2017-10

アステラス製薬男女差別裁判・勝利和解!

 昨日、アステラス製薬男女差別裁判(原告・仙頭史子さん)の和解協議に行ってきました。
 和解協議は非公開でしたが、すぐに終わり、ついに和解が成立しました。
 仙頭さんが提訴したのは2002年3月27日ですから、それからちょうど5年目となる日でした。

 仙頭さんの勝利和解です。和解条項のポイントは以下のとおりです(読みやすくするために少し工夫してありますが、文意はまったく変えていません。原文は「支援する会」のHPをご覧ください)。

(1)和解条項には、次のような前文が付いています。「原告と被告は、裁判所から『本件審理の結果、被告(アステラス製薬)において、原告(仙頭史子)の処遇と、原告と同時期入社同学歴男性の処遇との間に格差が存在したことが認められ、これを是正すべきである』との指摘を受け、次のとおり和解する。」
 すなわち、「是正すべき」男女格差の存在が明確に認られました。

(2)「被告は、原告に対し、本件の解決金として2500万円を支払う。
 公表されたもののうちでは、1人当たりの和解金額としては、過去最高だそうです(たしか「男女賃金差別裁判の和解としては」という意味だったと思います)。

(3)「被告は、従業員の処遇について、今後とも男女の性別を理由とする差別が生じないように、原告を含む従業員の今後の処遇について、誠実に対応する。
 今後「とも」と書いてある点は気になります。けれども、「原告に金を払って終わり」ではなく、他の女性を含めて今後の処遇について言及していることは重要だと思います。

 この裁判は、会社が資料を出し渋ったために5年かかりました。しかし、一審判決前の和解であるという意味では、早期解決という点で意義があるということも当日の集会で語られていました。
 集会では、仙頭さんは、定年まで4年あるので、上の(3)の点を生かして、職場から男女差別をなくすよう頑張るという今後の決意も語っておられました。
 弁護士さんは、勝利の要因として、1.営業職に挑戦するなど、一貫して男女差別を許さない仙頭さんの頑張り、2.支援の力、3.住友などのこれまでの男女差別是正裁判の到達点、を挙げておられました。

 2の点に関して言えば、実際、この裁判で支援がぐんぐん広がっていくさまは、すごかった。最初は、傍聴者も10数人で、「支援する会」の結成総会にいったい何人集まるのか心配していたことも思い出されます。それが、昨年秋の証人尋問の時には、4回とも100人収容の大法廷がだいたい満員でした。
 その陰には、「支援する会」の方が、さまざまな団体に地道に支援要請に行かれたり、大阪争議団共闘会議に参加するなどして支援を広げていったことがありました。事業所や研究所、本社をはじめとした全国でのビラまき、支社への申し入れなどの活動も半端なものではなかったようです。
 私は傍聴に行っただけで、ビラまきなどに参加することはできなかったのが残念ですが、「男女差別許すな、労働者の人権まもれ」というパワーは大変なものでした。

 3の点では、当日の集会でも、支援する会の北之橋会長や支援対策会議の服部議長のほかに、住友金属元原告の北川清子さんやワーキングウィメンズネットワークの正路会長(住友化学・住友電工の方が東京の兼松の裁判に行っていたので、その代わりだとおっしゃっていました)、住友生命の元原告の方もお祝いの言葉を述べておられました。
 また、このブログでもう一つ報告している「館長雇止め・バックラッシュ裁判」(原告・三井マリ子さん)とも少し関係があります。というのは、二つの裁判は同じ裁判長(山田陽三さん)なのですが、「館長雇止め~」裁判が、大法廷を要請する運動を粘り強く繰り広げたことが、こちらの裁判の証人尋問での大法廷実現の一助になったからです。

 裁判の内容については、すでにこのブログでも何度か報告しましたので、以下、若干繰り返しになりますが、簡単に説明します(「勝利和解にあたっての声明文」などをもとにして書いています)。
 仙頭さんは大阪府立工専を卒業後の1973年、旧藤沢薬品に入社し、17年間、研究所で分析・理化学基礎研究に従事してきました。
 当時の賃金体系は、男性のみを昇格・昇給の対象としていたため男女の賃金格差は広がる一方でした。
 仙頭さんは、『このままではいつまでも男女差別を受け続ける』との思いから、1990年営業職に転じ、女性初のMR(医薬関連情報担当者)になりました。しかし、男性と同一の職務に就き、同僚男性に劣らない営業成績をあげても資格や賃金の是正は行われませんでした。
 それどころか、1997年の給与体系の変更で営業職が総合職コース(C職)に確定し、『これで差別が是正される』と期待した矢先に子会社への出向を命じられ、一般職(B職)に格付けられました。
 仙頭さんと同期・同学歴の男性は、入社後平均14年で主任に、22年で管理職に登用されるのに対し、仙頭さんは入社後27年でやっと主任に登用されるなどの著しい男女格差に我慢の限界を感じ、大阪地裁に提訴しました。

 裁判では、会社は男女差別的な賃金体系であったことを否定し、「採用区分」「職務区分」などのいわゆる「コース別」賃金体系だったと主張しました。また、二度にわたる賃金体系の改定によって「男女や学歴などの属人的要素を廃し、能力にもとづく賃金体系を確立した」とも主張しました。
 けれど、二度にわたる賃金改定によっても、男女別学歴別の賃金カーブはまったく変わっていません。すなわち、制度改定を隠れみのにして、運用面で男女別考課をおこなうことで、男女別賃金体系を維持してきたことが当時の資料から明らかになりました。
 こうした事実によって、「採用区分」「職務区分」などのいわゆる「コース別」賃金体系は、「にせコース制」であることが明らかになりました。

 今日、多くの企業では、当時の藤沢薬品よりもさらに巧妙なコース制を導入していると思います。また、パートや派遣などの非正規雇用の活用も多くなりました。
 けれども、「採用区分」「職務区分」「雇用形態」などを口実にして、女性を差別し、男性をも低賃金に押さえ込むというやり方は何ら変わっていないと思うのです。
 その意味で、私も微力ながら、この裁判の成果を受け継ぐような活動を頑張りたいと思います。

アステラス製薬・仙頭史子さんの本人尋問

 昨日、アステラス製薬の男女差別裁判の仙頭史子さんの原告本人尋問に行ってきました。
 仙頭さんは、大阪府立高専を卒業後、1973年に藤沢薬品(現アステラス製薬)に入社し、現在まで働き続けてきました。
 しかし、男性は入社後平均14年で主任に昇格するのに、仙頭さんは倍近くの27年かかるなど、男女差別を受け続けたため、2002年に大阪地裁に提訴しました。

 昨日は延べ112名の方がいらっしゃって、大法廷は午前も午後も満員。午前中は20名程度の方に帰っていただくほどでした。
 メモできなかったところもあるので、細かな部分では不正確な箇所もかなりあると思いますが、だいたい以下のような内容でした(前の3回の証人尋問の内容に関しては、(「アステラス製薬・仙頭史子さんの男女差別裁判を支援する会」のHPの「史子ニュースHP」欄をクリックするとわかります。私のプログでも1回目2回目については書きました)。

(1)中央研究所にお勤めの時期

 会社側は、仙頭さんの職務区分は「研究アシスタント」であり、「定型的で補助的な仕事をしていたにすぎない」として、差別を正当化する主張をしていました。
 しかし、仙頭さんは「面接試験の時もその後も、自分の職務区分や仕事の内容が『研究アシスタント』だと説明されたことはまったくなかった」と証言なさいました。
 実際、仙頭さんが最初にした仕事(HPLCという機械を、分析に使えるように条件設定する仕事)も専門知識が必要な仕事でした。また、実験結果を見て試行錯誤する「仮説→実験→検証」というプロセスを伴うもので、「定型的な業務」ではまったくなかったことを、難解な専門用語を交えつつも、私たちにもわかるように具体的に説明なさいました。

 会社側は、前々回、仙頭さんの仕事は「自己流」で「不正確で大ざっぱ」だとも言っていました。
 しかし、仙頭さんは、もしそうならば、正確なデータが出なかったり、機械を壊したりするはずだが、そんなことはなく、そうした注意を受けたこともなかったことを証言しました。
 むしろこんなこともあったそうです。出たデータを持っていったら、当時の上司のさらに上の上司から「こんなにきれいなデータでは、捏造ではないかと疑われる。このデータは使えない」と言われ、新しく入って来てまだ仕事に慣れていない人に、実験をやり直させたとのことです。
 また、高専時代の成績表も示しました。全体的に「優」が多く、とくに実験科目はほとんど全て「優」でした。もし仕事が不正確なら、こんな成績はとれないことは明らかです。

 仙頭さんがやっていたデータ判定業務は、大学院卒の当時既に経営職(管理職のこと)だった人が引き継いだそうです。

 次に、NCWSというものの研究の話になりました。
 仙頭さんが、それ以前は捨てていた「中間層」(水にもクロロホルム?にも溶けない物質)について研究を提案したという功績があったのですが、会社側は「いや、それは以前から知られていたことにすぎない」と主張していました。
 しかし、仙頭さんの証言では、そんなことはまったくなく、上司も最初は「そんなの、捨てといたらええんや」と言っていたそうです。
 このテーマは外部発表もやり、仙頭さんは論文の第一執筆者になりました。ところが、会社側は「仙頭さんは手足を動かしただけで、頭を動かしてはいない。時間的貢献が多いから第一執筆者にしただけだ」という、非常識な主張をしていました。
 当然そんなはずはなく、仙頭さんは「一段階ずつ、仮説を検証する仕事をやった」と証言しました。

 仙頭さんはこのように能力もあり、仕事で活躍していたのに、女性だからということで差別されました。
 こんなことがあったそうです。仙頭さんが英文の論文を読んで得られた成果を上司に渡しました。すると、上司は「これは面白い。やってみよう」と言って、それを、それまで他の仕事をやっていた大学院卒の男性に渡して仕事を済ませてしまい、その後仙頭さんには何の報告もなかったとのことです。
 仙頭さんは、このことについて、「工夫してやった仕事なのに、あたかも自分が存在していないかのように扱われ、とても傷つました」と証言なさいました。

 こうした差別はありましたが、仙頭さんが研究所にお勤めの時代、「研究アシスタント」などという職務区分は一度も聞いたことはなかったことのことです。

(2)営業職の時期

 社内報で女性営業職の公募を見つけた仙頭さんは、「研究所では、どんなに努力しても格差は縮まらない。これは個人ごとの成果が不明確だからだ。個人の成果が明確に出る営業ならば」と考え、17年間のキャリアを捨てて、1990年に営業職に転身を決意します。
 そして、選考を経て、みごと初の女性営業職(それまでは国内の他社にもいなかった)になります。

 営業をしていたときは、会社の中にいることはほとんどなく、泊まりを伴う出張も男性同様にこなしていました。
 仙頭さんの仕事ぶりは、社報でも4ページにわたって「厳しい仕事、忙しい日々」といった説明付きで紹介されたこともありました。

 当時の課内の営業成績は、トップは課長でしたが、仙頭さんも2~3位で、他の多くの男性と比べてまさるとも劣らないものだったことも示されました。

 ところが、前々回、会社側証人の元上司は「目標や達成率はすべてグループごとのものだった」などと、個人目標がなかったかのような珍妙な主張をしました。
 しかし当然そんなはずはなく、個人ごとの計画目標や達成実績、達成率を示した文書が作成されており(元上司本人が作っていた)、それが営業員全員に配布されていたのです(この文書でも仙頭さんは3位でした)。
 そして成績が芳しくないと、当然営業会議で追及され、営業員は対策を答えなければならなかったとのことです。

 また、会社側は「仙頭さんの成績がよかったのは、課長の取引先を引き継いだからにすぎない」と主張していました。
 しかし、仙頭さんは、そうではなく、新たな取引先を開拓・担当していたし、その課長とは関係がない年度の成績も良かったことを具体的に述べられました。
 むしろ、仙頭さんが開拓した取引先を、他の男性の営業員が引き継いだりしていたようです。こうした担当先の変更は通常おこなわれないそうで、のちに仙頭さんを別の地区に引っ張った上司からは、「お前が大阪で新規開拓しても、男の営業員に取られるだけや」と言われたとのことでした。

 前々回、会社側証人の元上司は、「週報」というのがとても重要なのに、仙頭さんはそれを提出していなかったと述べました。
 しかし今回、仙頭さんは、週報を提出しなかったことなど一度もないと証言しました。また、週報がさほど重視されていたわけではなく、仙頭さんの週報に返答が返ってきたりとか、他の人のものを含めて週報の情報について話されたりするとかいうことはなかったそうです。

 1997年、賃金制度が変更になり、営業職は全員が「C職群(総合職)」に位置づけられることになりました。
 仙頭さんは、「これで今までの苦労が少しは報われる」と思いました。
 ところが会社は、その直前に仙頭さんを子会社に出向させることによって、「B職群(一般職)」のままにしたのです。

(3)子会社に出向になった時期

 仙頭さんは、子会社では、研究のための「機器分析部門」に配属されましたが、仙頭さんが営業職に就いていた時期に技術的な進歩があったため、新たな勉強が必要でした。
 しかし、仙頭さんは「君、いたから、できるだろう」と言われて、会社からのフォローはありませんでした。
 仙頭さんは自力で新しいことも習得したうえで、部下のオペレータなどに教育や指導もするという管理職的な仕事をなさいました。
 実際、「品質管理部門」では、そうした仕事は管理職がやっていたとのことです。

(4)賃金制度について

 仙頭さんは、賃金制度に関してもいろいろ証言されました。たとえば賃金制度が改定された際にも、賃金はそのままで(つまり、それまでの男女格差もそのまま)、むしろ資格を賃金に合わせたことなどを述べられました。

 男女・学歴別に考課も固定されていることを告発したメールが提訴直後に仙頭さんのところに届いたそうですが、実際、仙頭さんの考課はずっと「+3」で変わらなかったとのことです。成績が良くて、賞与などがプラスになった年も、考課は同じだったそうです。

 また同期同学歴の男性は、業務はさまざまなのに、ほぼ全員が一律に昇格していたとのことです。結局、制度をあれこれ変えても男女別の雇用管理だったということでしょうか?

 主尋問の最後に仙頭さんは、「提訴した時点で、男性は50%が管理職だったのに、女性は0.5%だけ。私はまだ若くて体力もあるので提訴できたが、提訴したくてもできない女性がたくさんいる。私だけの問題ではない」と訴えられました。

(5)反対尋問

 反対尋問では、まず、当時の新聞広告に「研究アシスタント募集」と書いてあったので、仙頭さん自身もそうした採用区分であることを認識していたことを確認させようとしました。
 この新聞広告だけが会社側の書類上での証拠だとのことで、会社側の弁護士は必死のようでした。
 しかし仙頭さんは、「たしかにその新聞広告を見て応募したと思うが、その新聞広告のことは覚えておらず、当時、とにかく技術職を探していたので、そうした意識で新聞広告を見ていた」といったことを話されました。

 次に、仙頭さんに当時の同僚の女性のことを盛んに尋ねていました。どうも当時は女性には長期勤続が少なかった(から男女別雇用管理は当然である)ことを認めさせたかったようです。
 しかし、こんなひどい差別があったらなかなか長期勤続する気になりませんし、仙頭さんご自身は今までずっと勤めてきたのです。

 また仙頭さんが子会社に出向になった時、会社はちゃんと研修をしてフォローしていたことを主張しました。
 けれど、仙頭さんに「その研修は、単なる機械の操作法についてです」と言い返されていました。

 あと、仙頭さんの成績表について、一つ「可」があったのを見つけて、あれこれ言ったりしていました。

 また、仙頭さんが最近主事になって、賃金も上がったことを確認させていました。
 しかし、それは裁判を始めたあとのことです。また仙頭さんと同期同学歴の男性はみな管理職になっており(主事は管理職ではない)、差別が是正されてなどはいません(この点は、再主尋問で明確に仙頭さんが答えられました)。


 前々回、元上司が、仙頭さんの仕事について過小評価する証言をたくさんしました。
 そうした証言については、その時の反対尋問ですでに根拠の薄弱さは明確になったと感じていましたが、今回の仙頭さんの証言で、それらは、ことごとく粉砕されたように思います(書き切れなかった点もたくさんあります)。
 今回の反対尋問では、主尋問で具体的に述べられた仙頭さんの主張を崩すような尋問はほとんどありませんでした。
 とくに営業職のときのことについては、反対尋問そのものがありませんでした。

アステラス製薬の元上司らの証言、説得力なし

 9月20日につづいて(その時の報告)、昨日も、アステラス製薬の仙頭史子さんの男女差別裁判(支援する会のHP)を傍聴してきました。
 ただし、私は午後からしか傍聴できませんでした。また簡単なメモと記憶によって書いていますので正確でない箇所もあると思いますが、以下簡単に報告します。

 今回は仙頭さんの元上司らが4人、会社側の証人として登場しました。
 各証人は、それぞれもっともらしい理由を言って、仙頭さんに対する処遇を正当化しようとしました。

 〇仙頭さんは、はじめは藤沢薬品(のちのアステラス製薬)の研究所で業務をしていたのですが、女性は何年たっても単純なルーチン業務が中心だという男女差別がありました。
 そこで、仙頭さんは「結果が数字に出る営業職であれば男女差別されないのではないか」と考えて営業職に応募し、藤沢薬品で女性初のMR(製薬会社の営業職のこと)になりました。ところが、営業職で男性と同等の成績をあげても、賃金格差は開く一方でした。

 今回の証人尋問では、営業職時代の元上司が「仙頭さんは、目標を達成することは評価できたが、プロセス管理が不十分だった」と証言しました。
 「プロセス管理が不十分だった」というのは、「週報(?)」というその時々の報告書のようなものをきちんと出していなかったいうことだそうです。私はそれを聞いて「プロセスというのは、目標を達成するための手段にすぎないはずだが? 基本的には成果が上がっていればいいのでは? 少なくともそんなことで、このひどい格差が正当化されるはずはないが?」と素朴に疑問を感じました。
 案の定、反対尋問では、原告側の弁護士はその点を追及しましたが、まともな答えは返って来ませんでした。
 また「週報」の問題は、「チャレンジシート」という自分の今後の目標を書く書類のようなものを作る際にも、その点を別に指導していなかったそうです。この点から見ても、いったいそれがどれほどの問題なのかを疑問に思いました。

 〇藤沢薬品ではその後、1997年に職群制(いわゆるコース別)が導入され、営業職はC職群(いわゆる総合職)に分類されることになりました。仙頭さんは「これで私も総合職」とお喜びになったそうです。
 ところが、なんと藤沢薬品は、そのとたんに仙頭さんを子会社に出向させることによって、B職群(いわゆる一般職)に格付けしました。

 今回の証人尋問では、その当時の人事の人が、「仙頭さんを営業職から外したのは、適性判断と会社の営業戦略の変化、本人の希望によるものだ」と証言しました。
 ・「適性判断」とか「会社の営業戦略の変化」というのは、「会社は一般用試薬から、研究用試薬に重点を移行しようとしていた。仙頭さんは『不特定多数に会うのは苦手』と言っており、一人一人の先生に説明しなければならない研究用試薬の営業は苦手そうだった」といったことです。
 ところが反対尋問で、原告側弁護士が証人に、「『不特定多数に会うのは苦手』という言葉の意味を具体的に聞きましたか?」と尋ねると、証人は、「具体的には確かめていない」と認めました。実は仙頭さんが言っていたのは、講演などによって「不特定多数」に営業するのは苦手という意味であり、完全に意味を取り違えていたのです。
 また、弁護士さんが「仙頭さんは研究用試薬を売っていなかったのですか? 売っていたでしょう?」と追及すると、「売っていました」と認めました。
 ・「本人の希望」というのは、証人によると、「仙頭さんが、他の職種を希望すると言っていた」ということだそうです。
 しかし、反対尋問では、仙頭さんが言っていたのは遠い先の話であり、仙頭さんはむしろ今後の営業活動に大いに意欲を示した文書を残していたことが明らかになりました。
 「それなのに、なぜすぐに子会社に異動したのか」と追及すると、証人は説明できませんでした。

 〇藤沢薬品でもB職群からC職群への転換は一応出来たようですが、その際、直属の上司の推薦が必要だとのことです(こんなハードルがあったら、男女差別などなくならないことは明らかです)。

 今回の証人尋問では、直属の元上司は、「仙頭さんは、経営職(上のクラスの管理職)より(一般職の)主事になる方が良いと思った。仙頭さんは、経営職になるには、視野の広さや説得力・協調性に欠けていたからだ」と証言しました。
 「視野の広さや説得力・協調性に欠ける」と考えた理由として、元上司は、仙頭さんがどこかの会社の社長(所長?)と衝突したということと、(会社の経営のことを考えずに)高額の機械を買うことを主張したということを挙げました。
 ところがこの元上司、そうしたことを自分で直接見ていたわけではなく、人から聞いたにすぎません。反対尋問で「どういう理由で衝突したか自分で確認しましたか?」「どんな機械を何のために買うと主張したのか確認しましたか?」と尋ねられると、いずれも「確認していない」との答え。
 またこの上司は、仙頭さんのそうした問題点(だと今回主張した点)を本人に言っていたかと聞かれると、「本人には言っていない」と答えました。
 裁判の後の交流会で、「『視野の広さや説得力・協調性に欠ける』と主張したのは、女性に対する偏見を自分で告白しているようなものではないか?」という趣旨の意見が出ました。私も、反対尋問にこんな答えしかできないということは、その可能性が大いにあるように思いました。

 ○この裁判では、会社は、ある時期からは人事・賃金制度から性と学歴という属人的要素を排除して「職務と能力を中心した、公平で納得性のある評価」をするようにした、と主張しています。
 ところがこの裁判の中で、会社はその際に、社員には公開せずに「スタート考課」という人事制度を導入していたことが明らかになりました(住友金属の男女差別でも問題になっていた、いわゆる「闇の人事制度」です)。
 その中で、会社はこっそり社員を3ランクに分類していたのです。その分類は、それまでの性と学歴という属人的要素を強く受けた賃金実態をそのまま当てはめたものであり(たとえばアシスタントは+1、研究開発は+5が基本で、遂行能力を加味する)、結局は差別が固定化されたことが指摘されています。

 今回も、この「スタート考課」のことが話題になりました。私にはよくわからない点も多かったのですが、少なくとも仙頭さんの「職務と能力」をきちんと分析して考課を決めたという話はまったく出てきませんでした。
 仙頭さんのある上司は、当時の仙頭さんの考課ランク(これで賃金が決まる)が「+3」だったことを述べました。しかし仙頭さんが「+1」のスタート考課だけど、優秀だから「+3」という考課ランクになったのか、「+3」のスタート考課だけれども、最低限のことしかできないから「+3」なのかということさえ言えませんでした。

 その他、各上司は、仙頭さんに対する処遇を正当化しようと、いろいろ言っていました。しかし、反対尋問で追及されると、「確認していない」とか、「何らかの形で」とか、「具体的には覚えいていない」といった答えばかりが目立ちました。

 私は、「会社側証人がこの程度のことしか言えないということは、男女差別が原因だったことは間違いない」と強く思いました。

 裁判の今後の予定は、以下のとおりです。
11月20日(月)、13:30~16:30 大阪地裁202号法廷
 原告側証人として森さんが証言
12月20日(水)、10:00~16:30 大阪地裁202号法廷
 原告の仙頭さんが証言

アステラス製薬・仙頭史子さんの男女差別裁判

 今日は午後から、アステラス製薬の仙頭史子さんの男女賃金差別裁判の傍聴に行ってきました。
 藤沢薬品(いまのアステラス製薬)では、男性は誰でもおおむね35歳で主任、45歳で主任研究員に昇格していました。けれど男女差別のために、仙頭さんがやっと主任になれたのは48歳でした。つまり、男性よりも13年も遅れたわけです。
 仙頭さんは研究活動で男性に劣らず成果をあげたり、女性初のMRとして男性と同じ営業活動に従事して同等以上の成績をあげたりしていらっしゃったのに、です。
 仙頭さんは「これからの女性には私のような思いをしてほしくない」と、裁判に踏み切りました。アステラス製薬・仙頭史子さんの男女差別裁判を支援する会も結成されています。

 今日の裁判は大阪地裁の大法廷でおこなわれたのですが、原告側の支援者だけで、大法廷の定員をはるかに上回る147人の方が詰めかけ、法廷に入れない人もたくさん出ました。
 手元のメモによっているので不正確な箇所もあると思いますが、以下、簡単に報告します。

 今日は、会社側の証人である、元人事部長の尋問がおこなわれました。
 証人は、仙頭さんの昇進が遅いのは、仙頭さんが1973年に入社した際、あくまでも「研究アシスタント」として雇われたからであると主張しようとして、当時の求人広告を持ち出しました。
 当時は「研究アシスタント」は、「高卒の男子」と「短大卒の女子」を採用していたのであり、仙頭さんは高専卒なので短大卒と同等であって、男性とは「採用区分」が違うのだというわけです。「高専卒の男子」は、「研究技術職」というより高いクラスで採用していたのに、です。

 これは、「昭和30年代や40年代の男女差別採用は、当時としては民法の『公序良俗』には反しないので、違法ではない」という判決があることに悪乗りした主張であり、聞き飽きた理屈ですが、「男女平等を謳った憲法はとっくに施行されていたのに」「当時から雇用の男女差別は問題になっていたのに」と思うと、何度聞いても不愉快です。
 また仙頭さんは、実際はけっして「アシスタント」ではなく、男性と同じような研究業務をおこない、成果も上げていたのですから、二重に間違っています。この裁判を支援する歌として「輝いて生きていきたいパート2」(仙頭史子作詞、豊田光雄作曲)という歌が最近できたのですが、その中に
 「同じ仕事をしていても、男がすれば研究職、女がすればアシスタント。もらう給料、男の半分」
 という一節があるのですが、そういった状況があったわけです。

 証人はさらに、近年は人事・賃金制度の文言から「性」や「学歴」による区別をなくしたことを延々と説明しました。
 しかし、人事・賃金制度の文言からそうした区分をなくしただけで男女差別をなくしたように言うのは、現実をまったく知らない主張のように感じました。女性差別にペナルティーを付けるなり、男女差別意識をなくす研修でもしたなら話は別ですが‥‥。

 こうした会社側の理屈に理論的に反論するのは簡単ですが、具体的な証拠によって反論するのはそれほど簡単ではありません。
 しかし、仙頭さんの弁護士さんらによる反対尋問では、就業規則などの文書には「研究アシスタント」などの区分が記されていないことや、当時の会社の求人広告にも、「男女社員一般事務」とか、性を限定しない「一般事務」の求人があることを追及して、「求人広告では採用区分は明らかにできない」と述べました。証人は、完全にしどろもどろになりました。
 こうした求人広告は、裁判を支援する会の事務局の人が、当時の新聞のマイクロフイルムを丹念に調べて見つけたとのこと、地道な努力に頭が下がりました。

 また、証人が人事制度から「性・学歴別の昇進の標準在任年限を廃止した」と主張したことに対しては、制度変更後の文書にも「現行の標準在任年限を尊重する」という文言があるのを見つけて追及しました。
 さらに性別・学歴別の賃金分布の表や、同期同学歴の人の昇格のしかたを示して、その後も事態は変わっていないことを証人に突きつけしまた。
 また、新しい人事制度では、営業職は最低「+5」という評価が付くと決めているのに、仙頭さんには「+3」しか付いてないことを追及しました。すると、証人は「まれには付く」と、「まれ(言葉は正確でないかもしれませんが)」であることを認めざるをえませんでした。

 裁判後の交流会では、会社側の証人は入念にリハーサルをしてきているけれども、反対尋問で自分が考えていないことを聞かれると、ピントはずれの応答しかできないことなどが話題になりました。

 次の裁判は、仙頭さんの元上司ら4人が証人です。
 これまで出ている陳述書によると、彼らは「昇進の遅れは、男女差別のせいではない」と主張しようとして、仙頭さんの昔のミス(といっても、誰でもやっているようなミスにすぎない)をほじくりだして、仙頭さんが「無能」だと主張しているそうです。
 そんなひどい主張をするしかないほど、彼らは追い詰められているのですが、仙頭さんは精神的に大変でいらっしゃると思います。
 私は行けないかもしれませんが、傍聴に行って、証人を監視して仙頭さんを見守っていただける方がいれば、と思います。

 次回:10月23日(月)10:00~16:30 大阪地裁大法廷

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Author:遠山日出也
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 私への連絡はtooyama9011あっとまーくyahoo.co.jpまで。

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