2017-10

鄧玉嬌事件をめぐって

事件のあらまし

 5月10日、湖北省巴東県の野三関鎮の政府に勤務している3人の男性が、その鎮(小さな町)のホテルの浴場で足の手入れをするサービスをしていた鄧玉嬌という女性(22歳)に、「特殊なサービス」を要求しました。鄧玉嬌がそれを断ると、2度にわたって彼女をソファーの上に押し倒しました。鄧玉嬌は身を起こすと、修脚刀(足の手入れをするのに用いる小刀)で、鎮の企業誘致室の主任だった男性(44歳)を死なせ、残りの男性2人も腕にケガをしました。鄧玉嬌は、警察に電話をして、自首しました(1)

 この事件に対しては、社会の各界やインターネットで大きな反響が起きています。まだ事態は進行中で、連日様々な意見が発表されており、フォローしきれていませんが、私の目についたものを紹介します。

官僚が弱者を踏みにじることへの怒り

 この事件が大きな反響を呼んだの一つの理由は、習水県の少女に対する性侵害事件(本ブログの記事)と同様、強い立場の役人が弱者を踏みにじっていること、そうした官僚の横暴や腐敗への怒りです(2)

 警察の動きにも不審な点がありました。警察は、性侵犯の証拠になる鄧玉嬌の下着を10日間もほおったままにしていました。警察が下着を押収する直前に、母親が突然、鄧の下着を洗いました。また、母親は、最初に頼んだ弁護士をその後解任したのですが、その経過も不自然で、こうした母親の行動の背後には警察などからの圧力があるのではないかという疑いも、多くの人が指摘しています(3)

 そうした世論もあってのことでしょうが、ケガをした2人の役人に対しても、免職など、党や行政の規律にもとづく処分が下されました(4)

正当防衛か否か

 鄧玉嬌の行為に関しては「正当防衛だ」という声が数多く出されました(5)。しかし、検察は、「過剰防衛」だと判断し(6)、鄧玉嬌を「故意傷害罪」で起訴しました(7)

 しかし、「強姦に対しては無限防衛権が認められるので、過剰防衛ではない」という意見も出ています(8)

「烈女」という賞賛

 鄧玉嬌に対しては、官僚への怒りもあって、「女の英雄だ」という賞賛が多いのですが、「烈女(貞節を守るために命をかけた女性)」だという賞賛もありました。なかには、わざわざ野三関鎮に行って、「烈女碑」を建てることを求める人まで現れました。当然、そうした賞賛には批判の声も上がりましたが……(9)

 その一方、中国人民大学の性社会学研究所のサイトに掲載された文章は、「強姦を判定する唯一の基準は、『相手の意思に反している』こと」であり、「その『相手』には、一般の女性と売春をしている女性との区別はない」「強姦する者が夫であるか否かも区別しない」と述べたうえで、「もし彼女が本当に売春婦だったとしても、このように多くのインターネット仲間の声援を得られただろうか?」と問いかけています(10)

NGOの声明

 この事件に関しては、5月末から6月初めにかけて、いくつかのNGOが声明を出しました。

1 中国法学会DV反対ネットワーク(5月30日)

 中国法学会DV反対ネットワークは、だいたい以下のような内容の声明を出しました(11)

(1)鄧玉嬌が性的侵害にあったか否かをきちんと調べよ
 正当防衛か否かを決めるには、「鄧玉嬌が人を刺したとき、どのような状況に置かれていたか」を調べて明らかにしなければならない。警察は「鄧玉嬌は強姦されていない」と言うが、強姦でなくても性的侵害を受けていれば、犯罪である。警察は、説明がまちまちで、かつ簡単すぎる。

(2)専門的人員を引き抜いて事件処理の力を強め、必要なら他の土地が事件処理することも考慮せよ
 警察は、必要な調査や証拠収集を明らかにおろそかにしている。また、「特殊なサービスの強要」というようなことを軽々しく言っており、なにか「消費上のトラブル」であるかのようで、人身の安全や女性の権益の保護という精神にもとっている。現地の警察まかせにせずに、鄧玉嬌事件に専門的人員を投入すべきだ。

(3)鄧玉嬌にもっと多くの救済を提供せよ
 法律や心理、医療など、多くの面から社会的な援助をするべきである。

(4)女性の人格的尊厳を尊重し、鄧玉嬌たちが男権社会の娯楽の対象にならないようにせよ
 「特殊なサービス」を強要する男たちの目には、女性の精神と身体は「商品」なのである。この事件の背後には、一部の地区、一部の職業では、女性は「色情の符号」になっているという状況がある。女性蔑視をなくし、娯楽場所の色情取引をくい止め、管理しなければ、鄧玉嬌事件は他の土地で繰り返されるかもしれない!

2 北京大学法学院女性研究・サービスセンター(6月2日)

 北京大学法学院女性研究・サービスセンターの声明(12)は、警察が「過剰防衛」であるという結論を下したことについて、「鄧玉嬌は『故意殺人罪』『故意傷害罪』などの罪名によって……彼女の最も美しい青春の歳月を牢獄で過ごすかもしれない」と憂慮しています。

 また、同センターの声明は、この事件が「男権社会の下での女性蔑視」を示していると述べるとともに、鄧玉嬌が「社会の底辺で生活している打工妹(農村からの出稼ぎ女性)」であることに注目して、以下のように述べています。
 「社会の底辺でもがき、発言権を失った弱者集団――打工妹は屈服するしかない!」「打工妹が受けている性差別と傷害は、この点だけはまったくない。労働権、婚姻・家庭の権利、土地の権益などの各面において、重大なジェンダー差別が見られる。彼女たちに対しては、政府と社会のさらに多くの、さらに全面的な関心が払われなければならない」

3 北京紅楓女性心理相談サービスセンター(6月8日)

 北京紅楓女性心理相談サービスセンターは、鄧玉嬌が娯楽場所でのサービス員だったことから、「仕事場でのセクハラ防止法の制定が一刻も猶予できない」という声明を発表しました(この点に関して同センターなどがおこなった調査については、本ブログでも、以前取り上げました[職場におけるセクハラの調査とセクハラ防止法の提案])(13)

女子学生のアピール

 この事件に対しては、女子大学生の中からも行動が起こります。中華女子学院の女子学生たち42名は、5月24日、この事件を公正に処理することを求めるとともに、国家や政府に対して女性の権益や人格の尊厳を守るように訴えるアピールを発表しました(14)

 そのうちの1人の蘭玉姣さん(自分の名前が「鄧玉嬌」と発音が似ているので、親近感を感じたそうです)は、同じ日に、北京のあるビルの前で、体に白い布に何重にも巻き付けて、横たわり、もがくというパフォーマンスをしました。これは、女性が何重にも束縛されていることを示すもので、そばには「誰」「都」「可」「能」「成」「為」「鄧」「玉」「嬌」(誰もが鄧玉嬌になるかもしれない)という9つの文字を書いた紙を置きました(15)

全国婦連への批判と全国婦連の声明

 しかし、中華全国婦女連合会(全国婦連)は、この事件に対して沈黙していました。

 その点に関して、ネットなどで強い批判が起きました。たとえば、作家の梅桑楡さんは、5月19日、全国婦連が沈黙していることに対して、電話をかけて問いただし、それを録音した記録を自分のブログで発表しましました。さらに、学者や作家ら8人の連名で、全国婦連に対する公開状を書きました(「全国婦聯権益部対玉嬌案的態度」、「就鄧玉嬌案致全国婦聯的公開信」)。

 こうした声に押されてでしょうか、全国婦連は、5月22日、「全国婦連は、鄧玉嬌事件を非常に重視している」「私たちは関係部門が法によって公正に処理することを信じ、この事件の進展を注意深く見守る」という声明を発表しました(16)

 こうした事態について、呂頻さんは自分のブログで意見を書きました。かいつまんで紹介します。

 「全国婦連がまだ説が定まっていない個別の事件ついて態度を表明したというのは、尋常のことではない。」

 「従来はこのような事件が発生しても、こうした[全国婦連や全国総工会のような]大衆団体からは、公の声明はほとんど聞かれなかった。」「これらの団体の実際の活動と、公言している職責とは整合していない。こうした団体は、けっして真に政府と別の立場や機能を有しておらず、多くの場合、それらが果たす役割は、政府のために、対象になる集団に結びついて動員するだけあリ、その活動方式は行政化・官僚化しており……そのイデオロギーも保守的すぎて、今なおセックスワーカーなどの周縁的な集団に対しては、半ば公然と排斥する態度をとっている」

 「長い間、それらの中国特有の政府的な大衆団体は、中国式の深く追求できない曖昧さを形成してきた。」「問題なのは、それらが占有しているのが、膨大な組織システムを維持するのに必要な大量の公共の資源だけでなく、その他の権利保護組織が成長する空間だということである。」「有為であることを願う者は、その地位を得られず、地位がある者[=婦連などの大衆団体]は往々にして大したことをしていない」。

 「鄧玉嬌事件をめぐる世論は、ついにこの曖昧さをある程度暴き出した。公衆の問責意識の向上は、権力機関に向かって責任を問うだけでなく、大衆団体に向かっても責任を問い始めた。」

 「ある人は、全国婦連の声明は外交辞令のようだと言うが、まずは積極的な現象である」。とはいえ、「全国婦連は、声明の中で関係部門が法によって公正に鄧玉嬌事件を処理すると信じると述べているが、法による公正さは、けっして自然発生的に実現するものではなく……権力機関に対する監督と牽制が必要である。鄧玉嬌事件において、何千何万の公衆が共同で声を上げる方式で団結してこの過程を推進している。彼らは、これらの大衆団体にも真に権利保護という自分の職責に立ち返って、自己の制度的資源を運用して、有為であるように願っている。」(17)

 鄧玉嬌事件に関する考察は、現在も次々に発表されており、昨日も「湖南女性/ジェンダー学と文学フォーラム」のサイトに、この事件に対するジェンダー視点にもとづく論評を特集したページが作成されました(「鄧玉嬌案:婦女権利何処尋――社会性別評論専題」)。今後もこの事件には注目していこうと思います。

(1)女服務員拒“特殊服務”刺死官員」『中国婦女報』2009年5月14日。
(2)同上や「民衆因何為鄧玉嬌鳴不平」(『南方都市報』2009年5月12日)など。
(3)皇甫天:高級司法機関応及早介入“鄧玉嬌案”」西部網2009-05-27、「女服務員刺死官員案玉嬌母親挙動譲人費解」『法律界』2009年5月26日、「関于鄧玉嬌一案的声明──夏霖 夏楠」(2009年5月25日)聴雨軒的博客、「鄧玉嬌案進展追踪:鄧玉嬌母親后面的幽霊是誰?」2009-05-26中国青年網
(4)警方認定鄧玉嬌防衛過当 巴東県厳処両名渉案人――黄徳智被撤職辞退並被治安拘留 鄧中佳被撤職辞退」『法制日報』2009年6月1日。
(5)たとえば、「法律視野下一個女性公民的正当防衛」『中国婦女報』2009年5月19日。
(6)警方認定鄧玉嬌防衛過当 巴東県厳処両名渉案人――黄徳智被撤職辞退並被治安拘留 鄧中佳被撤職辞退」『法制日報』2009年6月1日。
(7)鄧玉嬌案被訴至巴東県法院 被訴渉嫌故意傷害罪」金羊網2009-06-07
(8)強奸与無限防衛権」『南方周末』2009年6月8日。
(9)侯金亮:別急着為鄧玉嬌立“烈女碑”」(2009年5月26日)紅網
(10)鄧玉嬌抗暴:這個問題必須説清楚」中国人民大学性社会学研究所HP
(11)中国法学会反対家庭暴力網絡「対鄧玉嬌案的呼吁(2009年5月31日)」中国法学会反対家庭暴力網絡HP
(12)北京大学法学院婦女研究与服務中心「中心的声明:譲玉嬌的悲劇不再重演!!(2009年6月2日)
(13)北京紅楓婦女心理諮詢服務中心「関注鄧玉嬌案 制定《工作場所性騒擾防治法》刻不容緩(2009.6.8)」北京紅楓婦女心理諮詢服務中心HP
(14)42名女大学生就“鄧玉嬌”事件発起倡議書呼吁尊重女性」(2009-6-1)NGO発展交流網
(15)北京益仁平中心「女大学生受鄧玉嬌事件啓発創作行為芸術」(2009-5-27)NGO発展交流網(写真多数)
(16)全国婦聯高度重視鄧玉嬌事件並将密切関注事件進展」中国婦女網2009年5月22日(現在は消えていますが、「同語」HPが保存している画面)。
(17)呂頻「公衆為何希望婦聯介入鄧玉嬌案」(2009年5月25日)朝陽路上BLOG。6月11日現在、呂頻さんのこのブログは消えています。ひょっとしたら、この記事の婦連批判と関係があるのかもしれません(追記:その後、再び見られるようになりました)。全国婦連女性研究所のサイトなどに似た文が掲載されていますが(「公衆為何希望婦聯介入鄧玉嬌案」)、婦連などの大衆団体を厳しく批判した2つの段落(上で引用した「従来は~」と「長い間~」で始まる文言が含まれる段落です)はカットされています。
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