2011-07

台湾で、LGBTの子を持つ父母により「同志父母愛心協会」設立

 7月8日、台湾で「同志父母愛心協会(Loving Parents of LGBT, Taiwan)」(サイト:同志父母愛心協會)の設立記者会見がおこなわれました。

 同志父母愛心協会は、父母がLGBTの子どもを受け入れ、支持するように訴え、そのために父母や子どものサポートをする組織です。同協会は、その目的のために、「カミングアウト補導クラス」「カミングアウト保証クラス」を設けることを考えているそうです。協会は、LGBTの人権、婚姻権、パートナーシップ権、子どもを養育する権利などについても訴えていきます(1)

 同協会のメンバーは現在30人近くで、みな、その子どもはLGBTです。



 記者会見では、おりから小中学校でセクマイについての教育を開始することの是非が問題になっていることもあって(本ブログの記事)、協会のリーダーである郭媽媽(媽媽[ママ]=お母さん)が、自分の子どもが小学校5年生のとき、同級生から「変態」と罵られて、目に涙をためていたことを紹介して、ジェンダーによるいじめをなくすために、ジェンダー平等教育は小さい時から始めるよう訴えました。

 郭さんは、すでに400人以上のLGBTの父母と接触したそうです。

 記者会見には、民進党の立法委員(国会議員)の林淑芬さんと黄淑英さんも出席しました。

 ゲイである曾恕敏牧師も出席して、キリスト教はみな同性愛に反対なのではなく、ここ2~30年の間に台湾内外の多くの教会が新しい立場に立つようになったことを強調しました(曾恕敏牧師於成立「同志父母愛心協會」記者會發言稿)。同志父母愛心協会の設立に対しても、台湾キリスト長老教会(台灣基督長老教會)の牧師をはじめとした、内外のキリスト教関係者から、お祝いの言葉が寄せられました(台灣國内、國外宗教界撰文成立「同志父母愛心協會」祝賀詞 -12)。(2)

 台湾での報道には、「同志父母愛心協会」を、LGBTの父母によって設立された「アジアで最初の」組織だと述べているものもあります(3)。たしかに「父母」という名称を冠したものは「アジアで最初」かもしれませんが、日本の「LGBTの家族と友人をつなぐ会」は2006年から活動しているようですし(法人認証は2007年10月)、中国大陸の「同性恋親友会」(「親友」とは、親・親戚、友人の意。本ブログの記事「『同性愛者の家族と友人の会』がサイト開設」参照)は、2008年6月に設立されています。

 ただし、「同志父母愛心協会」も、そのもとになった組織は、かなり以前から活動していました。

 まず、2003年4月、「同志相談ホットライン[同志諮詢熱線]」が、LGBTの父母のために「家庭小組」を設立して、サポートを開始しました。同年12月には、同志相談ホットラインは、父母や子どもの体験談を集めた『親愛的爸媽, 我是同志(愛しい父母よ、私はLGBTです)』(女書文化)という本を出版し、2004年3月には、台北・台中・高雄で「同志父母座談会」を開催しました。郭媽媽も、この座談会に出席したことが活動を始めるきっかけになりました。「家庭小組」は、その後も同志父母座談会を継続するとともに、家族の中でのカミングアウトのために『出櫃停看聽:同志子女必讀寶典』(女書文化 2007年)という本を出版しています(4)

 2006年、郭媽媽は、同志父母座談会に出席していた父母たちに呼びかけて、「櫃父母同心協会」を設立しました。父母たちは、自らのことを「櫃父母(Parents in Closet)」と呼んでいたので、「櫃父母同心協会(LGBT In and Out Parents Association)」という名称になったということです(5)。その櫃父母同心協会が、今回、正式に「同志父母愛心協会」という組織になったということのようです。「正式の」という言葉の意味が私にはまだよくわからならないのですが、今後、同協会が具体的にどんな活動をするかに注目していきたいと思います。

(1)同志父母組協會 挺身支持性平教育 異同一家有大愛 性平教育一起來」同志父母愛心協會サイト。
(2)以上、記者会見の模様については、「出櫃保證班 同志父母挺你說祕密」聯合新聞網2011年7月8日[テレビの録画あり]、「同志父母協會 成立出櫃保證班」聯合新聞網2011年7月8日、「亞洲第一個 台灣同志父母協會成立」公視新聞網2011年7月8日、「同志父母愛同志 組協會推性平」『台湾立報』2011年7月10日、“Parents of LGBT children in Taiwan offical group”Fridae2011年7月11日。
(3)(2)のうち、「出櫃保證班 同志父母挺你說祕密」、「亞洲第一個 台灣同志父母協會成立」、「同志父母愛同志 組協會推性平」。
(4)同志諮詢熱線―工作小組」(同志諮詢熱線サイト)、ブログ「同志諮詢熱線家庭小組 櫃父母三兩事」。
(5)Parents of LGBT children in Taiwan offical group”Fridae2011年7月11日。
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『中国婦女運動百年』――誰のための豪華写真集?

 今年3月、中華全国婦女連合会編『中国婦女運動百年』(中国婦女出版社 2011年)が出版された。この本は、同会が国際女性デー100周年を記念して刊行した写真集である。

 本書は、A4サイズ、369ページであり、700点余りの図版(大半が写真)を収録している。赤い箱入りで、重さが3kgもある豪華本であり、680元もする(ネット書店「書虫」のデータベースの中のこの本のデータ。日本円でも、「書虫」の割引価格でも23510円した)。

中国婦女運動百年2


 本書の構成は以下のとおりである。

第1章 啓蒙と覚醒 1910~1921
 三八国際女性デーの誕生
 辛亥革命と女性運動の起こり
 五四運動の中の各界の女性の闘争

第2章 抗争と解放 1921~1949
 建党初期の女性運動
 革命と戦争の年代の女性運動(女性が反帝反軍閥闘争に参加する、女性が革命根拠地を建設・防衛する、女性が抗日救亡に身を投じる、女性が解放戦争を支援する)

第3章 新生と自強 1949~1978
 女性が解放されて立ち上がり主人になる(法律を公布し女性の権益を保障する、抗米援朝)
 女性が社会主義建設に身を投じる(女性が農業生産に参加する、女性が工業生産に身を投じる、女性が社会事業に参与する、女性が国防建設に参加する、女性の国際交流)

第4章 開拓と奮進 1978~2010
 女性の発展の新時代
 女性の事業の全面的進歩(女性と経済、女性と社会事業、女性と軍事、女性の広範な交流)

 近現代の中国の女性の図版(写真)を集めた書籍として、私がいま持っているのは、呉燕編著『百年中国社会図譜 従小脚女人到社会半辺天』(四川人民出版社 2003年)(ネット書店「書虫」のデータベースの中のこの本のデータ)であるが、同書は240ページ余りで、掲載している写真数は(同書の中には記されていないが、ざっと数えてみると)大体3~400枚である。すなわち、『中国婦女運動百年』のほうが、2倍程度の枚数を掲載している。ただし、重複している写真はそれほどないので、『百年中国社会図譜 従小脚女人到社会半辺天』も有用であるし、同書は、「女性運動」以外の写真、たとえば1920-40年代の「都市の女性の『新しい生活』」の写真なども比較的収録しているという特徴もある。

 『中国婦女運動百年』には、今回初めて公表される貴重な歴史的写真も少なくないという(「新作推荐:中国妇女运动百年」中国婦女研究網2011年6月13日)。また、『中国婦女運動百年』は写真用の上質の紙を使っており、サイズも大きいため、比較的写真の細部がわかるようになっており、『百年中国社会図譜』にも収録されている同一の写真であっても、『中国婦女運動百年』の方が、若干ながら、鮮明な場合がある。もちろん古い写真は元々の画質が悪いので、単にボケボケの写真が大きくなっただけ、というものも多いのだが……。

 私には、第2章「抗争と解放」が一番見ごたえがあった。私はこの時代についてはあまり研究していないこともあり、どの写真が初出なのかわからないが(もっと写真の来歴を書いてほしいと思う)、女性のさまざまな運動の写真に思わず引き込まれた。鮮明でない写真に、粗末な服装の女性たちが写っているものが多いのだが、デモの写真、女性兵士、女性の生産(農業、裁縫など)参加の写真などがある。全体しては、抗日戦争など、戦争に関係したものが多い。

 中華人民共和国建国後を扱う第3章と第4章は、章の冒頭に、毛沢東(第3章)、小平・江沢民・胡錦濤(第4章)という歴代の指導者の女性に関する言葉と彼らが女性の活動家に接見している写真とが掲げられている。

 また、第3章と第4章は、女性に関する会議や、女性指導者・傑出した女性・模範的女性労働者の写真の比重が高い(第2章にも女性指導者の写真などはかなりあるが)。一般の女性大衆が農業生産や工業建設に参加している写真あるが、それらも、『人民日報』や『人民画報』に掲載されているような記念撮影的な写真、女性が笑顔で頑張っている写真が多い。こうした写真しか残っていないのであろうか?

 それでも、中華人民共和国初期の写真は、当時の婚姻法の宣伝や、土地改革による女性への農具の分配、識字クラス、元妓女の生産参加などの情況の一端がわかって興味深いものもあった(といっても、これらも、多かれ少なかれ、記念写真的なものであると思われるが)。

 改革開放後を扱っている第4章は、他の章と異なり、ほとんどが美しいカラー写真である。その分、印刷費もかかっていると思うが、資料(史料)的価値はほとんどないように思う。なぜこの章に70ページも費やすのであろうか?

 また、「婦女連合会」の歴史ではなく、「女性運動」の歴史の本なのであるから、改革開放後については、もっと個々の女性NGO(せめて法定NGOでいいから)の活動の写真くらい載せるべきではないか。本書では、女性NGOが先駆的におこなってきた法律相談やDV反対の宣伝活動についても、婦女連合会がおこなっているものしか取り上げられていない。

 また、本書は、女性運動史の本でありながら、性差別の問題は、少ししか扱われていない。その点とも関係するが、女性が抑圧された面、歴史の暗い面は、封建社会や帝国主義によるものしか描かれていない。もちろん、そうした問題は、必ずしも本書に限ったことではないし、そもそも近現代史や運動史の暗部を示す写真はあまり残っていないのかもしれない。しかし、たとえば、中国の新聞や雑誌にたまに掲載されている、女性の状況に対する風刺漫画などを収録することによって、女性運動が直面した困難や障害も示すこともできたと思う。また、改革開放以後に関しては、さまざまな写真が残っているはずだ。たとえば、中華全国婦女連合会の機関紙の『中国婦女報』にも、とくに1988年~1989年ごろは、下のような写真が掲載されていた。上が江蘇省の郷鎮工場で働いていた15歳の女性の児童労働者であり(1988.7.27 ニ面)、下が民主化運動のときに天安門広場に登場した『中国婦女報』の隊列である(1989.5.19 一面)(この2文は、7月28日追記)。

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 本書は、各章に軍事関係の項目があり、中国の女性運動と戦争や軍事とのつながりを感じさせられる。この点は、もちろん、抗日戦争など、中国革命が起きた歴史的条件によるものではある。しかし、第3章でも、抗米援朝(朝鮮戦争支援)に6ページが費やされており、非常に若い、あどけないような(20歳未満のように見える)女性兵士が戦場に赴いている写真(187頁)には、胸が痛んだ。改革開放後を扱った第4章でも、「女性と軍事」が1つの項目になっており、初の女性の戦闘機パイロットたちや国慶節の閲兵式の写真が掲載されている。

 本書は、最初に述べたように、680元の箱入り豪華本である。『百年中国社会図譜 従小脚女人到社会半辺天』は、ページ数が2/3程度だったとはいえ、価格は38元で、本書の1/20程度だった。本書が良質の紙を使っていることは、たしかに写真集としてふさわしいであろう。しかし、このような高価な豪華本にすることが、中国の女性にとってどのような意味があるのか、疑問に思わずにいられない。一般の女性がこのような高価な本を手に入れるとは思えない。むしろ、中華全国婦女連合会の古い、権威的な体質を示している面があるのではないだろうか。

 上でも述べたように、第3章と第4章の冒頭に政治指導者を置いていることや、第4章では、多数のカラー写真を配して、中華全国婦女連合会の下で現在の女性がひたすら明るく活躍している姿を強調していることにも、同会の体質は示されていると思う。

 ただ、初出の写真も少なくないのならば、日本でも、どこかの大学図書館が購入しておいてほしいと思うが、NACSIS Webcatで調べてみたところ、まだ購入した図書館はないようである。やはり高価すぎるのが問題であろうか? 実は私も価格を確認せずに注文して、あとで後悔したのであるが……。

[おことわり]最初に書いた文に「また、朝鮮戦争に行く前の男性と労働模範の女性とが結婚式を挙げている写真(169頁)も掲載されているが、戦場に行くことと結婚とが関係していたとしたら……と考えると複雑な気持ちになった(この写真が撮影されたのは休戦間際の1953年であるから、おそらくこの男性は無事に帰ってきたと思うが)」と書いていたのは、誤読で、戦場での結婚式でした。それはそれで、特異なものだと思いますが。
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「フェミニズムとインターネット問題を考える」サイト

このたび、「館長雇止め・バックラッシュ裁判を支援する会(ファイトバックの会)」の元会員の方々6人と現会員の私が、下のサイトを作成いたしました。

フェミニズムとインターネット問題を考える

ファイトバックの会は、館長雇止め・バックラッシュ裁判を闘い、勝訴するうえでかけがえのない役割を果たしました。しかし、ある方に対する誹謗中傷とそれに対する謝罪をめぐる問題(「ファイトバックの会 謝罪問題まとめ@wiki」参照)にあらわれたように、そのネット利用や運動のやり方には問題があったのです。そこで、ファイトバックの会が起こした問題を二度と繰り返さないようにするため、同会の現会員や元会員の有志が「フェミニズムとインターネット問題を考える」研究会を作りました。

その研究会で考察した成果をまとめたのが、上のサイトです。

このサイトは、ファイトバックの会のネット発信などの問題点を考察することを通じて、フェミニズムや市民運動がインターネットを活用する際、同会のような間違いを繰り返さず、より効果的に発信できることを目的にしています。

けっして一団体だけの問題としてではなく、広く市民運動やフェミニズムに関わる問題として、さまざまな点(ネット媒体・紙媒体の活用、運動のやり方、裁判の支援、謝罪など)について、さまざまな角度(個々人のレベルでの反省点も書いています)から考察していますので、ぜひ幅広い方にご覧いただきたいと思います。
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第5回北京クィア映画祭は当局に中止を命じられるも、ゲリラ的に開催

 6月15日から19日まで、第5回北京クィア映画祭(映画祭のサイト:北京酷儿影展)がおこなわれました。

 北京クィア映画祭は、第1回は2001年(この時の名称は中国同性愛映画祭)、第2回は2004年(この時の名称は北京同性愛映画祭)、第3回は2007年、第4回は2009年におこなわれました(本ブログの記事「第4回北京クィア映画祭と同映画祭の歴史」参照)。第1回と第2回は当局の妨害にあって、当初の予定どおりには開催できませんでした。しかし、北京郊外の宋荘芸術家村でおこなった第3回と第4回は、警察などの干渉はなかったので、第5回はさらに大規模な映画祭を宋荘でおこなう予定でした。

 しかし、今年4月、北京クィア映画祭の組織委員会は当初の計画を変更せざるをえなくなりました。というのは、5月に同じ宋荘で開催が予定されていた第8回中国ドキュメンタリー映画交流ウィークが当局に中止させられたことが明らかになったことによって(1)、宋荘はもう非主流派の芸術のエデンの園ではなくなったことが示されたからです。北京で文化・芸術の催しをする他の多くの場所も、政府からの締め付けが強まりました。

 組織委員会は、いくつもの場所に断られた末、北京市西城区にある、民間組織の活動の場である「東珍書院」で映画祭をすることに決めました。組織委員会は当局を警戒して、映画祭の場所は公表せず、座席を予約した観客にだけ場所を知らせるというやり方をしました。にもかかわらず、6月12日、北京市西城区公安局分局・文化委員会・工商局の官吏が東珍書院にやってきて、法律法規をいいかげんに引用して、映画祭は違法だから取り締まると宣言しました。

 組織委員会は緊急会議を開いて、場所を変えて映画祭をすることに決定しました。組織委員会のメンバーであり、映画祭の創始者の一人でもある崔子恩さんは、「北京クィア映画祭を開催するのは、主流文化を疑い、挑戦する場を提供するためだ。中国では、主流文化は政府当局によって構築されているのだから、私たちには、映画祭を政府の圧力によって中止してはならない責任があると思った」と述べています。

 映画祭の開幕まではもう3日しかありませんでしたが、組織委員会は、北京中の映画上映が可能なバーや喫茶店を探しました。当局が新しい上映地点を見つけるかもしれないので、組織委員会は、映画祭の活動を一か所に集中させることは避けて、たえず場所を変えておこなうことにしました。

 開幕式では、崔子恩さんが開会を宣言しました。組織委員会の輪番主席である楊洋さんは、挨拶(致辞 Preface)の中で、クィア映画祭について次のように述べました。「これはセクシュアルマイノリティの文化活動であるが、北京という全国の政治と文化の中心に生存しており、周囲が一面の赤いイデオロギーであるという環境の下で自由で多元化した人間関係と生活様式を探求するものである以上、クィア映画祭が政治的色彩を持つのは不可避である。十年来、各レベルの政府当局の干渉の下で、映画祭は北京城の西から東へ、都市から農村へ引っ越したが、現在また都市の中に戻ってきた。私はかつて、映画祭を、臨時のゲリラ戦をせずとも、通常に開催できることを希望していた。しかし、さきごろまた、上映場所の協力機構が、政治的にデリケートな問題だと考えて、最終的には映画祭との協力を拒絶するという紆余曲折に遭遇して、私は、次のことに気がついた。ずっと、私たちは簡単に警察と当局を「化け物扱い」して私たちの仮想的だとみなしてきた。けれど、私たちの最大の敵は、実は、少数者の権力機構が強大な国家機構の宣伝教育を通じて長い間に知らず知らずのうちに構築した、大衆の主流イデオロギーである。このような『主流』イデオロギーに対抗することが、まさにクィア映画祭が存在する価値であり、追求する目標ではなだろうか?」「革命いまだ成功せず、クィアなお努力せよ!」

 開幕式には100名近い人が参加しました。下がその動画です(中国語と英語の字幕付)。
 

 今回の映画祭は、上映を計画していたすべての映画を上映することはできませんでしたが、それでも30作以上の映画を上演し、500人以上の観衆が集まりました(映画祭のスケジュール:第五届北京酷儿影展放映日程表 5th Beijing Queer Film Festival Schedule)。映画祭には、アメリカのBarbara Hammerさん(サイト)や台湾の陳俊志 (Mickey Chen)さん(Facebook)といった、クィア映画の著名な監督も参加しました。

 前回の第4回クィア映画祭が成功を収めた時、私は、それを中国社会の変化の表れであるように感じたのですが、やはり、まだまだ楽観視はできないようです。楊洋さんの挨拶の中の「周囲が一面の赤いイデオロギー」云々というのは、中国共産党建党90周年のキャンペーンを指していると思いますから、その意味では今回は時期が悪かったのかもしれませんが、もしそうだとしても、何かキャンペーンがあると映画祭のような文化的催しさえつぶされるというのでは、非常に心もとないことです。

[資料]
第五届北京酷儿影展组委会「媒体通稿 PRESS RELEASE」北京酷儿影展サイト2011年6月19日。
第五届北京酷儿影展圆满落幕(组图)」淡藍網2011年6月21日。
第五届北京酷儿影展手记:酷儿与权力的游击战(组图)」淡藍網2011年6月29日。
[注]
(1)ドキュメンタリー映画祭が突然の中止、官制メディアは『空気の緊張』が理由と報道―北京市」レコードチャイナ2011年4月23日。
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「館長雇止め・バックラッシュ裁判」勝訴の意義と支援運動の問題点

 私は、今年3月、日本女性学研究会のニュースレター『VOICE OF WOMEN[VOW]』319号(2011年3月10日発行)の7~13頁に、以下の文を掲載しました。先日、同研究会の運営会から転載の許可をいただきましたで、このブログにも掲載いたします(誤字と注のナンバリングの誤りは訂正しました)。

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Author:遠山日出也
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