2017-09

ラビア・カーディルさん、京都で講演

 10月25日、京都自由大学で、ウイグル人の人権活動家、ラビア・カーディルさんの講演がありました。

 ラビア・カーディルさんは、改革開放後、起業に成功して大富豪になり、全国政治協商会議の委員なども務めました。しかし、ウイグル人の窮状を中国政府にありのままに、率直に訴えたところ、役職を解かれました。1999年には、新聞記事をアメリカに送ろうとしただけで、「国家機密漏洩」の罪で逮捕され、投獄されました。欧米の人権団体などの力で2005年に釈放されてアメリカに行き、今は世界ウイグル会議の議長を務めておられます(詳しくは、kokさんのサイト「ラビヤ・カーディル(レビヤ・カディール) ウイグルの『母』」をご覧ください。彼女のその時々の動向については「真silkroad?」に書かれています)。

 ラビアさんは2007年にも来日していますが(その時の私の記録など)、今回は、ラビア・カーディル著(熊河浩訳、水谷尚子監修)『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝』(ランダムハウス講談社 2009年)出版に合わせての来日となりました。

 以下、ラビアさんのお話の大まかな内容を、私のメモから起こしてみます。ただし、なにぶん通訳を介してのお話である上に、私もすべて正確にメモできたわけではありませんので、抜けている点もありますし、不正確な点、ラビアさんのご意思とはズレた書き方になっている箇所もあると思います。とくに会場からの質問については、質問自体も、通訳を介して受けておられますので、難しさがあったと思います。

 ラビアさんも意を尽くしたお話ができる時間的余裕はなかったでしょうから、以下のお話に関心を持たれた皆様は、ぜひ上のご著書をお読みいただきたいと思います。

 当日は、まず最初にラビアさん自身が概括的なお話をされた後に、会場からの質問を受ける形で講演が進められました。

 最初の概括的なお話は、だいたい以下のような内容でした。

 今、声を出しているのは、ラビア・カーディルひとりではなく、1000万と言われるウイグル人の苦しみを伝えるものだ。

 わがウイグルが中国共産党の支配されたのは1949年で、それから60年が経った。わが国が制圧されたときは「東トルキスタン」という名前だったが、その後は「新疆ウイグル自治区」という名前になった。この60年間、ウイグル人は、「民主」や「自由」を口に出すこともできない苦しみの中で生きてきた。たとえば私の家族は、夫は9年、私は6年、2人の子どもはそれぞれ9年と7年、投獄された。東トルキスタンでは、家族から2~4人投獄されるのは、とても普通である。

 私は刑務所を出た日から、ウイグル人の苦しみを伝えるために、平和的に講演活動をしてきた。

 今日のウイグル人は自由に本を出版できないし、自由に話をすることもできない。自分の好きな詩・歌を出しても、逮捕されることがある。経済的な点では、ウイグル人には石油などの資源があるにもかかわらず、その地域で最も貧しい生活を送っている。2~3%の人は高等教育を受けているが、その他の人はあまり教育を受けていない。宗教については、最も口に出せないことである。

 9.11事件以降、それ以前からウイグルに対して同化政策をとっていた中国政府は、この事件をチャンスと捉えて、中国政府に対してモノを言うウイグル人に「テロリスト」というレッテルを貼るようになった。2008年には、裁判所の人が「1万5千人をテロリストとして逮捕した」と自分の口で言っているが、彼が言ったのは最低の数で、実際はそれより多い。

 2003年以降、母語で教育を受ける権利も奪われた。

 2006年以降は、ウイグル人の若い女性を、「貧しい生活から救う」と称して、14-25歳の未婚の女性を全体で30万人近く移住させた。娘を出したくない家族は、罰金を課されて家を奪われたり、3─6カ月、収監されたりした。

 中国政府は、一方では「ウイグル人は生活が貧しいから援助する」と言いつつ、ウイグルから石油や天然ガスを奪っている。

 中国政府は東トルキスタンに何千万もの漢人の労働者を送り込んできた。その一方で、ウイグル人はなぜ仕事が見つからずに、外に送り出されるのか? こうした点を質問すると逮捕される。

 このようなことに対してウイグル人は反発して、7月5日、平和的なデモをおこなったが、弾圧された。

 私は政府の一員として中国の言うとおりにしていれば、幸福な生活を送れたが、[民族の]苦しみを伝えるために、お話しをしている。

 以下は、質疑応答です。

─逮捕されたのはいつか?

 1999年8月6日、逮捕された。それまで全国政治協商会議の委員として、ウイグル人の状況を会議に報告していたが、無視された。そこで、ウイグルの状況を伝える[中国の地元の]新聞記事を、アメリカにいる夫に送るために集めた。外国に送るために、その新聞記事を持っていたので、逮捕された。

 6年間投獄されて、最初の2年間は真っ暗な部屋に入れられた。アムネスティなど国際社会の努力で、明かりのある部屋に移ることができた。

─獄中での生活は?

 恐ろしいものだった。もう夜になっているので、そういう恐ろしい話は、皆様にしたくない。私の本に詳しく書いてあります。

─かつての政界での地位は?

 地方の人民代表大会の議員、全国の政治協商会議の委員など、多くの政治的役職を持っていた。

─なぜ、富や名誉を手に入れたのに、こうした活動を始めたか?

 私は、当時は、ウイグル人の状況について中国政府が知らないと思っていたので、実情を伝えるために仕事をしていた。けれど、そうしたら、中国政府は私から役職を奪った。

 私のウイグルについての話を中国政府は聞かなかったので、現在は、国際社会や他の政府に訴えている。今は、[この会場で]知識人や学生に訴えている。

─いつ釈放されたか?

 2005年3月17日です。

─東トルキスタンは、侵略に対して武力を使って闘ったことは歴史的になかったのか?

 闘ってきた。1933年、カシュガルに第一次東トルキスタン共和国を作った。1944年には、第二次東トルキスタン共和国を作った。とくに第二次のときは、6万人の軍隊を作って独立した。

─新疆ウイグル自治区での核実験について

 1964年から1995年まで、49回おこなわれた。中国政府は「タクラマカン砂漠の中心でおこなった」と言うが、ウイグル人の地域なので、とても恐ろしい影響があった。詳しくは高田純教授の本を読んでほしい。私は当時は中国にいたが、「70万人死んだ」という話を聞いた。生まれた子どもにも怪しい病気が発生したが、治療も受けられない。その地域では、50歳にならないうちに、亡くなる人が多い。

─ウイグルにいるお子さんはどうしているか?

 2006年、私が国際社会にウイグル人の声を伝えるために「在米ウイグル協会」の会長になったら、5人の子どもが逮捕された。今、2人の子どもが9年と7年の刑になっているが、どのような罪に問われたのかもわからない。

 7.5以降は、子どもに強制的に私に反対する発言をさせた。家を奪われ、追放されたと聞いたが、それが私が聞いた最後の話である。

─「千人の母親運動」(ウイグル女性の起業運動。詳しくは「ラビヤと娘、アクダ RFAインタビュー」参照)について

 私自身が商売に成功した後、ほかのウイグル女性にも、ということで始めた。

 もうけのうち、30%は子どもたちのために使い、10%は民族教育のため、10%は衛生のために使おうと思った。

 しかし、禁止された。ウイグル人が一緒にやる活動だったからだ。

─日本のウイグル人は自由に発言できない。これは日本だけか?

 どこでも同じだ。もし中国政府が「〇〇さんとラビアが会った」と聞いたら、中国に残っている〇〇さんの親戚は逮捕され、刑務所に送られる。世界のどこにいても、ウイグル人に自由はない。私の平和的な活動も、中国政府に「テロリスト」として非難されている。

─もし中国共産党の人と対話の機会があったら、何を訴えるか?

 民族自決権を渡すこと。ウイグル人の文化・歴史を守るためには、民族自決権が必要だ。

─日本のマスメディアに何を求めるか?

 7.5事件で、中国はウイグルに対して厳しい弾圧をおこなった。1万の人が姿を消した。中国政府は、国際社会に「ウイグルがテロをやった」と伝えたが、もともとは平和的なデモだったのを、中国が反乱分子を混ぜ[て暴動を起こさせ]た。

 中国は国際社会の調査などを拒否し、ウイグルのインターネットも閉鎖した。事実を調査するなど、日本のマスコミはしてほしい。それから日本の政府もそうしてほしい。

 一番つらいのは、中国政府が国際的な経済力を使って、そうしたことをさせないことだ。ウイグル人の問題は、中国の国内問題ではない。日本政府も介入すべきだ。外交問題に取り入れてほしい。

 日本は経済的にとても強い力を持っている。民主主義も持っている。アジアの民主主義を発展させるために、力を入れてほしい。

─今後、中国人と共生の道はあるか?

 7月5日のデモに対して、中国人は「ウイグル人のテロリスト」と言い、中国の民族主義派はウイグル人を殺した。家の中にまで入ってきて、3歳の子どもも、数十人の中国人の民族主義派に殺された。軍隊や役人も放置し、中国人は笑って見ていた。

 こうした残虐な行為は、実は、中国政府が作り出した結果だ。

 いろいろ努力はしていて、チャンスを作って、会談などやりたい。

─7月7日の漢族の報復的な行動は非難されるべきだ。しかし、世界ウイグル会議の出した動画にも、関係がない、間違ったものがあったのは、不信感を生んだ。

 それは事実である。多くの情報が入ったので、それをそのまま流したが、関係ないものがあったので、翌日の朝、自ら発表して誤りを正した。ミスもあった。

─釈放まで耐えられたのは?

 ウイグルの苦しみは続いてきた。私は、ウイグルの民衆の涙を見ながら生活してきた。私は国民を信じ、国民は私を信じた。そのように信じることが力なった。

 ラビアさんのお話はだいたい以上のような内容でしたが、これらの話の多くは、今回の著書にもっと詳しく書かれています。

 たとえば、ごく単純な例を挙げると、核実験についても、著書では、単に「聞いた話」ではなく(70万という数字は、べつに調査した数字ではないので、正確なものではないと思う)、以下のような実体験が書かれています。

 「核実験地域を訪れると……出会った住民の五人に四人は、身体に何からの障害を抱えていた。口の周りに真っ赤な腫瘍ができている人もいれば、腕の先が欠けている人もする。目と耳がないまま生まれてきた新生児も見た。多くの人は髪の毛が抜け落ちていた。なぜ自分たちが病気のなのか、彼らにはまったく見当もつかないようだった。
 私は視察から帰ると、会議の席で、核実験の被害者に対する補償を要求した。しかしほかの代表にとって、このような考えはまったく理解しがたいものでしかなかった」(323頁)。

 ただし、このご著書は、単純に「悲惨な話」ばかりが書かれているような本ではけっしてありません。私は、ラビアさんの不屈の生き方に胸を打たれました。ラビアさんの不屈で精力的な活動ぶりは、読んでいても、息をつかせず、一気に読んでしまいました(といっても、商売さえも、あれこれと中国の役人が邪魔をするような状況はいらだたしいのですが……)。

 また、この本は、全体しては民族の問題を軸にして記述されていますが、ラビアさんが、女性の地位が低いウイグル社会の中で、自立的な生き方を求めてきた軌跡についても、リアルに書かれています。

 「千人の母親運動」についても、それを始めたきっかけは、オフィスで出会った3人の女性が夫に逃げられたために「自分の人生はもう終わった」と信じ込んでいたのに対して、「夫がいなくなったら不幸なの? あなたたちの幸せって、そんなふうに夫につながれているものだったの?」と尋ねたことであり、「千人の母親運動」は、母親たちのために会社を設立して、経済的な知識を身につけさせるものだったことが述べらています。この運動の中で、住む家を失った女性のための相談所を作ったり、女性がはっきりしゃべたり、自信を持つための訓練施設も作ったことにも触れられています(374-381頁)。

 ぜひお読みいただきたいと思います。
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