2009-11

「性転換手術技術管理規範(試行)」制定

 11月13日、中華人民共和国衛生部は「性転換手術技術管理規範(試行)」を制定し、各地の衛生部門に通知しました(「衛生部弁公庁関于印発《変性手術技術管理規範(試行)》的通知」衛弁医政発[2009]185号、「変性手術技術管理規範(試行)」[ワードファイル])。このことは、11月20日、衛生部のサイトで公表されました。

 衛生部の通知によると、この「規範」を制定したのは、「『医療技術臨床応用管理規則(医療技術臨床応用管理弁法)』を執行し、性転換手術の技術の審査と臨床応用の管理をきちんと行い、医療の質と医療の安全を保障する」ためだということです。

 今年6月16日に発表された意見募集稿(「変性手術技術管理規範(徴求意見稿)[ワードファイル]→本ブログの記事「『性転換手術技術管理規範』をめぐって」参照)と比較すると、あまり変わっていませんが、以下の2つの点で、手術を受ける条件が緩和されています。
 1.手術の前に提出すべき書類の中から、「現地の公安部門(警察)が手術後に身分証の性別を変更することに同意した証明」が削除された。
 2.性転換手術を受ける人が満たすべき条件のうちから、「患者が自ら選んだ性別で少なくとも2年間、公に生活と仕事をしていること」が削除された。

 上の2つの点に関しては、邱宗仁さん(中国社会科学院、倫理学)が批判していましたので、そうした批判も影響を与えたものと思われます(邱さんは、1の条件に関しては「身体的・精神的に必要があれば性転換を認めるべきであって、警察は、それに応じて身分証の性別を変更すべきである」、2の条件に関しては、「そのことは、中国社会の状況では難しい」という趣旨の批判していました(注))。

 今回の「規範」がサイトで発表されると、いくつかの新聞やネットが、そのポイント(手術を受ける人は、20歳以上で、婚姻状態になく、心理的・精神的治療を1年以上受けており、犯罪の記録がない証明が必要など)を報じました。
 「申请变性手术年龄得超20岁」『法制晩報』2009年11月20日。
 「卫生部:申请变性手术患者术前需接受心理、精神治疗1年以上」人民网2009年11月21日。
 「申请变性手术需交无犯罪记录证明」『北京日報』2009年11月21日(新浪網)。
 「卫生部:实施变性手术者须年满20未在婚姻状态」『北京晨報』2009年11月21日(網易)

(注)Shan Juan,“Sex change surgery guidelines draftedChina Daily,2009-06-17
関連記事

元「労働者」身分の女性専門技術者の50歳定年――性別と身分の二重の差別

 ご存じのとおり、中国では、男性は定年が60歳であるのに対して、女性は50歳か55歳であるという差別があり、その点は1980年代以来、問題になってきました(部[処]クラス以上の幹部や高いクラスの知識人は、女性も定年は60歳にする」という文書はあるのですが、その点を北京市の法規できちんと決めようとしたら、抵抗が大きくて、挫折したという話は先日書きました[女性幹部・女性知識人の定年の男女平等化に強い抵抗])。

 それに加えて、女性の専門技術者[専業技術人員]は定年が55歳であると決められているにもかかわらず、50歳で定年にさせられる場合があることが近年問題になっています。それは主にどういう場合かというと、以前、中国で「労働者」身分と「幹部」身分(専門技術者はこちらに分類される)がはっきり分かれていた時代に「労働者」だった女性が、その後、専門技術者になった場合です。そうしたケースでは、「あなたは『労働者』だから」という理由で、しばしば50歳で定年にされるのです。

国家の法律や政策

 もう少し詳しく言うと、いろいろ事情は複雑で、私も完全に理解できているわけではありませんが、だいたい以下のようです。

 1978年に国務院が出した「労働者の定年・退職に関する暫定規則[国務院関于工人退休、退職的暫行弁法]」と「老いた・弱い・障害を持つ・病気の幹部の配置に関する暫定規則[関于安置老弱残病幹部的暫行弁法]」(いずれも、国発[1978]104号で通知された)は、女性の「労働者」の定年は50歳で、女性の「幹部」の定年は55歳だと定めています。国家人事部によると、ここで言う「幹部」には、女性の専門技術者も含むとされています。

 中国ではずっと「労働者」と「幹部」はそれぞれ固定された身分でしたが、1991年に公布された、中央組織部・人事部の「全人民所有制企業の聘用制幹部管理暫定規定[全民所有制企業聘用制幹部管理暫行規定]」(人法発[1991]5号)で、企業は、労働者の中から優秀な人と招聘契約と結んで「幹部」(聘用制幹部)にできるようになりました。

 また、1995年に中華人民共和国労働法(中華人民共和国労動法)が施行されると、企業においては、全員が労働契約制になって、「労働者」と「幹部」は固定的な身分ではなくなりました。その際も、専門技術のポストについている人は「幹部」として扱うとされています(労働部「『中華人民共和国労働法』の貫徹執行の若干の問題に関する意見[労働部《関于貫徹執行〈中華人民共和国労動法〉若干問題的意見》]労部発[1995]309号」)

 国家の事業部門においても、固定的な身分はなくなると同時に、2004年の人事部の通知は「労働者のポストから専門技術または管理のポストに聘用された人員は、専門技術ポストまたは管理ポストに聘用されて満10年になり、かつ聘用されたポストで退職する者は、聘用されたポストに国家が規定した条件で退職を処理する」としています(人事部「事業単位の試行する人員聘用制度に関連する賃金待遇などの問題の処理の意見に関する通知[人事部「関于印発《関于事業単位試行人員聘用制度有関工資待遇等問題的処理意見(試行)》的通知」国人部発[2004]63号])。(1)

 以上のような法律や政策にもとづけば、元「労働者」であっても、専門技術(または管理)のポストについている女性の定年は55歳のはずです。しかし、実際は50歳で退職させられる場合がしばしばあり、裁判に訴えても敗訴する場合が多いのです。

北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターの経験

 NGOの北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターは、2007年までに、女性の専門技術者と管理者の50歳定年問題について数百件の相談を受けました。それらの相談は、十数の都市に及んでいました(2)。また、同センターは、2007年から現在までに、女性幹部の定年問題について計21件の訴訟などを起こしましたが(1件だけが仲裁で勝訴)、それらの訴えは、主に上で述べた「幹部と労働者の身分の線引き」の類型の訴訟でした。このように、多くの女性が「性別の差別と身分の差別」という「二重の差別」(同センター副主任・李瑩)に直面しているのです。

 こうした定年差別の案件に地域性はなく、業種や職業に次のような特色があるそうです。
 ・多発する領域は、主に教育・メディア・衛生などの事業単位、銀行・電力などの大型国有企業、科学研究・高等教育機関など待遇が比較的良いところ。
 ・55歳定年と身分の線引きを争っているのは主に、管理者、財務担当者、専門技術者、医療関係者、教師など。60歳定年を争っているのは、主に副高(「副」のつく上級職)の職称(各職種の職階名)の高等教育機関と研究機構の人員。(3)

 以下、個別の事例を見てみます(といっても、どの事例も複雑なので、私には十分まとめる力がないのですが、大体どんなことが問題になっているかを示してみました)。

さまざなケース

1.上海市のメディアグループのアナウンサー、番組司会者、会計、技術運営センターの技術者(4)

 2008年の初め、上海文広ニュースメディアグループ[上海文広新聞伝媒集団]の5人の女性の専門技術者が50歳で退職させられました。彼女たちは、退職前は、それぞれアナウンサー、番組司会者、会計、技術運営センターの総控師(技師のようなもの?)でした。

 彼女たちはもともとは知り合いではなかったのですが、50歳定年に異議を申し立てる活動をする中でお互いに知り合って、一緒に人事紛争仲裁委員会に仲裁を申請し、次いで裁判所に訴えました(訴訟を起こした人以外にも、同じような境遇の人が上海文広ニュースメディアグループには数十人いるそうです)。

 それに対して、被告側が盾に取ったのは、上海市の人事局の規定などです。その規定などには、女性の聘用制幹部の定年は「50歳から55歳」で、50歳になった女性を継続して雇うか否かは「本人の希望、指導部の批准」によると書かれていました(5)。「本人の希望、指導部の批准」と並列的に書かれていますが、実際の運用においては、両者が矛盾した場合は、指導部の意向が優先しました。

 原告側の弁護士は、それらの規定などは、1978年に国務院が出した「幹部の定年は55歳」という法規に反しており、行政法規の効力は地方性法規・規則よりも強いので(中華人民共和国立法法)、無効だと主張しました。

 けれど、北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターの訴訟部の主任の張帥さんによると、上海では、こうした裁判では、裁判所はしばしば判決で上海市人事局の規定を適用して、原告を敗訴させるということです。

 上海市では、「企業産業構造と財産権構造の改革調整、加えて事業部門を株式会社化して企業にする」という流れの中で、管理・技術のポストの女性を50歳で定年にする問題が頻発しているそうです。そのため、2008年の上海市の人民代表大会でも、上海市総工会の関係者が、管理・技術のポストの女性労働者の定年を一律に50歳にすることを制止する意見を関係部門が早急に出すことを求める提案を出しました(「企業の管理・技術職務の女性労働者の定年問題の規範化に関する提案」)(6)

2.浙江省のテレビ局の記者(7)

 徐飛さんは、1985年に湖州テレビ局に入り、初めは労働者だったのですが、取材・編集の仕事をして、副高級の技術職称を得ました。彼女の仕事は優秀で、浙江省の第1回ベスト20ジャーナリストにも選ばれました。徐さんは、自分は高いクラスの専門家なので、むしろ定年は60歳だと思っていたのです。しかし、50歳で突然、定年を言い渡されました。

 その理由について『中国婦女報』の記者が、湖州市のラジオ・映画・テレビ総局の呉宝宏さんに尋ねると、「彼女はもともとは労働者の身分だから」と言って、1978年の「女性労働者の定年は50歳」という規定を持ち出しました。『中国婦女報』の記者が、徐さんの高級職称を示す証書などを提示しても、「それらは我々の内部のもので、人事部門の記録ではない」と言いました。

 湖州市人事局総合部部長の呉玉林さんも、「徐飛さんのことは私たちも知っているが、人を雇う団体[用人単位]には自主権があるので、彼らを管理するのは難しい」と述べました。

 しかし、浙江省の政治協商会議でも、委員の中に、女性専門技術者の定年問題に関する提案を出す人が現れ、浙江省人力資源と社会保障庁も、2009年8月、「事業単位は事前に本人の意見を求め、本人の選択によって50歳か55歳の退職の手続きをしなければならない」という文書(8)を出しました。

 その文書に関しては、呉玉林さんも「もし現在のこの政策にもとづけば、徐飛さんは退職しなくてよかった」と認めました。しかし、彼は、続けて「けれど、徐飛さんの退職手続きはもう済んでいるので、このバスに追い付こうとしても(この文書を使おうとしても)、おそらく無理だろう」と述べました。
 
3.浙江省化学工業輸出入有限公司の財務管理(9)

 呉莉麗さんは、浙江省化学工業輸出入有限公司で10年あまり財務管理の仕事をしてきました。けれども、2005年、意に反して50歳で退職させられ、省の労働・社会保険庁もそれを許可しました。

 呉さんは、2006年11月、省の労働・社会保険庁を相手取って裁判を起こしました。

 しかし、会社側は、「会社の総支配人業務連絡会議[総経理弁公会議]などの決定で、出納や内部銀行などのポストは労働者のポストだと決めている」と主張しました。省の労働・社会保険庁も、その会議の記録を、自らの許可が合法だったことの証拠にしました。

 それに対して、呉さんは、法律では、会社の重要な決定は、取締役会での承認と労働者代表大会での採択が必要だとされているのに、上の決定はそのような手続きが取られていないので、「労働組合法」「労働法」「会社法」に違反していると主張しました。また、出納や文書管理の仕事を労働者のポストとして分離することは、「会計法」関係の法規に違反していることも主張しました。

 しかし、2007年2月の一審判決は、会社が呉さんを専門技術職務として招聘していないこと(呉さんが技術職称の招聘書を持っていないこと)を理由に、呉さんの請求を棄却しました。

 そこで、呉さんは、会計員としての専門技術職称の招聘書を探してきて、控訴しました。控訴審では、裁判所の主導で和解が進められ、会社は呉さんに10.3万元を補償することになり、両者は和解協定に調印しました。

 しかし、会社は「和解協定に公印を押すから」と言って、それを持って帰ってしまい、それきりになりました。その後、裁判所は態度を豹変させて、突然、判決を出して、呉さんの控訴を棄却しました。態度を豹変させた原因について、裁判官は取材を拒否しました。

 控訴を棄却した理由は、「呉さんの身分は労働者だから」というものでした。

4.浙江省台州市の幼稚園教師(10)

 徐志平さんは、浙江省台州市天台県の幼児教育の教師を23年間つとめ、そのうち19年間は高級教師であり、15年間は幼稚園の園長でした。徐さんは身分は「労働者」でしたが、このように専門職や管理者になり、待遇も「幹部」身分の人と同じようになったにもかかわらず、5年早く50歳で退職させられました。天台県には同じような情況の教師が二十数名いました。

 徐さんは裁判に訴えましたが、天台県教育局は「徐さんは労働者身分であり、1978年の規定によれば、労働者の定年は50歳である」、「天台県の事業単位は全員を聘用制にしていなので、国家の人事部の関係文書のとおりにはできない」と主張し、裁判は徐さんの敗訴に終わりました。

5.浙江省の湖州市港航局の会計(11)

 施竹君さんは、浙江省の湖州市港航局の財務で会計をしていましたが、50歳で退職させられました。

 施さんは裁判に訴えましたが、2007年1月、湖州市呉興区法院は「労働者のポストから専門技術または管理のポストに聘用された人員の定年や退職の待遇には、人事の法律・法規の硬い[剛性]規定がなく、湖州市港航局が自主的に決定することは、法律・法規の強制的な規定に違反していない」として、施さんの請求を棄却しました。

6.浙江省台州市の電力供給局の会計(12)

 張鑫花さんは、浙江省台州市仙居県の電力供給局で1987年から会計の仕事をしてきました。この期間、張さんは、計理助手、主任会計係、コスト会計係、会計グループのグループ長などを歴任しました。

 張さんは2008年に満50歳になったので、県の人事労働社会保障局に55歳定年を選択する書面を送りました。しかし、2009年4月、同局からは退職証が送られてきました。

 張さんは、県の人事労働社会保障局と電力供給局の行為は違法だとして、行政訴訟を起こしました。

 被告側は、張さんは労働者として採用されたのであり、1978年の国務院の規則では「女性の労働者の定年は55歳」だと主張しました。

 それに対して、原告側は「1995年に『労働法』が施行されて以後は、企業は労働契約制を実行することを明確にしたのだから、企業の中ではもう幹部と労働者の区分はなくなった」「新しい法律が古い法律に取って代わったのだ」と主張しました。

 法廷では、被告側も、張さんがずっと会計の仕事をしてきたという事実は認めました。しかし、被告側は「1990年以後は、電力供給局は張さんに会計ポストへの招聘書を送っていない」と言い、「正式の手続きをしていないから、55歳定年を認めるわけにはいかない」と主張しました。

 原告側は、それに対して、「招聘書は聘任[招聘して任命する]関係を形成する一つの書面の表現形式にすぎず、聘任関係を認定する唯一の証拠ではない。原告は、1987年から会計の仕事に従事しており、原告の実質的な仕事の内容から見れば、原告と第三者の間には事実上の聘任関係があることに疑問はない。」「使用者は、法律の規定に基づいて、会計ポストへの招聘書を送るべきだった。履行すべき義務を履行しないのは不作為である。人事労働社会保障局は、管理部門として、使用者に対して違法行為の監督・是正をすべきであって、これを理由として聘任関係の不成立を主張することはできない」と主張しています。

 浙江省台州市の9つの県の電力供給局の中でも定年政策はまちまちで、2つの県の電力供給局は、55歳定年を実行していますが、その他は50歳定年に決めています。そこで、50歳定年になっている仙居・臨海・椒海および台州市直属の電力供給局の124名の女性労働者は「権利保護連盟[維権聯盟]」を結成して、この問題を解決するように訴えています。

7.北京市のホテルの医者(13)

 曹さんは、1994年に「北京新興ホテル」に入って以後、医療の仕事に従事し、2005年には主治医の資格も取得して、ずっとホテルの主治医をつとめてきました。しかし、2004年、北京新興ホテルは曹さんが50歳になったことを理由にして退職の手続きをし、北京市海淀区の労働・社会保障局の許可も得て、曹さんを退職させました。

 曹さんは、退職の審査・許可をした北京市海淀区の労働・社会保障局を相手取って行政訴訟を起こしました。

 裁判では、北京新興ホテルは、同ホテルの「新興ホテル従業員の労働契約締結のポスト・身分の線引き」という文書において、管理ポストの人員(各部門の副責任者以上の人)だけを幹部身分だと定めているので、原告は労働者身分であると主張しました。労働・社会保障局も、それに従って手続きをした旨を主張しました。

 曹さんは、それに対して、「新興ホテル従業員の~」という内部文書は、民主的な手続きによって制定されておらず、公表されてもいないことを指摘しました。最高人民法院の「労働紛争事件の法律適用の若干の問題に関する解釈」は、「企業が制定した規則・制度は、民主的な手続きで採択されなければならない。また、国家の法律・法規・政策の規定に違反してはならず、かつ労働者に公示されてはじめて裁判所が事件を審理する根拠になる」と書かれているので、「新興ホテル従業員の~」には法律上の効力はなく、審査・許可の材料にしてはならないと主張しました。

 しかし、裁判所の判決は、新興ホテルが材料をそろえて申請してきたから、労働・社会保障局は許可したのであり、違法ではないといったようなことを述べて、曹さんの請求を棄却するというものでした。

 この事件で原告の曹さんの代理人をつとめた北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターの弁護士は、この判決について、「判決理由の中で、被告の具体的な行政行為の合法性に対して具体的な分析や論証をおこなわず、原告と代理人が提出した種々の問題に対しても、分析や反駁をしていない」と批判しました。

 北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターは、2006年1月、「企業の労働者身分と定年問題の研究討論会」をおこない、この事例を検討しましたが、そこでも、以下のような意見が出ました。
 ・「企業は一定の範囲で自主権を持つが、その範囲は法律の規定に必ず合致していなければならない」
 ・「労働部門の職責は、人を雇う団体に対して監督・検査をおこない、人を雇う団体の規則と制度に対して実質的な審査、すなわち合法性の審査をおこなわなければならない。会社が送ってきた材料を形式的に審査するのでは不十分だ」
 ・「中国の身分制度が反映しているのは等級制度だ。人権と法律の観点から見て、等級の区分は間違っており、人権に反している。企業の労働者・幹部の身分の区別は、こうした等級制度を反映しており、それ自身、立ち遅れたものである。市民社会を建設するには裁判官の立場が重要だが、この裁判について言えば、一審の裁判所の判決は、促進する働きをしておらず、促退する働きをした」

8.北京市のホテルの会計(14)

 紀さんは、1989年に北京軽工業集団公司から労働者の身分で北京新興ホテルに入りました。しかし、1995年に補佐会計師の資格を取って以後は、補佐会計師のポストに任用され、ずっとその仕事をしてきました。しかし、2005年、曹さんと同様の経緯で、50歳で退職させられました。

 紀さんも裁判に訴えましたが、曹さんの場合とほぼ同様の経過で敗訴しました。

女性専門技術者の50歳定年問題の背景

 以上から、女性専門技術者の50歳定年問題の背景について、いつくかの点をメモ的にまとめてみました。もちろん、根底には性別役割やジェンダーの問題があるのですが……。

企業改革、市場経済化
 上海市の事例で触れられている「企業産業構造と財産権構造の改革調整、加えて多くの事業部門を株式会社化して企業にする[企業産業結構和産権結構改革調整、加上大批事業単位転制為企業]」という点については私は調べられていないのですが、やはり市場経済化に伴うリストラのような流れの中で、定年が早期化されているということではないでしょうか?
 しかし、現実には、そうした国有企業の改革と構造調整、農村の余剰労働力の流入によって引き起こされた就職難を、地方の人事部門は、女性を早めに退職させることによって解決しようとしているとも指摘されています(15)

地方の人事部門の性差別的な姿勢
 上海市人事局の規定に典型的に見られるように、女性専門技術者の50歳定年の一つの重要な原因は、「地方の人事部門」の「性差別」(中央人民公安大学副教授・呉道霞さん)にあります(16)

行政に逆らえない裁判所
 裁判で原告側が勝訴しない原因については、地方行政に対する裁判所の従属性という点も指摘されています。北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターの徐維華さんと王竹青さんは「誰もが知っているように、中国各地の裁判所の財政費用は地方政府から来ており、裁判所の人員の任免も同クラスの人民代表大会によって決まる。このため裁判所と地方政府との間には密接な関係があり、地方政府の態度が直接、裁判所の判決に影響する。裁判所が政府に従属している時に、裁判所が政府と対抗できると想像しにくいのは、ちょうど競技場で審判が選手を兼ねている時に、公正な試合ができないのと同じことである。司法と行政とが分離していなければ、公正な司法はありえず、公正な判決はありえない」と述べ、北京新興ホテルの曹さんの事件について、裁判所が、北京市海淀区労働・社会保障局がおこなった退職手続きの合法性の問題に言及しなかった背景には、行政の司法に対する影響力があったことは明らかだと言っています(17)

 行政も裁判所も、本当にさまざまな理由をつけて女性専門技術者の訴えを退けているのですが、その中では、以下の点がポイントになるように思います。

 1.「労働者身分」という固定観念
 行政や裁判所が1978年当時の国務院の規則を持ち出す背景にはこれがあるでしょう。北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターの徐維華さんは「女性労働者の定年の訴訟が頻発していることは、一つの観念の問題を提出している。我が国の人事機構の改革が深化した後、ポストの聘任制を実行され、広範な女性労働者が頭角を現し、専門技術や管理のポストについた。しかし、この過程で、ポストと身分が符合しない現象が大量に現れた。このような状況には全国的な普遍性があり、この問題の解決を要求する声はすこぶる高い。改革開放はもう30年になったのに、一部の人は封建的な『血統論』を固守している」と述べています(18)

 2.企業の「自主権」の絶対視
 裁判所や行政は、多くの事例で「企業の自主権」を主張しています。労働者には知らされていない内部文書や内部の決定を根拠にすることも(浙江省化学工業輸出入有限公司や北京新興ホテルの事件)、そのあらわれでしょう。

 3.女性専門技術者の55歳定年を決めた明確な法律がない
 浙江省の湖州港航局の事件で、裁判所が「人事の法律法規の硬い規定がない」と述べたように、女性専門技術者の55歳定年を決めた法律はありません(もちろん、55歳でも男女平等ではないので、本当は男女平等を定めた法律が必要です)。
 北京大学法学院女性法律研究・サービスセンター副主任の李瑩さんは、「このような案件を処理するときに、適用できる労働部や人事部などの部門が出した関連規定は多いけれども、部門の規範的文書の法律的な効力は行政法規よりも低く、法廷の弁論の過程で、私たちはいつも相手側が持ち出す行政法規――国発(1978)104号文書――に妨げられてきた」と述べ、根本から女性の定年の問題を解決するには、法律の改正が必要だと主張しています(19)

50歳定年の女性にとっての打撃

 50歳で退職させられることは、女性にとって大きな打撃です。

 まず、収入の上で大きな打撃です。退職後も「退職賃金」という年金のようなものはありますが、現役の時の賃金よりもはるかに少ない。上海文広ニュースメディアグループに勤務していた林さんは「退職賃金は、在職時の給与の数分の一で、私の生活はすっかりめちゃくちゃになった」と言っています(20)。また、現在の制度では、退職後の年金と勤続年数とがリンクするようになっているので、定年を早く迎えれば、その分、年金も少なくなります。

 もちろん精神的にも、大きな打撃です。上海文広ニュースメディアグループの女性たちは「私たちの知識の構造、仕事の経験、生活の経歴、家事の負担から言って、50歳は、私たちの職業生活の中で一番良い時期です」と訴えました。湖州テレビ局の徐さんは「ニュースの仕事は私の命だったのに、彼らは私の命を奪いました」「もし定年が55歳だったら、[副高級から]正高級になれたのに、今ではその夢も手に届かなくなりました」と言っています。徐飛さんは、定年を告げられると病に倒れて53日間入院し、毎日大量の睡眠薬を飲まないと眠れませんでした。徐飛さんの同僚の高小華さんも、内分泌の乱れが起こり、1年に3度も入院しました。高さんは「彼らは私たちの労働権を奪っただけでなく、私たちの人格の尊厳を侵犯した。女性に対する差別です」と述べています。幼稚園教師の徐志平さんも、突然定年を言われて、その場で泣き叫びました。(21)

 企業にとっても彼女たちは貴重な人材ですから、「返聘」(退職者の再雇用)という形で職場に復帰させている例もあります(22)。幼稚園教師の徐志平さんは再雇用されていますし、湖州港航局の施竹君さんは会計責任者です。しかし、施さんの場合は、「退職賃金」しかもらっていません(23)

 55歳定年を勝ち取ろうとする女性の方々の努力は大変なものです。さまざまな関係機関に訴えに行ったり、負けても負けても訴訟を起こしたり、訴訟で複数の女性が協力し合ったり、「権利保護連盟」を作ったり……。 
 
 裁判ではほとんど負けていますが、努力がすべて無駄だったわけではなく、北京大学法学院女性法律研究・サービスセンターの李瑩さんによると、「現在の実践の経験から見ると、このような[女性の定年]問題の最も有効な解決法は調停である。センターが関与した事件では、若干の事件では当事者が身分を回復して、利益は別の形で補償されたけれども、単位は公には誤りを認めなかった」という状況だそうです。浙江省台州市の幼稚園教師のケースでは、その他の教師の問題も最終的には解決できたそうです(24)

 また、人民代表大会や政治協商会議で提案をおこなう人も出てきて、2009年8月の浙江省の人力資源と社会保障庁の意見のような前進も生まれています。まだまだ壁は厚いと思いますが、この問題が何とか解決されることを期待したいと思います。
 
(1)以上は、王竹青・呉道霞「女性専業技術人員退休問題的法律与政策解読」『婦女研究論叢』2007年2期。
 それまでの歴史的変遷は以下の通り。
 (1)1951年2月「労働保険条例[労動保険条例]」→男性職員・労働者は60歳、女性職員・労働者は50歳。
 (2)1955年12月(56年1月施行)「国家機関工作人員退職処理暫定規則[国家機関工作人員退休処理暫行辨法]」→国家機関の女性勤務人員については、50歳を55歳に。
 (3)1957年11月(58年2月施行)国務院「労働者・職員退職処理暫定規定[国務院関于工人、職員退休処理的暫行規定]」→女性労働者は50歳、女性職員は55歳。
 (1)の全文の翻訳は、日本国際問題研究所・中国部会編『新中国資料集成 第3巻』(日本国際問題研究所 1969年)265-273頁に掲載。(2)の全文は、中国社会科学院 中央档案館編『1953-1957 中華人民共和国経済档案資料選篇 労動工資和職工保険福利巻』(中国物価出版社 1998年)1067-1069頁に掲載。
(2)50歳退休,女性専業技術人員的一道坎兒」『中国婦女報』2007年12月13日。
(3)退休年齢糾紛 根本解決之道在于健全法律」『中国婦女報』2009年10月15日。
(4)以上は、「上海文広新聞伝媒集団5名享受幹部待遇的女性専業技術人員,被強制要求提前5年退休,痛苦、失過后,她們聯合起来,為維護自己的工作権進行仲裁――“我們強烈声明不願50歳退休”」『中国婦女報』2008年6月12日、「堅持到底 她們就能勝利嗎?」『中国婦女報』2009年10月20日。
(5)上海市人事局の「上海市事業単位聘用制幹部管理暫定規則[上海市事業単位聘用制幹部管理暫行弁法]」が、女性の聘用制の幹部の定年は「50歳から55歳」と規定しており、「『上海市事業単聘招用制幹部管理暫定規則』の関係条項に関する返信[《上海市事業単位聘用制幹部管理暫行弁法》有関条款的復函]」が、50歳になった女性を継続して任命するか否かは「本人の希望、指導部の批准」によるとしている。
(6)上海人大代表提出議案:企業技術管理崗位女職工不応50歳退休」『中国婦女報』2008年1月28日。2009年にも同様の提案を出しました(「堅持到底 她們就能勝利嗎?」『中国婦女報』2009年10月20日)。2009年で3回目だということなので、2007年から出していたものと思われます。
(7)她的維権之路究竟還有多遠――湖州電視台原首席記者徐飛退休年齢糾紛調査」『中国婦女報』2009年10月15日。
(8)「事業単位の女性労働者の定年の問題に関する意見[浙江省人力資源和社会保障庁関于事業単位女職工退休年齢有関問題的意見]」浙人社発[2009]94号。
(9)王竹青・徐維華「一女工因退休問題提起的行政訴訟案引来各方関注」新華網2007年3月19日(来源は工人日報)、「浙“強制退休第一案”終審判决 原告或選択申訴」新華網浙江頻道2009年4月30日。
(10)従教23年女教師被迫退休上法庭 “以工代幹”人員退休年齢如何算?」『中国婦女報』2007年11月20日、「50歳退休,知識女性難越這道坎兒」『民主与法制時報』2007年11月26日。
(11)50歳退休,知識女性難越這道坎兒」『民主与法制時報』2007年11月26日。
(12)55歳退休,她究竟有没有選択権?――浙江一供電局女職工因50歳被退休状告労動部門」『中国婦女報』2009年11月3日。
(13)王竹青「曹某訴北京市海淀区労動和社会保障局行政訴訟案」北京大学法学院婦女法律研究与服務中心編『北京大学婦女労動権益保護理論与実践』(中国人民公安大学出版社 2006年)
(14)王竹青「紀某訴北京市海淀区労動和社会保障局行政訴訟案」同上書。
(15)王竹青・呉道霞「女性専業技術人員退休問題的法律与政策解読」『婦女研究論叢』2007年2期、16頁。
(16)50歳退休,知識女性難越這道坎兒」『民主与法制時報』2007年11月26日、「堅持到底 她們就能勝利嗎?」『中国婦女報』2009年10月20日。
(17)王竹青・呉道霞「女性専業技術人員退休問題的法律与政策解読」『婦女研究論叢』2007年2期、17頁。
(18)50歳退休,女性専業技術人員的一道坎兒」『中国婦女報』2007年12月13日。
(19)退休年齢糾紛 根本解決之道在于健全法律」『中国婦女報』2009年10月15日。
(20)堅持到底 她們就能勝利嗎?」『中国婦女報』2009年10月20日。
(21)同上、「她的維権之路究竟還有多遠――湖州電視台原首席記者徐飛退休年齢糾紛調査」『中国婦女報』2009年10月15日、「50歳退休,知識女性難越這道坎兒」『民主与法制時報』2007年11月26日。
(22)堅持到底 她們就能勝利嗎?」『中国婦女報』2009年10月20日。
(23)50歳退休,知識女性難越這道坎兒」『民主与法制時報』2007年11月26日。
(24)退休年齢糾紛 根本解決之道在于健全法律」『中国婦女報』2009年10月15日。
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香港プライドパレード2009に1800人あまり

 第7回台湾プライドパレードの翌日の11月1日、第2回香港プライドパレードがおこなわれました(パレードのサイトは「香港同志遊行2009」。2008年の第1回のパレードについては、本ブログの記事「香港初のプライドパレードに1000人あまり」参照)。

 今年のスローガンは、「驕傲做自己 同志愛出来(Be Proud! Be Yourself!)」でした。

 参加者は、主催者発表で1800人あまりでした。昨年の1000人と比べて、80%増です。ただし、当日のテレビや一部の新聞は、参加者を「数百人」とか「400名あまり」と伝えています(「香港同志遊行2009 now 報導[youtube]」、「港同性戀者游行爭取不受歧視」大公網訊2009-11-1など)(1)

 今年の香港プライドパレード準備委員会は、香港女同盟会(女性のセクシュアル・マイノリティのための団体)、午夜藍(男性セックスワーカーの互助団体)、香港彩虹(セクシュアル・マイノリティのための団体)、女同学社(〃)、Gay Harmonyで構成されました。他にも、28団体が参加しました(游行队伍报名)。香港女同盟会の陳文慧(Connie Chan)さんがパレードの総責任者をつとめました。

 今年は、香港のパレードも、台湾同様に「レインボー大使(彩虹大使)」を選び、映画監督の許鞍華さんが「レインボー大使」になりました。

当日のパレートの模様

 パレードは、午後2時半に灣仔の修頓遊楽場を出発し、軒尼詩道を通って、中環の遮打花園まで行進し、そこで集会やショーをしました(2)

 下が、準備委員会が編集したyoutubeのスライド「香港同志遊行2009參與人數多達1,800人」です(音が出ます)。


 動画は短いものが多いですが、行進している様子がわかるものを下に幾つかリンクしておきます。
香港同志遊行2009即時視像速報之14
香港同志遊行2009即時視像速報之16
香港同志遊行2009即時視像速報之18
香港同志遊行2009即時視像速報之20

 このパレードでは、男性セックスワーカーの互助団体である「午夜藍」のポランティアは、反射テープを巻いた作業服を着て、ヘルメットをかぶってパレードしました。これは、セックスワーカーも労働者階級であり、がんばって骨が折れる仕事をしているのだから、社会的な差別をなくすようにアピールするためでした。

 また、「神は同性愛者も愛する」という横断幕を掲げて、20名のキリスト教徒も行進しました。

 外資系銀行の外国籍の人々が結成した「Interbank」、外国人の同性愛者組織「Homolympics」もデモに参加しました

多かった本土からの参加者

 このパレードには、本土の北京愛知行研究所(エイズ防止やセクマイ差別反対の活動をする民間組織)・上海女愛小組(レズビアン組織)・広州同城社区大学生彩虹隊・藍絲帯同志旅遊網(Gay travel site in China)・貴州黔縁工作組(エイズ防止、反同性愛差別)も参加しました。愛白成都青年同志活動中心(Aibai Chengdu LGBT Yuoth Center)が横断幕を掲げてパレードしている姿は、愛白網の記事「爱白等大陆团体参加香港同志游行」の写真で見ることができます。

 陳文慧さんによると、本土から300人が参加したとのことです。本土ではデモができないので、参加した人という人も多かったようです。香港在住で「香港彩虹」や「彩虹中国」の創設者である、張錦雄さんも、本土の現状について、「なぜ異性愛の映画だけが(映画館で)放映できるのか? 絶対に差別だ!」と怒りました(3)

 北京から参加した阿強さん(「夫夫網」主宰)は、自分のブログとサイトに、多数の写真を掲載した参加記を書いています(与2000名同性恋者在香港骄傲走上街←この記事の中には、「同性愛者の親と家族の会(同性恋親友会、本ブログの記事参照)」が横断幕を掲げた写真もあります)。阿強さんは、デモの隊列の大部分は、本土の同性愛者と香港で仕事をしている外国人だったと言います(4)。香港中文大学の大学院生の阿才さんによると、これはけっして不思議なことではなく、「香港は、実は開放的でありつつ保守的なところで、香港のLGBTは様々な原因で必ずしもパレードに参加できないけれど、内地からは香港にパレードに行きやすいので、内地から来たLGBTが多いのは当然である」とのことです。阿強さんによると、内地から来たある人は「この活動に参加して、自分の生活に自信とパワーを得て、もう一人ぼっちだとは思わなくなった」ということです。

 ブログの記事「亲历第二届香港同志游行」も、北京から参加した人の写真入りの参加記です。この記事によると、パレードの人々は、バスが通るたびに、レインボーフラッグを振って挨拶したそうです。バスの乗客もたいていは、ほほ笑んだり、挨拶したそうですが、一人、パレードに向かって中指を立てた人がいて、ぞっとしたと書かれています。

政府関係者は招待を断る

 今回の香港のパレードに対しては、台湾と違って、宗教団体の直接の公然とした反対活動はありませんでした。

 しかし、香港プライドパレード準備委員会が、香港特別行政区行政長官や労工及福利局(Labour and Welfare Bureau)局長、政制及内地事務局(Constitutional and Mainland Affairs Bureau)局長、平等機会委員会主席を招待したところ、みな招待を断りました(5)

(1)当日の写真やビデオを見ると、一度に映っているのは数百人程度のように見えます。
 ただし、この点は、一つには、ある時点におけるデモの隊列の人数を数えるか、最後の集会に至るまで少しでも関わった延べ人数を数えるかで違いが出てくる部分もあるだろうと思います。
 もちろん、メディアのほうに、日本の警察側発表が時にそうであるように、バイアスがある可能性も否定できないと思います。
 また、かりに数百人だったとしても、必ずしも香港での活動そのものが弱まったとは言い難いように思います。というのは、昨年は、1000人あまりのうち、約400人は台湾や中国本土からの参加だったのですが、今年は台湾のパレードが前日にあったので、台湾からの来援は昨年よりも難しかったでしょうし、香港から台湾のパレードに参加した人たちが帰ってくるのも難しかったと考えられるからです。
(2)以上は、パレードのサイト「香港同志遊行2009」より。
(3)(2)より下の、ここまでの記述は、「撐婚姻反歧視大遊行 千同志高呼一起PROUD(1)」「同(2)」「同(3)」「同(4)」『成報』2009年11月2日(「媒体报道香港同志游行:反歧视千同性恋者高呼一起PROUD」愛白網2009-11-02にも同じものが掲載されています)による。
(4)もしパレードの参加者が、テレビなどの報道のとおり、数百人で、本土からの参加者が、陳文慧(Connie Chan)さんの言うとおり、300人だとしたら、阿強さんの観察は正しいことになります。あるいは、デモに参加した人と最後の集会やショーに参加した人との違いなのかもしれません。
(5)「下月1日上街 要求性傾向平等 同志游行高官拒撐場」『蘋果日報』2009年10月23日(香港同志遊行2009のサイトの「媒体報道」に収録)。
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台湾プライドパレード2009に2万5千人

 10月31日、第7回台湾LGBTプライドパレード(パレードのサイト「台灣同志遊行聯盟」)がおこなわれ、史上最高の2万5千人(1)が参加しました(2007年のパレードについては、Global Voicesの記事「台湾:2007台湾プライドパレード」、2008年のパレードについては、本ブログの記事「台湾プライドパレードに史上最高の1万8千人」参照)。

 参加者は、第1回から毎年、急速に増え続けています。
 第1回(2003年)  500人近く
 第2回(2004年)  3000人を越える
 第3回(2005年)  5000人近く
 第4回(2006年) 10000人を突破
 第5回(2007年) 15000人
 第6回(2008年) 18000人
 第7回(2009年) 25000人

 今年のテーマは、「同志愛很大(Love Out Loud)」でした。これは、「愛によって差別をなくして、愛し合うことの力を示そう」という趣旨のもので、具体的には、次の3点を意味しています(それぞれ、簡単な内容も付記しました)。
 ・「同志的愛,無所不在(私たちの愛は、いたるところに存在する)」……LGBT(2)はみんなの身近にいる。社会のどこにでもいて、みな、社会のために貢献してきたけれども、異性愛者と同じ権利を持つことができていない。
 ・「同志驕傲愛自己(私たちは誇りを持って自分を愛そう)」……私たちLGBTはしばしば、自分を愛することの重要性をおろそかにしてきた。まず自分を愛してこそ、他人と社会を愛することができる。
 ・「同志要你的愛(私たちにはあなたの愛が必要だ)」……私たちLGBTは今なお、差別され、嘲笑されている。「異性愛関係だけが尊い」という価値観によって、非異性愛者は異端視され、不正常なものとされてきた。私たちは社会との対話を求め、「愛し合うことを支持し、恨み憎しみを拒絶する」人々を歓迎する。

 パレードを主催する「台湾同志遊行連盟(Taiwan LGBT Pride Community)」は、今年は、以下の団体が準備団体になりました。
 台湾性別人権協会(Gender/Sexuality Rights Association Taiwan)(セクシュアル・マイノリティなど、既成の性別二分法から外れた人々のための団体)、台湾同志諮詢熱綫協会(セクマイのための電話相談など)、晶晶書庫(LGBTらのための書店)、基本書坊(〃)、教師同盟(セクマイの教職員を支持し、教育における多元性を尊重する団体)、水男孩(海水パンツでパレードする男性の集まり)、Bi the Way(バイセクシュアル団体)、台湾大学浪達社(女性同性愛の学生団体)、台湾大学女性研究社(フェミニズム研究団体)、皮縄愉虐邦(BDSMの団体)

 パレードに参加した団体は、今年は初めて100を超えました。

 今年は、女性歌手の梁靜茹(Fish Leong)さんが「レインボー大使(彩虹大使)」になりました(梁靜茹さんのブログの記事「梁靜茹擔任2009年〈同志愛很大 彩虹代言人〉」、発言のビデオ「彩虹大使梁靜茹 1031台灣同志大遊行行前的祝福」)。

 「レインボー大使」は、「LGBTに友好的で、かつ芸能生活と公の場で、LGBTの運動を支持することを明確に表明した芸能人」の中から選ばれ、「必ずパレードに参加して、終点の舞台で行動によってLGBTを支持し、パレードに声援を送り、LGBTの権益のために声を上げる」ことになっています。

パレードの様子

 今年のパレードは、初めて総統府前のケタガラン大通りを出発点と終点にしたルートでやることができました(遊行路線)。

 終点では、梁靜茹さんが「勇気」「属於」「會呼吸的痛」などの歌を歌い(←リンク先はyoutube)、「私の友だちや仕事仲間にもたくさんLGBTがいるから、LGBTのために声を出せるのはとても光栄です」と述べました(3)

 日本・香港・シンガポール・欧米など、国外からも多数の参加がありました。日本国籍のMASAさんは「ここのパレードは東京よりずっと面白い。東京は行儀が良すぎる」と言いました。彼の見積もりでは、日本から約200人が台湾に来ているとのことです。また、今年は中国の団体も来ていましたが、中国の規定では「観光客は、台湾のデモには参加してはならない」ことになっているそうで、控えめにしていたそうです(4)

次が当日の写真(フリッカー)です。
2009同志大遊行現場相片

また、「アジア最大のプライド・パレード『台湾プライド』に2万5千人が参加」(みやきち日記)は、TAIPEI TIMESの記事の内容やyoutubeのビデオを紹介しています。

以下の中国本土のサイトの記事も、写真を多数掲載しています。
第七届台湾同志游行熱烈進行」愛白網2009-10-31
媒体报道第七届台湾同志大游行:同性恋者盼法律平等权利」愛白網2009-11-01
台湾同性恋游行图片-同语志愿者现场拍摄」同語HP2009-11-02

進まないLGBTをめぐる政策

 パレードへの参加者は年々急増していますが、もちろんLGBTの人々はまだまだ困難な状況に置かれています。たとえば、今回初めてパレードに参加した同性愛者の小Pさん(21歳)は、新聞の取材に答えて、高校以前は、学校は同性愛者に対する差別と嘲笑で充満していたので、やむなく異性愛者を偽装してクラスの女子生徒と怪しい関係になったが、それは「ちょうど、あなたがた異性愛の男子生徒が、むりやり男子生徒と怪しい関係を強要されるとの同じような苦痛だったんだ!」と述べています。大学に入学した後、はじめて同級生に性的指向を明らかにしたけれども、「今に至るまで、父母には知らせることができない」とのことです(5)

 たとえばそうした状況があるのに、馬英九政権は、同性婚姻の合法化や反差別法の立法化、刑法235条児童および少年福利法29条社会秩序維持法80条(これらは、それぞれ猥褻・青少年保護・売買春禁止条項ですが、同性愛の抑圧にも利用されているということのようです)の改正を進めてません。中央大学教授の何春蕤さんは「馬英九が政権について変えたのは、LGBTにケタガラン大通りを開放したことだけだ。これは基本的人権にすぎず、他のことは何もしていない」と批判しています(6)

 こうした状況に対して、パレードは、青(国民党を示す)と緑(民進党を示す)ののぼりを交差させて、×印を作って両党を批判したり、みんなで黒いハートマークを掲げて、政府の政策にノーを突きつけたりしました(7)

反LGBTデモ

 また、今年は、パレードの1週間前の10月24日に、反LGBTデモがありました。これは、キリスト教長老会・侵信会・衛理会・行道会による「神の愛はすべてを超える」と称するデモです。その発起人の一人である長老会の陳宇全牧師は「プライドパレードが年々盛んになって、若い人が性別と婚姻に対して誤った偏向した認識を持つようになり、また、多くの父母の心も傷つけている」、「キリスト教の教義は同性愛行為を支持しないが、できるだけ愛によって包容する。けれども、ここ数年のLGBTは弱者ではないのみならず、メディアの主流になったので、次の世代の価値観が混乱することを心配して、声を伝えようと決めた」と言っています。

 このデモは、「間違った愛を拒絶し、台湾を浄化する」というスローガンを叫びつつ、写真にあるように、「神は、一人の男と一人の女の婚姻を祝福する」「同性愛パレードは、大きな災難をもたらす」「神は世人を愛し、罪悪を憎む」といった幟を立てて歩きました。やはりケタガラン大通りから出発し、300人ほどが参加しました。デモの終点では「台湾の大空を浄化する」祈祷会をおこないました(8)

 このデモに対しては台湾のキリスト教の人士からも異見が出ていますが、台湾同志遊行連盟も「LGBTは、社会に対して多くの貢献をしており、また社会の各界・各階層に存在しているのに、宗教人が、LGBTを『罪がある』と考えるのは、無知と偏見の産物であり、LGBTとLGBTのキリスト教徒の心を深く傷つけた」と批判しました。連盟の楚楚さんは「LGBTの運動は、台湾が真の民主的で平等で多元的な社会に歩んでいる象徴であり、少数のキリスト教団体が、『愛』の名の下に、実際は『差別』をおこなっているのは、『神は世界の人を愛する』という真理に背いている」と指摘しました。さらに、大学生ら10数名で結成した「All My GAY」というグループのメンバーは、その場に出向いて、十字架を背負って抗議行動をしました(9)

パレードのあり方に対する疑問も一部に

 このように、LGBTの状況が改善されないまま、バックラッシュまで起きているので、上の「All My GAY」グループは、パレードの当日、次のような声明文を発表しました。
 「もし一年のうち、パレードの日以外の364日は、LGBTの実際の生活の境遇が改善されず、相変わらず差別や抑圧、恐怖の中で生きているなら、毎年パレードの人数が増えるだけでは、まったく誇るに値しない」、「このような人数・規模の拡大は、その中の重要なカギは、プライドパレードの形式を日増しに娯楽化・商業化して、それによって主流の大衆に気に入られようとする戦略である」、「私たちは衝突を恐れてはならないし、衝突によってのみ社会的対話の空間を支えることができるとさえ意識しなければならない。この社会の保守的な力、たとえば週末の一部のキリスト教会の反LGBTデモ……に対しては、私たちはみな積極的に具体的行動で対応する必要があり、声明文を出すだけではいけない!」(10)

 何春蕤さんも、パレードの5日前に、「同志愛很大」というテーマについて、「若干の人は、このテーマは穏やかすぎて、集団で声をあげる際に、苦境に抗議し、改善を要求する機会を失ってしまう、たとえ集団でパレードすることによって1日は士気が上げられても、この士気は、一年中差別されているうちに擦り減ってしまうかもしれないと心配している」と述べています(11)

 もちろんパレードは上述のように政治批判もしたのですが、パレード当日、何さんは、通行人から「これはハロウィーンのパレードですか?」と尋ねられて驚き、もっとはっきり議題を訴えなければいけないと思ったといいます(12)

 私には詳しい事情がわかりませんので、「All My GAY」や何さんの批判が当たっているかどうか判断できませんが(パレードとして政府へ抗議行動をしたのは、「All My GAY」や何さんのような声を取り入れたからかもしれません)(13)、台湾の状況をある面で反映した議論として紹介させていただきました。

(1)新聞報道では、2万5千人としているものと、2万人としているものと両方ありますが、連盟の発表では、2万5千人となっているので(第七届台湾同志遊行的総召楚楚「感謝大家參與,第七屆台灣同志遊行圓滿落幕!」)、いちおう2万5千人としました。
(2)LGBTとは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーのこと。「同志」は、「セクシュアル・マイノリティ」と訳したほうが適切な場合も少なくないと思いますが、台湾同志遊行連盟のサイトでは「LGBT」と英訳しているので(ときに「we」と訳している)――この点は、「LGBT」のほうが「セクシュアル・マイノリティ」より自称として使われやすいという理由もあると思いますが――本稿では「LGBT」と訳すことを基本にしました。
(3)梁靜茹無懼函 送勇氣聲援同志」中時電子報2009-11-01
(4)2萬同志 凱道大遊行」『聯合報』2009年11月1日。
(5)警察開道 2.5萬同志大遊行」『中国時報』2009年11月1日。
(6)同志愛很大 赤裸擁吻無罪」『自由時報』2009年11月1日。
(7)同上および聯盟新聞稿「1031第七届台灣同志大遊行 两萬人齎聚凱道 巨型大叉、心標誌 抗議政府長期欺騙、漠視同志權益」台湾同志遊行HP。
(8)基督教反同志遊行 同志團體嗆聲」中央社2009-10-24、「同志愛太狂 基督教今抗議」『自由時報』2009年10月24日、「300教友反同志 遭背十字架反嗆」『蘋果日報』2009年10月25日。
(9)台灣同志遊行聯盟:拒絕假關愛、真歧視 不應假上帝關愛之名 羅織同志罪名 10/31同志愛很大遊行 歡迎現場對話」苦労網2009/10/24、「反同志遊行激對立 支持與否 教會界並無共識」苦労網2009/10/27。
(10)「All My GAY!!! 」小組「All My GAY!!!  同志遊行聲明稿」苦労網2009/10/31
(11)何春蕤「弱勢者遊行 如何面対危機」『蘋果日報』2009年10月26日。
(12)同志愛很大 赤裸擁吻無罪」『自由時報』2009年11月1日。
(13)もちろんパレードについて様々な考え方があるのは、どの国でもある意味当然のことで、たとえば中井伸二「セクシュアル・マイノリティーの行進 プライドパレード <その意義と困難さ>」(JANJAN2008/10/28)にも、パレードは単なるお祭りではなく、メッセージ性を強化すべきだという意見をめぐる議論が少しなされています。なお、中井さんの文は、日本のパレードは外国の大都市に比べて参加者が少ないのではないか、という疑問も取り上げています。
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