同性婚を求める主張に対する、婚姻制度批判の見地からの批判
中国にも、同性婚の承認を求める活動があります。たとえば、社会学者の李銀河さんは、2003年以来、繰り返し同性婚を承認する提案を全人代や全国政協に対しておこなっています(たとえば、本ブログの記事「本年[2006年]の動向6―同性婚姻立法の提案」)。その一方、婚姻制度自体に対して批判的であるために、同性婚の提案に全面的には賛成しない人々も、少数ですが、存在します(たとえば、本ブログの記事「女性の同性愛者・バイセクシュアルの状況調査」も、そうした人々の存在に触れています)。
8月1日、そうした意味で同性婚に批判的な人が書いた論文が、「女権在線(フェミニズム・オンラインの意)」サイトに掲載されました。斉笈「同性愛婚姻は落とし穴である(同性恋婚姻是一個陥穽)」です。以下、その内容を、おおざっぱにご紹介します(正確には原文をご覧ください)。
婚姻制度は、私有制が確立して後、男性が、血統が明確な子孫に自らの財産を相続させるために考え出した方法である。近代以降、婚姻は、見たところ「財産と女性の交易」ではなくなった。では、それにはまだどんな機能があるのか?
財産の共有を確実に保証したいのか? けれど、現在流行している婚前財産公証では、結婚は、財産の自動的な融合を意味しなくなった。いっしょに子どもを育てたいのか? しかし、それを婚姻によっておこなう必要はない。
つまるところ、これは一種の観念の問題にすぎず、「同性愛婚姻」を擁護することは、異性愛の社会構造と思考様式に対する合意と模倣の試みの反映にすぎない。現実には、現在、異性婚姻の基礎は瓦解しつつあり、消滅に向かいつつある――財産を共有しなければ、物質的基礎は瓦解する。婚前に同居すれば、愛情と性の結合は婚姻によって実現する必要はなく、婚姻の愛情と性に対する意義はなくなる。
李銀河女史の同性婚の提案で挙げられている理由がどんなものであるかを見てみよう。
第一に、現行の法律に基づけば、同性愛は中国の法律に違反しておらず、同性愛者は各種の権利を持った中華人民共和国の公民である。同性愛者の中には結婚の要求を持った人がおり、彼らの要求は、彼らの公民としての権利と衝突しておらず、承認されなければならない。
→OK、同性愛を承認するには、必ず同性愛の婚姻権を賦与しなければならないのか? まだ「婚姻制度」のわなにかかっているにすぎず、あたかも婚姻がなければ公民権がないかのようである。
第二に、中国の立法が同性婚を保護したら、わが国が人権を保障している一つの有利な証拠になるだろう。
→人権とは、人が生まれながらにして持っている権利である。結婚はけっして天然の人権ではなく、婚姻制度が作り出した形式であり、その婚姻制度は、人為的に創り出されたものである。
理の当然のごとくに結婚を人権だと見なすのは、明らかに、長年の制度に縛られ、洗脳されて、自ら知ろうとしない類型であり、ストックホルム症候群と似たようなものである。
あらゆる制度が人権を保障するためのものではない。人権の体現ではないばかりか、逆に多くの場合に人権を侵犯する制度もある。皇帝制度は二千年あまり盛んにおこなわれ、その期間は、おそらくその合理性を疑う人は少なかっただろう。
第三に、同性愛者の関係は、婚姻という形式によって束縛と保障をされていないので、一部の同性愛者の交友は気の向くままであり、性病が伝染する可能性が増加する。同性婚を承認すれば、かなりの部分の同性愛者は長期的関係を確立し保持するようになり、性病が伝染する可能性を減らすことができる。
→性的関係が単一で堅固であることの最も有力な保障は、双方の愛情である。李女史は「人間性至上」論の擁護者であるのに、なぜこの時はそのように人間性を信じず、制度によって制約しなければならないのか?
第四に、同性愛という弱い立場のマイノリティに対する保護は、わが国のイメージをいっそう開明的で、進歩的なものにする。
→ああ、同性愛婚姻はなんと崇高で、なんと偉大なことか!!
異性愛文化の落とし穴に深く嵌まった異性愛者が、異性愛が食べ残した骨を拾って、同性愛にかじらせる。このやり方は明らかに賢いと言えない。
私たちには、同性婚が法律で承認された後のある日の情景が想像できる。
他人は言う。「おい、この人はなんでまだ独身なんだ? 彼女/彼は同性愛でないだけでなく、異性愛でもない、この人はきっと不正常なんだ。」
父母は言う。「どうあっても、あなたは結婚しないといけないのよ。同性とでも、異性ともでもいいから。そうでないと、必ず人にあれこれ言われるし、私たちのメンツが立ちません。」
世俗的な方法によって世俗の承認を獲得する。それは結局、世俗に対する反抗なのか、世俗に対する妥協なのか? 同性婚を勝ち取るよりも、結婚をしないほうがいい。人の権利を剥奪し制限する婚姻制度をなくしてこそ、人類社会は本当に愛のある社会になるのだ。
以前、本ブログでも紹介したように、李銀河さんらの調査(本ブログの記事「同性愛に対する中国の世論」→この調査結果は、のちに、李銀河さんが編集した電子雑誌である『Gala銀河』の48-77頁に詳しく報告されています)によると、現在の中国では、大中都市でも、同性婚を認める法改正に賛成する人は、27%にすぎず、反対が70%です(ランダムサンプリングによる400人に対する調査。なお、日本ではまだこの種の調査はおこなわれていないようなので、日本の方が賛成する人が多いかどうかはわかりません)。
そうした中では、斉笈さんの見解はラディカルすぎると感じる人が多いでしょう。とくに李銀河さんの提案は、全人代などに対する提案なのですから……。また、同性婚に対する評価としても一面的でしょうし、他の社会変革をすすめずに、婚姻制度だけをなくすことはできないとも思います。
しかし、斉笈さんが指摘していること自体は、ほぼそのとおりだと思いますし、こうした声を上げていくことは重要だと考えます。
8月1日、そうした意味で同性婚に批判的な人が書いた論文が、「女権在線(フェミニズム・オンラインの意)」サイトに掲載されました。斉笈「同性愛婚姻は落とし穴である(同性恋婚姻是一個陥穽)」です。以下、その内容を、おおざっぱにご紹介します(正確には原文をご覧ください)。
婚姻制度は、私有制が確立して後、男性が、血統が明確な子孫に自らの財産を相続させるために考え出した方法である。近代以降、婚姻は、見たところ「財産と女性の交易」ではなくなった。では、それにはまだどんな機能があるのか?
財産の共有を確実に保証したいのか? けれど、現在流行している婚前財産公証では、結婚は、財産の自動的な融合を意味しなくなった。いっしょに子どもを育てたいのか? しかし、それを婚姻によっておこなう必要はない。
つまるところ、これは一種の観念の問題にすぎず、「同性愛婚姻」を擁護することは、異性愛の社会構造と思考様式に対する合意と模倣の試みの反映にすぎない。現実には、現在、異性婚姻の基礎は瓦解しつつあり、消滅に向かいつつある――財産を共有しなければ、物質的基礎は瓦解する。婚前に同居すれば、愛情と性の結合は婚姻によって実現する必要はなく、婚姻の愛情と性に対する意義はなくなる。
李銀河女史の同性婚の提案で挙げられている理由がどんなものであるかを見てみよう。
第一に、現行の法律に基づけば、同性愛は中国の法律に違反しておらず、同性愛者は各種の権利を持った中華人民共和国の公民である。同性愛者の中には結婚の要求を持った人がおり、彼らの要求は、彼らの公民としての権利と衝突しておらず、承認されなければならない。
→OK、同性愛を承認するには、必ず同性愛の婚姻権を賦与しなければならないのか? まだ「婚姻制度」のわなにかかっているにすぎず、あたかも婚姻がなければ公民権がないかのようである。
第二に、中国の立法が同性婚を保護したら、わが国が人権を保障している一つの有利な証拠になるだろう。
→人権とは、人が生まれながらにして持っている権利である。結婚はけっして天然の人権ではなく、婚姻制度が作り出した形式であり、その婚姻制度は、人為的に創り出されたものである。
理の当然のごとくに結婚を人権だと見なすのは、明らかに、長年の制度に縛られ、洗脳されて、自ら知ろうとしない類型であり、ストックホルム症候群と似たようなものである。
あらゆる制度が人権を保障するためのものではない。人権の体現ではないばかりか、逆に多くの場合に人権を侵犯する制度もある。皇帝制度は二千年あまり盛んにおこなわれ、その期間は、おそらくその合理性を疑う人は少なかっただろう。
第三に、同性愛者の関係は、婚姻という形式によって束縛と保障をされていないので、一部の同性愛者の交友は気の向くままであり、性病が伝染する可能性が増加する。同性婚を承認すれば、かなりの部分の同性愛者は長期的関係を確立し保持するようになり、性病が伝染する可能性を減らすことができる。
→性的関係が単一で堅固であることの最も有力な保障は、双方の愛情である。李女史は「人間性至上」論の擁護者であるのに、なぜこの時はそのように人間性を信じず、制度によって制約しなければならないのか?
第四に、同性愛という弱い立場のマイノリティに対する保護は、わが国のイメージをいっそう開明的で、進歩的なものにする。
→ああ、同性愛婚姻はなんと崇高で、なんと偉大なことか!!
異性愛文化の落とし穴に深く嵌まった異性愛者が、異性愛が食べ残した骨を拾って、同性愛にかじらせる。このやり方は明らかに賢いと言えない。
私たちには、同性婚が法律で承認された後のある日の情景が想像できる。
他人は言う。「おい、この人はなんでまだ独身なんだ? 彼女/彼は同性愛でないだけでなく、異性愛でもない、この人はきっと不正常なんだ。」
父母は言う。「どうあっても、あなたは結婚しないといけないのよ。同性とでも、異性ともでもいいから。そうでないと、必ず人にあれこれ言われるし、私たちのメンツが立ちません。」
世俗的な方法によって世俗の承認を獲得する。それは結局、世俗に対する反抗なのか、世俗に対する妥協なのか? 同性婚を勝ち取るよりも、結婚をしないほうがいい。人の権利を剥奪し制限する婚姻制度をなくしてこそ、人類社会は本当に愛のある社会になるのだ。
以前、本ブログでも紹介したように、李銀河さんらの調査(本ブログの記事「同性愛に対する中国の世論」→この調査結果は、のちに、李銀河さんが編集した電子雑誌である『Gala銀河』の48-77頁に詳しく報告されています)によると、現在の中国では、大中都市でも、同性婚を認める法改正に賛成する人は、27%にすぎず、反対が70%です(ランダムサンプリングによる400人に対する調査。なお、日本ではまだこの種の調査はおこなわれていないようなので、日本の方が賛成する人が多いかどうかはわかりません)。
そうした中では、斉笈さんの見解はラディカルすぎると感じる人が多いでしょう。とくに李銀河さんの提案は、全人代などに対する提案なのですから……。また、同性婚に対する評価としても一面的でしょうし、他の社会変革をすすめずに、婚姻制度だけをなくすことはできないとも思います。
しかし、斉笈さんが指摘していること自体は、ほぼそのとおりだと思いますし、こうした声を上げていくことは重要だと考えます。
