、ボランティアである林さん自身の前回の文章には、経済的な要求がほとんど感じられなかったからです。というのは、林さんご自身が、「ボランティア活動から得られる主たるものは、金銭ではない」と述べておられ、「無償の労働者が賃金を要求すれば……WANのような活動は、なりたちません」と述べて、有償化を完全に否定する見解を表明されていたからです。

ですから、私は、そうした林さんご本人の意思を尊重しつつ、「いや、そうはおっしゃっても、掲載作業をしていただくのだから、少なくとも手当はお支払いしたほうが……」などと思ったのです。もしも林さんご自身が経済的要求や「同一労働同一賃金」を強く訴えておられたら、私はそのような言い方はしなかったでしょう。

多くのボランティアの方の要求は、「賃労働者化」「同一労働同一賃金」なのでしょうか? 本当は林さんにも、そのような切実な要求があるのでしょうか? もしそうでしたら、そのことを求める活動を始めていただければ、と思います。みんなで、その実現のための方策も真剣に考えれぱいいと思います。

もしもそうしたボランティアの方々自身の要求活動がなければ、私が「スタッフのために使ってください」とカンパしたり、投稿原稿の掲載作業の賃金分を払ったりしても、スタッフの方のお菓子代になるくらいで終わってしまうと思います。

蛇足ですが、私は、WANが経済的に苦しいなら、理論的には、現在の有償労働者の賃金を引き下げても、「同一労働同一賃金」を実現するという方策もありうると思います。実際、非正規の運動の中では、「たとえ正規の賃金を引き下げても、同一労働同一賃金に」という言い方も時になされるわけですし。ただ、サカイさんの場合に顕著なのですが、現実にそれで生活を支えている人の賃金を引き下げるのは、困難だと思います。契約もあります。しかし、もしボランティアの方に切実な要求があるのでしたら、対話していただければと思います。ただ、「業者」で働いている労働者に対しては、「あなたがたの賃金を引き下げても……」と訴えるのは無理だと思いますが。

記事執筆の代価について

なお、林さんは、自分の記事について「何カ月にもわたって、企画し、準備をして、記事の執筆のための勉強もしてようやく書き上げた」ことを強調し、そのことを仕事の価値に結び付けておられます。

それはすごく楽しみです。

しかし、私が論じているのは、あくまでも、「掲載作業」などの労働に対する対価の問題です。それに対して、林さんが論じておられるのは「研究」の代価だと思います。この点も難しい問題ですが、私は、研究費用は、WANとは、とりあえず区別して考えるべきではないかと思っています。なぜなら、学術雑誌に原稿を発表する場合でも、原稿料は無料か非常に低額だからです。

研究費用の件は、非常勤講師問題や若手(女性)研究者の研究・生活保障の問題として論じた方が、現状では適切だと思います。それにプラスして、「ネットに発表しても業績として認められにくい」という問題もあるでしょうか?

非常に費用がかかっていて、かつ専門家向けの記事については、雑誌同様に、閲覧とか複写を有料にする方法もありうるとは思いますが、それはさすがにWANの目指すところでないかもしれません。

WAN争議の争点は? 署名の文言は?――理事会の行動への批判と今後のWANの構想とは別問題

また、私は、WAN争議にも触れて、以下のように述べました。

第三に、今回の争議を支援して、よりよい解決がなされるよう努力します。よりよい解決がされれば、WANの評価は高まるでしょうし、ボランティアの問題も問題化されやすくなると思うからです。もちろん、よりよい解決ために、理事側の意見もきちんと聞くようにします(実際、先日団交に出た目的の一つはそれでした)

それに対して、林さんは、以下のようにおっしゃっています。

遠山さんは「今回の争議を支援して、よりよい解決がなされるよう努力します」と書いておられます。

その後半部分、「よりよい解決」をめざすという点においては、私の立場も、まったく同じです。

ただ、私がよくわからないのは、遠山さんがおっしゃる「今回の争議を支援」するとは、具体的にどのような行為なのか、ということです。

私はここで、二種類の提案をしてみたいと思います。

以下に書く、二種類の、全く方向性の異なる提案は、あくまでも、現時点での「たたき台」としてのアイデアであって、決して、これら二つに絶対的にこだわっているわけではなく、よりよいアイデアがあれば、私はそれを受け入れるつもりである、ということを、まず最初に申し上げておきます。

一つ目の提案は、これまで「争議」で論じられてきた論理、すなわち「WANにおける労働の対価は、賃金として支払われるべきだ」という原則を採用する、という方向性です。

二つ目の提案は、それとは全く逆に、「WANにおける労働の対価は、金銭的な形では支払わない」という原則を採用する、という方向性です。

つまり、これら二つの、どちらを採用するかによって、WANのかたちは、まったく異なるものになるわけで、きわめて重要な決断が、私たちには迫られているわけです。

まず、一つ目の案を採用する場合、大事なのは「同一労働、同一賃金」の原則です。

その場合、これまでは無償で仕事をしていたスタッフも有償になり、それぞれの貢献度に応じて、賃金が支払われることになります。

ただしこの場合、容易に想像できるように、その賃金のための資金をどこから調達するか、ということが問題になります。
(WANは、これまでの何倍もの賃金を、スタッフ全員に支払うことになるわけですから。)

いままでもWANは大赤字で、おそらくこれからも、お金儲けとは縁遠いサイトとして運営されていくことだろう、と私は想像しています。

そうであれば、資金の調達は、現在の会費だけでなく、さらなる寄附に頼るほかありません。

では、誰がその寄附を行うべきか?

私は、まず第一に、WANを、そのような原則にのっとって運営すべきであるという方針を主張された方々、つまり、ユニオンWANを支援し、その署名をなさった方々に、まずは率先して寄附をしてほしい、と思います。

考えてみれば、「支援」とは、たいへん重い意味を持つ言葉です。

ただ口だけで「支援する」というのは簡単です。

けれど、それを単に言葉だけでなく、実践として表現しようとするときには、やはり「支援者」側も、何らかの痛みを負うことになるでしょう。

さいわい、ユニオンWANの「支援者」は、160人以上もいらっしゃいます。

しかし、「支援者」の経済状況はそれぞれに異なるでしょうから、たとえば、あくまで一例ですが、正規の職員として雇われている人(大学の専任教員など)や資産のある年金生活者の方々は、月々数万円のご負担、非常勤で働いている人には月々千円程度のご負担、無職の方には経済的負担は無し、というような区別は、当然、設定すべきだろうと思います。

そのようにして、実践として「支援」の気持ちを表現し、WANとユニオンWANの、真の「支援者」になっていただきたい。

そして、そのようなことが、もしも本当に実現すれば、それは私自身にとっても、とてもありがたいことです。(以下略)


ユニオンWANのサイトをご覧いただければわかるように、ユニオンWANが今回、問題しているのは、「労働条件切り下げに直結するウェブマスター解任を、一方的に決定済の事項として伝えられ、仕事を取り上げられた」「今後の団交では労働条件を協議することになっていたのに、その団交の直前に退職勧奨をされた」などのことです。

また、WANの有償労働者で、今回退職勧奨を受けているカサイさんの訴え(「カサイの気持ち」)を読まれましたか? そこには、以下のように書かれています。

「この間の事情の説明」との文書の中で、理事会はわたしの仕事について【実は、これまでも、ご勤務の時間に見合う仕事量はなかったのですが、サイトを活性化し会員や寄付を増やす努力をして、Bさんの能力と労働時間に見合った仕事を作っていくべきと考え、雇用を維持してきました。】と「説明」されています。これはわたしにとっては大変な衝撃でした。(下線は遠山)



つまり、退職勧奨をする根拠になった状況について、ご本人とは何ら話し合われないままに、会員に対する事情説明文書が出されているのです。こうした点からだけでも、少なくとも整理解雇の4要件の一つである「説明責任」がなおざりにされていることは明確です。

以上のようなWAN争議の争点と、林さんがおっしゃるような、「WANにおける(すべての)労働には、賃金が支払われるべき」という議論とは別の問題です。

林さんは、WANの今後について、次のような2つの選択肢で考えておられるようです。(1)WANの労働はすべて有償にする=争議の支援者はみなこの考え方、(2)WANはすべてボランティアが無償で運営するようにし、その程度にWANの規模を調整する。

しかし、たとえば、当然、「ボランティアと有償スタッフが併存する」という考え方もあるわけです。そういう考え方であっても、今回の争議を支持する選択肢は当然あり得ます。たとえば、WAN争議に対するご見解はわかりませんが、「こちゅかる子」さんは、ご自分は無償のスタッフだったけれども、無償の職員とは別に有償の職員を置くことには理解を示しておられますし、有償の職員が労働者としての権利を主張することは「非常に大切だ」と述べておらますよね。逆に、「ボランティアも賃労働者化すべきだ」と思っている人でも、今回の争議では、ユニオンWANを支持しないことも十分あり得ます。また、業者によるサイトリニューアルを評価するならば、争議は支援できないかと言えばそうではなく、遠藤さん自身、「リニューアル計画がどんなに画期的であったとしても,それは,突然一方的に仕事を取り上げた上に,不利益変更をおしつけてきたり,労働条件の交渉中に一方的に事務所閉鎖を通告し退職勧奨をおしつけてきたり……することを,正当化できるものではありません」と言っておられます。

「争議を支援する」という意味は、当然、今回の争議の争点について労働者側を支援するという意味です。私は、ただ口だけで「支援する」と言っているのではなく、実際に時間を使って団交に行ったりしています。たとえば、林さんが他の大学の非常勤講師の争議を支援なさる場合も、そうした行動をすることを「支援」と言うのではないのですか?

ユニオンWANは、そこに結集した労働者の利益を守るために闘っているのだと思います。遠藤さんもおっしゃっているように、ボランティアの要求を勝手に代弁することはできません。ボランティアの方々に要求があるなら、独自の組織を結成するなどして、そのための活動をなさる必要があると思います。上でも書きましたが、それなしでは、いくら財政状況が良くなっても、現在のボランティアの有償化には使われないと思います(ボランティアと別に有償労働者を雇うことようなことになるのではないでしょうか)。「もしも本当に実現すれば、それは私自身にとっても、とてもありがたい」といった姿勢で、要求が実現した例はないと思います。私は、ボランティアの方々の要求に対しても、納得できたら応援させていただきたいと思います。

なお、署名のほうにも、「WANにおける労働の対価はすべて賃金として支払われるべきだ」とか「ボランティアにも、同一労働同一賃金の原則にのっとって賃金を支払うべきだ」という意味の文言はまったく書かれていません。

もちろん、そのことは、そのような要求をすることが間違いであることを意味しません。けれども、署名の文言にそのような要求が掲載されていない以上、署名した人にそのための資金調達まで求めるのは無茶ですし、争議の争点はそこではないことは既に述べたとおりです。

もし、「ボランティアにも、同一労働同一賃金の原則にのっとって賃金を支払う」ことを目指すのなら、たしかにWANの財政力強化のために、そうした考え方の人[=ボランティアにも、同一労働同一賃金の原則にのっとって賃金を支払うことに賛成する人々(3月5日23:19追記)]が率先して寄付することはあり得るように思います。私自身、私が投稿したら、掲載作業には賃金を払うと言っていますし、もしボランティアスタッフの方々がそうした方向を目指して活動なさるのなら、その活動を応援させていただくだけでなく、林さんが上で書いておられる「月々千円程度のご負担」は担ってみようと思います(林さんお一人だけでも、今後はそれを目指す行動を起こすのでしたら、応援+ある程度の負担は担ってみようと思います)。ただ、そうした考え方の支持者だけで、金銭をまかなうのはたぶん無理でしょう。また、具体的にはわかりませんが、個人的寄付だけでなく、社会的な変革(たとえば、非常勤講師の賃上げのために、非常勤講師の雇用に対する国の補助の増額や私学助成の増額を求めるような類のこと)も何か必要かもしません。いま拝見しましたが、高橋慎一さんのおっしゃる「ベーシック・インカム」論も、簡単には退けらけないと思います。

WANのボランティアの労働は、世俗利益の構造を超えるものとして捉えられるべき?

林さんは、「WANのこと(4) ボランティア活動について」では、ある方の著作を参考にして、以下のように述べておられます。

私は、WANのことを考えるとき、WANのボランティア活動を「新しい公共性」としてとらえるならば、現在「争議」で論じられているような問題の解決にも、結果的につながるのではないかと感じています。

そこにおける労働は、私企業における雇用―被雇用の関係の単なる模倣ではなく、そのような世俗利益の構造を超えるものとして捉えられるべきだろうと思います。

そのような新しい「萌芽」である現在のWANは、最初から完成された固定的な組織なのではなく、試行錯誤が許されることによって創り上げられていくのだろうと思います。


林さんがこのように述べておられるということは、私は、やはり林さんは、WANのボランティアは無償がいいと考えておられるのかな? と思いました(もしそういう意味ではないのでしたら、もう少し具体的に展開してください)。

私には、上のような林さんの発言と、林さんが最初の文の締めくくりにお書きになった、「『無償労働者』というのは、労働法でいうところの『労働者』ではないのですが、そのように、法の圏外に置かれてしまうという問題にこそ、いままで女たちは悩み続けてきたのではないか、と私は考えています。/そういう問題こそ、『女』の問題として、直視すべきなのではないでしょうか?」という発言とは、うまく結び付きません。無償労働をジェンダーの観点から考えるような議論は、ふつう、ボランティアが「世俗利益の構造を超える」というような議論を単純には肯定しないと思うのですが……。

それはともかく、「カサイの気持ち」で書かれているように、現在争議をなさってているカサイさんには生活がかかっているわけですし、遠藤さんもダブルワークをなさるなど、やはり生活をかけて仕事をしていらっしゃいます。もちろん業者に雇われている方々もそうでしょう。当然、「世俗利益の構造を超えるもの」というような議論を当てはめることはできないと思います。

もしも林さんご自身は上のようなボランティア論でボランティアをなさるというのならば、そこに労働によって生活を維持している労働者がいるかぎりは、「すべて有償、同一労働同一賃金」か「すべて無償」という二分法ではなく、「ボイランティアは無償で、有償労働者は有償」ということにならざるを得ないと思うのですが……。林さんがおっしゃっているのは、将来的な話ですかね?

いろいろ申し上げましたが、私は、経験も勉強もまったく不十分です。林さんにご紹介していただいた論文はもちろん拝見しますし、「ボランティアと搾取」とか「ボランティアとジェンダー」の問題を取り上げた論文も読もうと思っています。

長々書いて、申し訳ありませんでした。また、林さんが今回提出された「WANの今後をどうするか」という大きな問題そのものに関しては、財政や人員、サイト、業者などの状況がわかりませんので、私には答えられません。前回問われた「自分は何ができるのか」ということやWANに対する要望ならば、お答えできるのですが……。ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました。
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遠山日出也

Author:遠山日出也
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