2017-03

「館長雇止め・バックラッシュ裁判」控訴審

 三井マリ子さんは、2000年、大阪府豊中市の男女共同参画推進センター「すてっぷ」の初代館長(全国公募による。非常勤)として、数々の独創的な企画を打ち出すなど全力で仕事を進め、その実績は市やセンターにも高く評価されました。しかし、そうした三井さんの仕事が目ざわりだったバックラッシュ勢力(男女平等の推進に反対する勢力)が市やセンターに圧力をかけ、その圧力に屈した豊中市などは、非常勤館長職廃止して館長を常勤化する「組織変更」の名の下に2004年3月、三井さんを雇止めし、新館長への採用も拒否しました。

 三井さんは同年12月、豊中市と「すてっぷ」を運営する「とよなか男女共同参画推進財団」を相手取って、損害賠償を求めて大阪地裁に提訴しました 三井さんはこの裁判を、「非常勤労働者」と「バックラッシュ」という日本の女性にとっての二大問題に取り組むものとして位置づけて闘っておられます。

 しかし、昨年9月の大阪地裁判決は、三井さんの敗訴でした。そこで、三井さんは大阪高裁に控訴しました(裁判の詳しい経過は、私が作成したこのページをご覧ください)。

 今年1月には、弁護団は、一審判決を徹底的に批判した「控訴理由書」(PDFファイル)を提出しました。私は、控訴理由書のごく一部を簡単に紹介した文を、この裁判を支援する会のブログに書きました。
[控訴理由書要約・その1]
 ・組織変更がなぜ必要だったかという理由として、判決がただ一つ挙げた「山本事務局長の後任を市から派遣できない」という点について。
 ・判決が特に認めなかった「バックラッシュ攻撃に豊中市が屈した」という点について。
[控訴理由書要約・その2]
 ・弁護団が新機軸として打ち出した、採用拒否の違法性についての新しい論証

 2月26日には、控訴審の第1回口頭弁論がおこなわれました。当日の法廷では、三井さんは以下の「意見陳述」をおこないました。


 昨秋、大阪地裁の山田裁判長は、雇用継続を拒否した豊中市らに損害賠償を求めた私の訴えを棄却しました。

 豊中市や財団は嘘に嘘を重ねて私の人生を翻弄しました。私は、その人間としての不誠実さに直面して苦しみました。体中に湿疹ができました。眠れない夜が続きました。そして職を失い収入がなくなりました。ところが、一審判決は、その苦しみを癒すどころか倍増させるものでした。

 この私の苦しみは、この日本社会において軽んじられてきたおびただしい数の働く女たちの苦しみであり、大勢の非常勤職の人たちの苦しみでもあります。

 私の首斬りの背後には、バックラッシュ勢力の攻撃があります。その勢力は、個人として女性が生き生きと生きていける社会が嫌いです。男女平等を目指す言動も嫌いなのです。

 その勢力に属する人々は、男女平等を求めて活動する人々やその著作までも執拗に攻撃します。その手法は、事実を歪曲・すり替えしたり、根も葉もないことをでっちあげたり、誹謗中傷をしたりします。それをチラシ、噂、メディアで広めます。たとえば私に関しては、「すてっぷの館長は、講演会で専業主婦は知能指数が低い人がすることで、専業主婦しかやる能力がないからだと言った」というとんでもない嘘を、市議会議員が、噂と称して流しました。

 こうした攻撃は豊中市だけではありません。日本の津々裏々で見られます。日本各地で男女平等推進施策を踏み潰しては快哉を叫んでいます。

 そのような攻撃を受けて疲弊している多くの人々に対しても、一審判決は、さらなる打撃を与えたのです。

 ですから、私は、このまま黙って引き下がるわけにはいかないのです。

 2000年、私は全国公募に応募した60人の中から選ばれ、豊中市の男女共同参画推進センターの初代館長に就任しました。このセンターは「すてっぷ」と呼ばれました。豊中市民の長い間の夢でした。「男女平等の社会をつくることは国の最重要課題」とうたう男女共同参画社会基本法の賜物でもありました。

 私は、館長としてスタッフの仕事の下支えをし、「豊中にすてっぷあり」と言われる、その日を目指して、一生懸命に働きました。すてっぷから徒歩2、3分の地に住まいも移しました。こうした私の仕事は、市や財団から評価されこそすれ批判されたことはありませんでした。

 しかし3年後、豊中市は、「組織強化」の美名のもとに、2004年4月からは非常勤館長職をなくして館長ポストを常勤化すると言い出しました。そうなった場合、「第一義的には三井さんです」と言って私をだまし、裏では「三井は3年で辞めると言った」「三井は常勤はできないと言った」との嘘をふりまき、後任館長を密かに決めていたのです。

 候補者10人のリストが極秘に作成され、2003年10月には市長にだけ見せて、「それで当たれ」という市長命令の下、候補者打診が進められ、12月には次期館長がひそかに決まっていたのです。

 全国からの抗議の声や、私が「常勤館長をやる意思がある」と表明したこともあって、2004年2月、市は採用試験をすることに決めました。すてっぷ館長として働き続けたかった私は一縷の望みをかけて受験をしました。しかし私は、不合格とされ、2004年3月31日で豊中市を追われました。

 その採用試験官には、後任館長探しに狂奔していた市の人権文化部長が入っていました。この不公正さを1審は認めております。しかし、慰謝料を支払わないといけない程の違法性を認めることはできないと、損害賠償は否定されました。

 この判決を聞いた私は、「10発殴られたら違法、と言ってやってもいいが、5,6発だろ、我慢しろよ」と裁判官から言われたような気持になりました。

 女性の人権擁護と男女平等の推進を市民の先頭に立って担うべき豊中市が、女性の人権擁護と男女平等施策を誠実に実行してきた女性センター館長を、嘘まみれの陰湿な手法で排除したのです。使い捨てたのです。そしてそのことで、私は、精神的にも経済的にも、計り知れない打撃を受けました。だのに、なぜ、それが違法にならないのでしょうか?

 裁判長、最後に申し上げます。週2,3日出勤の館長職では運営上問題があるなどと理由をこじつけて、市は非常勤館長の私を排除しました。しかし、私の後任の常勤館長は「組織強化になっていない」と法廷で証言し、2007年3月31日付けで辞職しました。こうして、すてっぷは、常勤館長の休職期間を入れると館長職不在のまま1年以上が過ぎました。今日、2月26日現在も館長はいません。

 まさに、バックラッシュ勢力の狙い通りのことが、すてっぷで起きているのです。この一事をもってしても、豊中市の言う組織強化なるものは、私を排除するための単なる方便だったといえると思います。

 控訴審の公正なる審判を切に願い、意見陳述を終えます。


 控訴審の第2回目は、6月5日(木)午後1時15分から、大阪高裁74号法廷でおこなわれます。

 当日は、続いて、中央公会堂で以下のような集会もおこなわれます。
第1部:弁護士解説付き交流会(2:00-4:00)
 「これが控訴審のポイントだ」

 ゲスト:脇田滋さん(龍谷大学法学部教授)(脇田さんのサイト)……脇田さんは、この裁判に対して、三井さんの雇止めの不当性を述べた意見書を提出なさっています。
 脇田さんのこの裁判へのコメント:「ぼくは、このケースは完全に解雇だと思います。組織変更はやる必要はなかったと思いますね。必要がなかった組織変更を出してきて首にしただけでなく、採用試験をやって公正さを装って雇用拒否をしたんですねぇ」
第2部:支援コンサート(4:00-6:00)
 「女たちは後戻りしない」

 byMASAさん(サックス奏者)(挨拶MASAさんのサイト公演日程)
 詳しくは、ここを参照してください。ぜひおいでください。
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