2017-03

農村での土地権侵害に対する「出嫁女」の闘い――陳情、デモ、裁判、インターネット、パォーマンスアート

≪目次≫
はじめに――「出嫁女」に対する土地権侵害
1.陳情とその困難――1.陳情しても、なかなか解決しない 2.陳情狩りとヤミ監獄、行政拘留 3.地元の村でのひどい仕打ち 4.集団での陳情、抗議行動
2.デモとその困難――1.村民委員会に抗議するデモ 2.北京でデモの申請をした女性も 3.逆に既得権を守るためのデモも
3.一部地区では成果も:陳情が社会の「安定」を脅かしたことにより――1.南寧市経済技術開発区 2.仏山市南海区
4.訴訟とその困難――1.裁判所に受理されにくい 2.陝西省では裁判所に受理するよう文書を出す:集団陳情多発の影響で 3.勝訴しても、政府や裁判所が判決を執行しない 4.強制執行で権利を勝ち取る
5.インターネット上での活動――グループは数千人規模に
6.都市のフェミニストグループとの出会い――1.「ニューメディアにもとづくジェンダー平等の唱導と実践活動」(陳亜亜ら)プロジェクトで報告 2.ジェンダー平等活動グループの合宿に参加、パォーマンスアートもおこなう
おわりに

はじめに――「出嫁女」に対する土地権侵害

「出嫁女」(「農嫁女」「外嫁女」とも言う)とは、「嫁に行った女性」のことですが、具体的には、農村において、他の村または都市部の男性と結婚したけれども、さまざまな原因で戸籍を実家に置いたままにしている女性を指します。

そうした「出嫁女」には、多くの村では、他の村民と平等な土地権が与えられないということが中国で問題になっています。他にも以下のようなさまざまなケースがあります。
 ・離婚・死別した女性に対しては、元夫の村は彼女に分配した土地を回収する一方、実家の村は土地を分配しないというケースがある(この問題についても、「出嫁女」問題の範疇で捉えられることもあります)。
 ・未婚の女性の土地も、(嫁いで行くからという理由で)一定の年齢になったら村が回収してしまう。
 ・婿入り(招婿)した男性には土地を分配しない。
女性の土地請負経営権をめぐる、さまざまな権利侵害の事例や裁判例から見た法の実効性などについては、何燕侠『現代中国の法とジェンダー――女性の特別保護を問う――』(尚学社 2005年)の第5章「農村女性の土地請負経営権とその実態」を参照してください。また、以前本ブログで取り上げたように、都市で仕事をしている農村女性の土地権の侵害状況については、2010年に、NGOの農家女文化発展センターが詳しく調査しました(本ブログの記事「『中国流動女性土地権益状況調査』刊行」参照)。

この「出嫁女」の問題が顕在化したのは、1980年代、農業集団化が終了して生産請負責任制が導入されて、土地経営の主体が「家族」になったときのことです。その際に、女性の個人としての土地権は保障されず、「嫁に行った女性は、撒いた水と同じ」と考えられて、「出嫁女」の権利は無視されたのです。この問題の根底には、中国の農村における父系制・家父長制・父方居住という伝統的なシステムがあります。

また、1998年に第1回目の土地請負期間が満期になったためにおこなわれた、第2回目の土地請負の際も、この問題が顕在化しました。

さらに、都市化がすすんで、土地が収用されることが多くなると、その際の補償金の分配から「出嫁女」が排除されるということも大きな問題になっています。土地の価値が大きく上がったために、矛盾がますます鋭くなったのです。

「婦女権益保障法」や「農村土地請負法」は、女性の土地請負経営権や住宅敷地の土地使用権を保障しているのですが、それにもかかわらず、「村規民約(村のきまり)」が女性の土地請負経営権を侵害していることが少なくありません。地方の政府も、そうした違法な事態を容認してきました。

そうした状況に対して、出嫁女たちは、さまざまな運動をしてきました。

1.陳情とその困難

出嫁女たちは、問題の解決を求めて、鎮・市・省の行政機関(ときには共産党の委員会にも)、さらには北京にも陳情に行っています。浙江省の臨海市の婦女連合会のサイトの不完全な統計によると、浙江省には現在23万人余りの「出嫁女」がいるのですが、臨海市の「出嫁女」の陳情は、2006年は84件、2007年は89件、2008年は109件と増加しているということです(1)

1.陳情しても、なかなか解決しない

しかし、陳情をしても問題はめったに解決しません。中国における陳情については、毛利和子・松戸庸子編著『陳情 中国社会の底辺から』(東方書店 2012年)に詳しいのですが、同書には、陳情には大きな手間や費用がかかるにもかかわらず、政府が直接解決または直接調査した案件は、2.5%にすぎないという数値も紹介されています(p.7)。出嫁女の問題に関しても、下のように、20年余りの間に合計1890回陳情をしても問題が解決していないケースもあります(以下で挙げる諸事例は、資料の原文のままの紹介はなく、すべて簡単な要約です)。

南寧市西郷塘区北湖街道弁秀霊村の、2010年現在で69歳の出嫁女の張偉明さんは、本来なら3人と娘の分とあわせて88㎡の宅地が分配されるはずが、村の宅地や土地収用補償金の分配から排除されているために、やむなく29㎡の狭い土地にある古い住宅に住んでいる。張さんは、自分たち母子4人の権利のために、1988年から陳情を始めて、地方から中央まで、あらゆる部門に対して、20年余りのあいだに合計1890回陳情をした。しかし、何の成果もなかっただけでなく、しばしば殴られたり、跡をつけられたり、軟禁されたりした(2)


次も、20年間近く省や北京に陳情を続けている女性の事例です。

安徽省淮北市濉渓県の王栄華さんは、1994年に出嫁女であるために土地を奪われ、20年間近く安徽省や北京に陳情してきたが、2013年になっても、まだ問題は解決していない。王さんが陳情を続ける間に、夫婦関係は破綻し、夫とは離婚した。王さんは離婚後、2人の子どもとともに生活しているが、土地がないために、臨時工をして金を稼ぐしかない、王さんは80歳あまりの父母にも金銭援助をしている(3)


1978年から、32年間闘ってきた女性もいます。

長沙市天心区大托鎮新路村野鴨塘組の出嫁女の李順成さんは、32年間、出嫁女への差別に対して闘ってきた。1978年、李順成さんは王継春さんと結婚した。王さんは、軍隊を退役した後、野鴨塘組に李さんの父母と一緒に住んだが、野鴨塘組は、李さんの転入を認めたら「組の経済的利益が損なわれる」と考えて、村規民約を作って、入り婿の戸籍登録を許さないようにした。さらに、村の女性は、結婚後は、たとえ戸籍を転出しなくても、村民としての待遇を受けられないと規定した。李さんは、それに対してずっと抗議してきたが、2008年には、なんと長沙市公安局が「夫婦が戸籍登録するには、郷・鎮・村組の同意の証明書が必要である」と定めた。李さんはそれを取り消すように長沙市法制事務局に求めたが、退けられた(4)


2.陳情狩りとヤミ監獄、行政拘留

出嫁女たちが北京に陳情に行くと、北京の当局に捕まったり、地方政府の出先機関によって陳情狩りにあったりします。「陳情狩り」というのは、「地方政府とくに末端の役所は、自分の村や郷からレベルを超えた陳情や北京への集団陳情が起これば大変面倒なことになるので、策を弄してなんとかそれをさせないようにする」ことです(『陳情 中国社会の底辺から』p.5)。彼女たちは、捕まった後、ヤミ監獄に閉じ込められたり、地元に連れて帰られて行政拘留をされたりしています。地方政府に陳情に行っても、拘留されることがあります。

安徽省宿州市経済開発区劉合村の5人の出嫁女は、土地の第2回目の請負のときに、村から土地の請負権を剥奪された。彼女たちが2004年に宿州市や安徽省の政府・婦連に陳情を始めて9年が経つが、政府の不作為により土地請負権の問題は解決していない。そこで、彼女たちのうちの4人が、2013年6月1日、北京に陳情に行ったが、北京市公安局朝麦子店派出所に捕まり、「久敬荘救済援助センター」(「救済援助」とは名ばかりの、国家陳情局が治安維持のために陳情者を収容する施設)(5)に監禁された。そこにやって来た宿州市の在北京事務所の職員は、帰ったら問題を解決すると言ったが、彼女たちはヤミ警備員によって無理やり車に乗せられて宿州市に連れて帰られた後、宿州市公安局経済開発区分局によって行政拘留6日に処せられた(6)


とくに政治的に「デリケート(敏感)」な時期(人民代表大会、政治協商会議、共産党の会議の開催時期、国慶節など)には、そういう目にあいやすいのです。

1988年、南寧市西郷塘区北湖街道弁上堯郷政府は「女性の結婚相手が農業戸籍の者だった場合は、一般に夫の地に転居しなければならない。もし転出しなければ、本村の村民としての福利待遇を受けることはできない」という規定を公布し、秀霊村でも「結婚した女は一律に村・組の経済的福利待遇を享受できない」という村規民約を制定した。それによって、出嫁女の陳成帯さんは村の一切の利益分配から排除された。陳さんは、十年あまり陳情しているが、「両会(人民代表大会と政治協商会議)」や国慶節などの「デリケートな時期」になると、監視・軟禁される。2010年は、地元の政府の攻撃がひどくて、3月4日に北京に陳情したときは陳情狩りにあって9日間軟禁され、3月23日に広西チワン族自治区の政府に陳情したときは5日間拘留され、5月8日にもう一度陳情したときも20日間拘留された(7)


黒龍江省ハルピン市松北区万宝鎮巨宝村の出嫁女たちは、土地収用の補償金を分配されなかったことを、2010年4月から2011年1月まで、鎮・区・市・の政府に何度も訴えに行った。しかし、どのレベルの政府も彼女の訴えに応対しなかったり、いい加減にあしらったりした。そこで、彼女たちは省の陳情局に行ったが、「解決できない」と言われたので、中国共産党の省委員会に行ったが、入口にいた警察官に「ここに陳情に来てはいけない。ここに来るのは正常でない陳情であり、何度も来たら、子どもの入党や就職にも影響する」と言われた。やむなく彼女たちは、2011年3月の全国人民代表大会と全国政治協商会議の期間に、北京の中国共産党中央事務局、国務院事務局に陳情した。しかし、彼女たちは面談後、バスに載せられて、久敬荘救済援助センターに閉じ込められた。久敬荘救済援助センターでは、ハルピン市の在北京事務所の職員だと称する人が「帰って問題を解決する」と述べて彼女たちを車に乗せて連れ出したが、しばらくすると車が停車して、見知らぬ男たちがおおぜいやって来て、彼女たちの身分証や携帯電話を取り上げ、彼女たちが反抗したら、殴りつけた。その後、彼女たちは車に乗せられて、北京市大興区黄村鎮鵝房村のヤミ監獄に3日間閉じ込められ、ハルピンに送り返された(8)


河南省鄭州市滎陽市京城弁石砦村の卜秀煥さんは、出嫁女だったために土地を与えられなかったので、村・街道・市・省などの政府の関係部門に訴えたが、何の役にも立たなかった。卜さんは北京の関係部門にも訴えたが、ダメだった。そこで、卜さんは、2011年3月の全国人民代表大会と全国政治協商会議の期間に、天安門でビラをまいたところ(その際に地元の政府の汚職腐敗についても告発した)、天安門にいた警察官に捕まって久敬荘救済援助センターに送られ、河南省の在京の陳情狩りの職員に「今度やったら労働矯正にする」と言われた。次の日もビラをまいたら、すぐに警察官に捕まって久敬荘救済援助センターに送られて拘禁された後、地方政府の陳情狩りの職員に引き渡された。4月22日、卜さんが他の数人と北京に陳情に行ったら、警察官に捕まり、在北京事務所の職員によって、北京の照康旅館のヤミ監獄に監禁された(9)


2011年10月、南寧の3人の出嫁女(黄肖瓊さん、陳成帯さん、陳桂鳳さん)が北京に陳情に行ったが(国土資源部の前での写真)、14日に、宿泊していた旅館から、警察によって久敬荘救済援助センターに連れて行かれ、その後、広西の駐北京事務所の職員によって事務所の前の旅館に移送された。翌15日から18日まで、北京では、中国共産党17期六中全会が開催されるので、陳情に来ていた人々を探して、手当たりしだい捕まえていたのだ。19日に、3人は南寧に送還され、陳成帯さんと陳桂鳳さんは、何の法律的手続きもなしに、派出所で10時間あまり訊問された(10)


2011年、チュニジアの「ジャスミン革命」に触発された動きが中国でもあった際に北京に陳情に行って、「国家政権転覆扇動罪」で逮捕された出嫁女もいます。

2011年3月、南寧市江南区同楽新村の劉慧萍さんは、北京で陳情狩りにあった後に南寧に送り返され、南寧市公安局江南分局に、「国家政権転覆扇動罪」で逮捕された。彼女は、これまで何も政治活動はしたことはなく、自分の権利のために陳情に行っただけだったが、現地の派出所によると、インターネットで呼びかれけられていた「ジャスミン集会」の関係で罪に問われたのかもしれないという(11)


以上のような目に遭いつつも、出嫁女たちは直訴を続けてきました。軟禁されたら、ハンストや自殺で脅して解放された女性もいます。

南寧市江南区沙井街道仁義村の梁位娟さんは、何度も北京に陳情してきたが、2007年には地元の政府が派遣した人によって北京から南寧に連れ戻されて、4人の仲間とともに市の郊外に軟禁された。しかし、梁さんは、監禁された人々全員に呼びかけてハンストで抗議した。次の日には、梁は、身につけていた小さな果物ナイフを取り出して、「手を切って自殺するぞ」と言い、他の人も、「もし釈放しないなら飛降り自殺する」と言った。監禁していた人もやむなく、軟禁を解除せざるをえなかった(12)


3.地元の村でのひどい仕打ち

また、陳情に行ったために、地元の政府にひどい仕打ちをされた女性たちもいます。下の女性は、村の幹部とつながりがあると思われる正体不明の者たちに襲撃されて、重傷を負わされました。

広東省陽光市陽西県丹肖村の陳麗瓊さんは、彼女が外嫁女であることを理由に土地収用の賠償金がまったく分配されなかったことについて、何度も市の政府に陳情し、2009年には裁判に訴え、勝訴した。しかし、当局はまだその判決を執行していない。2010年8月、村民委員会の書記が電話をしてきて、「補償について話をしたい」と言ったので、出かけて行ったが、書記は、補償の話はまったくしなかった。話が終わって、深夜の12時に村民委員会を出たら、正体不明の5人組が手に鉄の棒などの武器を持って陳さんに襲い掛かり、陳さんは、左足と右手を骨折させられるという重傷を負った。陳さんは廃品回収の仕事をして自分と子どもの生計を支えてきていたのだが、ケガの医療費で貯金はすべてなくなり、20歳と17歳の女児が学校を休んで仕事をしなければならなくなっている(13)


ある女性は、村にいられなくなるまで報復や嫌がらせをされて、北京で自殺を図り、その後も、土地を占拠されるなどの目にあっています。

河北省石家荘市高新区宋営鎮南辛村の張夢穎さんは、中国共産党18期3中全会の最後の1日である2013年11月12日に、北京の釣魚台国賓館で、自分の経歴を書いたビラをまいた後で自殺をはかった。彼女は、村民としての待遇が受けられないことを7年にわたって各所に訴えてきたが、解決しないばかりでなく、基層の政府に取り締まられ、報復されていたのだ。張さんは、2012年には、北京で拉致され不法に17日間監禁された。2013年には、郷の幹部が正体不明の者を連れて、張さんの家を取り囲んで、家族に「張夢穎を引き渡せ」と言うなどの、嫌がらせをした。そのため、張さんは北京に出て8カ月余り放浪せざるをえなくなり、その果ての自殺の企図だった。張さんは、郷の幹部に連れて帰られて、その後も、郷の幹部は、張さんの家の口糧田(自家米を作る田)を占領して木を切り倒し、廃土を入れ、平らにならして、駐車場にしようとしている(14)


「政法委員会」(裁判所・検察・警察などの司法機関を指導する機関とされている)のメンバーが出嫁女を拉致をしたという記事もあります。陳光誠氏のケース(「脱出した盲目の人権活動家・陳光誠が明かした監視と暴力に苛まれた日々=ビデオメッセージ全文―中国」Kinbricks Now2012年4月29日)を見てもわかるように、現在の中国では、当局の職員自身がそうした非常に露骨な暴力を振るうということもあるようです。

2013年3月には、南寧市西郷塘区上堯街道上堯村の出嫁女である梁建嬌さんが、中国共産党中央政法委員会の事務局長・周本順に南寧市の出嫁女の境遇を告発した手紙を書いた。ところが、梁さんは、南寧駅で、中共南寧市政法委西郷塘区政法委員会のメンバーである4人に拉致された。この事件には、南寧市の警察も手を出せないという(15)


4.集団での陳情、抗議行動

出嫁女たちが集団で陳情し、地方の政府や婦女連合会の前で、横断幕を掲げて抗議する活動もおこなわれています。けれど、政府や婦女連合会は、応対しなかったり、追い払うことが多いようです。

2010年8月13日の午前8時半、広西チワン族自治区の南寧市の20名あまりの村民が、南寧市江南区政府の前で、「性差別をなくし、男女平等を要求する」「南寧の出嫁女の権益を保障することを要求する!」という横断幕を掲げて抗議した。同日午後1時には、西郷塘区政府の前でも6名の村民が抗議した。この抗議に参加した人の中には、陳情したために何度も行政拘留された人も数名いたため、逮捕されないよう、抗議を続けた時間は短く、10分ほどだけだった。十年あまり、彼女たちの陳情活動は間断なくおこなわれていたが、問題はずっと解決していない(この記事中に写真あり)(16)

8月16日にも、南寧市の十数名の農村女性が、南寧市の政府と婦女連合会の前で、出嫁女の権益問題を解決することを求める請願をおこなった。彼女たちは、市の政府や婦女連合会の人が出てきて対応すると思っていたが、待っていても誰も出てこなかった。十数年来、彼女たちは広西や北京の関係部門を駆け回ってきたけれども、問題が重視されなかっただけでなく、毎年、陳情に行った出嫁女が拘留されたり軟禁されたりしている。彼女たちは政府と敵対するつもりはないのに、政府は何度も彼女たちを攻撃・抑圧する行為をしているのが非常につらい、と多くの出嫁女が述べている(この記事中に写真あり)(17)

8月18日にも、20名あまりの女性が、広西チワン族自治区の政府と婦女連合会の前で抗議をおこない、政府に出嫁女の権利を保障するよう要求した。彼女たちはまず政府の前に行って、「婦女権益保障法を遂行せよ」「性差別をなくせ」「出嫁女の権益を保障することを要求する」などの多くの横断幕を掲げたが、すぐに武装警察官に追い払われた。その後、彼女たちは広西婦女連合会の前で抗議をした。これは、この6日間で、南寧の出嫁女の5回目の抗議活動だった。彼女たちは、これまでに、南寧市の各市街区の政府、南寧市政府、南寧市婦女連合会、南寧市国土資源局など多くの部門に抗議してきた。今日の抗議もこれまで数回の抗議と状況は同じであり、誰も応対には出てこず、出入り口の当番に追い出された。抗議に参加したある人は、先月広西の人民代表大会は新しい政策を出して、出嫁女の権益を保障すると明確に言ったのに、それを守っていないから抗議していると述べた。抗議の現場では、彼女たちは、出嫁女が陳情の過程で殴られたり、軟禁されたり、拘留されたことを示す写真も展示した(この記事中に写真あり)(18)

2012年2月13日から16日まで、南寧市の人民代表大会と政治協商会議の開会期間に、多くの人々が会場の外で抗議活動をした。南寧市の最大の陳情グループである「出嫁女」も抗議現場にやってきた。彼女たちは40人ほどで、何度もやってきて、スローガンを叫んだり横断幕を掲げたりして抗議した(この記事中に写真あり)(19)


数百人の女性が地方政府の前に集まったケースもあります。

2010年10月18日、浙江省台州市椒江区の数百名の外嫁女が、台州市政府の前で横断幕を掲げ、スローガンを叫んで、当局に待遇の差別を解決するよう要求した。以前は彼女たちも他の村民と同じように処遇されてきたのだが、椒江区が今年急速に発展して大量の土地が収用され、村が多くの土地補償金を獲得したために、彼女たちを差別するようになった。今回は、一般の村民は1万元分配されたが、彼女たちは6千元しか分配されなかった。今後は分配せず、戸籍も取り消すという(この記事中に写真あり)(20)


ただし、最初は集団で出嫁女が陳情していたのに、地方政府から圧力をかけられて孤独な闘いになった女性もいます。この女性は、ひどい弾圧や嫌がらせ、迫害にあいつつ陳情を続けています。

広東省中山市の小欖鎮の黎容好さんは、母親の黎恵蓮さんが外嫁女だからという理由で、村民委員会から利益配当をもらえなかった。2001年には、数百人の外嫁女がいっしょに陳情したが、小欖鎮政府が、彼女たちを逮捕するなどして圧力をかけて、押さえつけてしまった。黎容好さんは、中山市だけでなく、北京にも陳情に行ったが、陳情狩りにあった後に、10日間行政拘留され、さらに村民委員会に2日間閉じ込められ、ハンストして気を失った後にやっと釈放された。2009年には労働矯正に処せられ、今後陳情しないという承諾書に署名することによって、やっと釈放された。その後も、家の門に血まみれの鶏頭をぶら下げられたり、窓ガラスを割られたりするなどの嫌がらせにあった。小欖鎮のテレビ局も、黎さんを犯罪者として報道し、そのために黎さんの娘は同級生から仲間はずれにされ、成績も下がった。しかし、黎さんは、2014年現在も陳情を続けている(21)


もっとも、集団の陳情に応えて、省の共産党や政府、婦女連合会が解決に努力している(けれども、村の抵抗にあっている)という事例を報じた記事もあります(下の記事)。この記事は、中華全国婦女連合会の機関紙の『中国婦女報』に掲載されたものなので、そういう事例を取り上げたのだと思います。『中国婦女報』は、出嫁女が置かれている状況や出嫁女の裁判についての記事はときどき掲載していますが、共産党や行政、婦女連合会の問題はほとんど追及しません。

安徽省霍邱県城関鎮城北村の出嫁女たちは、1989年から1999年まで、鎮・県・省・北京の各機関を転々として訴えてきた。各機関も、現地に解決するように指示を出したが、そうした指示を城関鎮と城北村は執行しなかった。彼女たちは、1999年には霍邱県法院に行政訴訟を起こして勝訴し、城関鎮政府も指示を出したが、城北村の村民委員会はそれに従わなかった。そのため、彼女たちは、その後の10年間も、陳情やメディアへの訴えを繰り返してきた。45人の出嫁女が集団で陳情したので、安徽省の党委員会事務局政研室・省農委・省婦連が調査チームを結成して調査して、村民大会を開かせて、村の三組・四組・五組に、出嫁女にも土地を分配することを同意させた。ただし、一組の問題は解決しなかったので、2004年、村民委員会が、村民たちに「代わりの土地を見つけるから」と言って、村民大会を招集して、出嫁女にも少しだけ土地を分け与えさせた。しかし、それも2007年に回収されてしまった(22)


2.デモとその困難

1.村民委員会に抗議するデモ

村民委員会に抗議するデモをおこなった女性たちもいますが、特殊警察部隊に鎮圧されました。

2013年12月13日、湖北省武漢市洪山区九峰郷新建村の村民たちが、村民委員会が女性の村民の利益を侵害していることに抗議してデモをおこなった。村民たちは、何度も陳情したが、村民委員会と郷政府は応答しなかったからである。村民委員会が出嫁女や離婚女性の土地収用補償金を着服している疑いもあるので、村民たちは、村民委員会の会計の公開も要求した。しかし、当局は、特殊警察部隊を派遣してデモを鎮圧し、多くの老人が殴られた。

現場の写真によると、多くの村の女性が道路をふさいでいて、やじ馬もおおぜい集まり、交通をマヒさせている。彼女たちが掲げた赤い横断幕には、「九峰の『出嫁女』の権利を守れ」「『出嫁女』のレッテルを打ち破り、断固として男女平等を要求する」と書かれている。別の写真には、頭にヘルメットをかぶり、手には盾を持った多数の特殊警察部隊と村民と衝突しているのが写っている。さらに別の写真では、特殊警察部隊が道路のわきに並んで、村民を威嚇して対峙している(写真)(23)


2.北京でデモの申請をした女性も

認められる可能性は皆無に等しいにもかかわらず、北京でデモの申請をした女性もいます。村にいられなくなるまで報復や嫌がらせをされて、北京で自殺を図った張夢穎さんです。

2014年2月23日、張夢穎さんは、北京市治安総隊に宛てに、EMSで、全国の「出嫁女」の権利のためのデモを北京ですることを申請した。デモのコースは西単~天安門広場で、スローガンは「女性と子供に対する差別に反対する。私に尊厳と人格を返せ。村民としての待遇を返せ。法に従って社会を治めよ。長年晴らせなかった濡れ衣を晴らす。私に土地を返せ。私に生存権を返せ。男女平等政策を実現せよ。法にもとづいて私たちの訴えを解決せよ」にすると申請しており、人数は「1000人以下」で、デモの日付は「3月1日8時~3月10日18時」だとしている(24)


3.逆に既得権を守るためのデモも

出嫁女ではなく、村の他の女たちが、出嫁女の土地権に反対するためのデモをした事例もあります。このことは、家父長制的な土地分配のやり方から利益を得ている女性もたくさんいることを示しています。

2007年9月に施行した「浙江省『婦女権益保障法』施行規則」は、女性が結婚したり、離婚したりしても、彼女が新しい土地を得るまでは、彼女の土地を回収してはならないと規定した(25)。ところが、それに対して、広東省東莞区主山村の100人余りの女性が、道路を占拠して抗議した。彼女たちは警察と政府の官吏に説得されて解散したが、この抗議行動は、けっして権利擁護のための行動ではなく、外嫁女が土地権を持つことに抗議するという自分たちの「特権擁護」のためのものだった。「こうした特権を擁護する事件はかなりよくある」(東莞の人権活動家・李原風さんの話)(26)


3.一部地区では成果も:陳情が「安定」を脅かしたことにより

以上の事例では、集団で陳情しても弾圧されたり、効果がなかったりしましたが(『中国婦女報』の記事を除いて)、集団で陳情をすることは、けっして一概に無駄だというわけではないようです。

1.南寧市経済技術開発区

以上で紹介した活動の事例の中に、広西チワン族自治区の南寧市のものが多数ありました(27)。その背景には、南寧市では近年、市街地が急速に拡張して周辺の農村の土地が収用されることが多いので、出嫁女の権益を侵害する事例が多発しているという状況があるのですが、南寧市の経済技術開発区(南宁市经济技术开发区)は、一部の村について、出嫁女の土地を確保する政策をおこないました。下は、それを示す記事の1つです。

南寧市経済技術開発区が、那歴村、平陽村につづいて、2011年12月、留村についても、「出嫁女」問題を解決した。村組の第三次産業用地と回建用地を削減するなどして、出嫁女の土地を確保し、また、出嫁女に仕事につくための補助として1人5万元を補助する(28)


2012年5月、全国婦連副主席で書記処書記の甄硯さんも、南寧経済技術開発区を視察して、「出嫁女」の権利を保護する政策を高く評価しました。甄さんがそうした政策を高く評価したのは、「双維双促(=社会的安定を促すことによって権利を擁護し、権利を擁護することによって社会的安定を促す)」という観点からでした(29)。このことは、出嫁女の運動が社会に「不安定」な状況をもたすことは、一方では彼女たちの運動に対する弾圧を引き起こすとともに、もう一方では、やはり一定の成果をもたらすことを示しているのだろうと思います。

ただし、その後も南寧市西郷塘区で、上で紹介したように「政法委員会」による拉致事件が起きていることが示すように、少なくとも南寧市の他の地区では、けっして問題は解決していません。

2.仏山市南海区

以前、本ブログで、「仏山市南海区政府が農村の『出嫁女』の土地権益問題を解決」したということをお伝えしました。その後、南海区のある鎮の政府が、その中の村の株式経済合作社のメンバーとして「出嫁女」を認めたことに対して、その株式経済合作社から行政訴訟を起こされるということもありましたが、鎮の政府が勝訴しました(30)

上の本ブログの記事でも述べたように、南海区の政策の背景にも、10年余りにわたって多くの出嫁女が集団での陳情や等級を飛び越しての陳情をしばしばおこなったために、宏崗村の党支部書記が「絶え間ない上訪は、村の社会の安定に対して影響と制約をもたらした」と言い、南海区党委員会の書記が「もし出嫁女の問題が解決したら、南海の上訪問題の半分以上、いや3分の2すらが解決するだろう!」と述べたほどだったという状況がありました。ある鎮委員会の書記によると「以前は村組の幹部もいつも時間と精力を出嫁女の陳情事件を処理するのに使った」そうです。ここにも、はっきりと出嫁女の運動の影響がうかがわれます。

しかし、南海区でも、けっして出嫁女の土地権の問題が全面的に解決したわけではなく、その後も、以下のように、出嫁女たちが共産党の省委員会に陳情に行ったりすると、南海区の警察に弾圧されるという事例が報じられています。

2014年1月16日、広東省仏山市南海区の黄岐街道などの6人の外嫁女(黄沛江さん、黄竹流さん、陳敬鴻さんら)が、黄岐街道が外嫁女の土地権を剥奪している問題を、中国共産党広東省委員会に陳情しに行った。しかし、地下鉄の乗り換えの際に、南海区の警察と官吏に捕まり、「スローガンを叫び、不法なビラをまいた」ことによって「社会秩序をかく乱した」という理由で、彼女たちは、行政拘留10日に処せられた(31)


こうしたことが起きるのは、出嫁女問題の解決が、彼女たち自身の権利のためというよりも、「社会の安定」という見地からおこなわれていることと無関係ではないのだろうと思います。

4.訴訟とその困難

以前、本ブログで、2006年、内モンゴル自治区のフフホト市の出嫁女が、土地請負経営権の差別を訴えて勝訴した裁判をご紹介しましたが(「農村女性の土地請負経営権をめぐる裁判」)、最近も、2013年10月、温州市永嘉城街道前村の27人の出嫁女が、同村の村民委員会と集団経済合作社を訴えるなど(32)、出嫁女たちは、たびたび裁判も起こしています。

1.裁判所に受理されにくい

しかし、出嫁女の権利に関する訴訟は、裁判所に受理されにくいとよく言われています。たとえば、以下のような事例があります。

武漢市黄陂区盤龍城開発区葉店村の出嫁女の楊秋娥さんは、訴訟を受理させるまでに、3年間に6回も訴状を書かなければならなかった。楊さんは、土地権と土地収用の補償金分配の差別について、2007年7月、黄陂区法院に訴えたが受理されなかった。武漢市中級法院にも訴えたが、やはり受理されなかった。そこで、楊さんは武漢市検察院に訴えたところ、武漢市検察院は楊さんの主張を認め、湖北省検察院に抗訴(=検察院がおこなう控訴)するよう求めた。湖北省検察院もそれに応えて「黄陂区法院が楊さんの訴えを受理しなかったのは誤りだ」と言って、湖北省高級法院にもう一度審理するよう抗訴した。しかし、湖北省高級法院は抗訴を退けた。楊さんは、もうだめかと思ったが、あるとき、同じ村に同様の訴訟を起こした女性がいることを知って、教えを乞い、その女性の弁護士に指導をしてもらって、訴状を書き改めて、もう一度訴訟を起こした。それでも黄陂区法院と武漢市中級法院は楊さんの訴えを受理しなかったが、湖北省高級法院が楊さんの訴えを認めて、黄陂区法院に楊さんの訴えを受理するように指示したため、2010年10月、やっと裁判が始まり、2011年5月、楊さんは一審で勝訴した(33)


南寧市江南区仁義村十三組の梁恵精さんは、10年余り広西の各クラスの政府に陳情を続けており、何度か北京にも行って陳情したが、成果がないので、2002年には十三組を裁判所に訴えた。しかし、裁判所は「村民小組はその管理している集団の財産を処分する権利を持っており、村民小組がその管理している財産を処分したことによって村民との間に発生した紛争は、平等な民事紛争ではなく、裁判所が受理する民事事件の範疇ではない」という理由で、訴えは受理されなかった(34)


他にも、「農村の集団経済組織の収益の内部の分配は、農村集団経済組織が民主的な決議の手続きで処理し決定する事項であって、裁判所が受理する民事事件の範疇ではない」という理由で訴えが受理されなかった事例がありますし(35)、次のように、「これは政府のことだから、政府が処理しなければならない」と言われて訴えが受理されなかった事例があります。

南寧市西郷塘区大塘村東坡一組の潘徳鳳さんは、結婚後村のすべての利益分配から排除され、選挙権さえ剥奪されたことを、長年省や市の関係部門に訴えてきただけでなく、何度も北京に行って陳情したが、効果はなく、かえってしばしば監視・軟禁・拘留された。潘さんは、2010年5月、東坡一組を訴えたけれども、西郷塘区法院は「これは政府のことだから、政府が処理しなければならない」と言って、訴えを受理していない(36)


2.陝西省では裁判所に受理するよう文書を出す:集団陳情多発の影響で

もっとも、陝西省では、高級人民法院が、下級の法院に出嫁女の訴えを受理するように指示しました。以下の『中国婦女報』の記事(要旨)をご覧ください。

わが国では、農村の土地と集団経済組織の収益分配などの問題が、1990年代初めから地方の安定を脅かす重要な社会問題になった。当時の陝西省の婦連の陳情の記録によると、省の婦連に対するその種の陳情は、毎年200件余りにのぼり、その半数以上は、集団での陳情で、最も多い時には、4~50人で婦連の中庭にいっぱいになった。陳情や集団的陳情が多発したのは、訴えを裁判所が受理しないからであった。こうした状況に対して、陝西省高級人民法院は、全省の中級・基層の人民法院に向けて、2006年1月、農村の集団経済組織のメンバーの資格を出嫁女にも認める「農村の集団経済組織の収益分配の紛争事件の審理についての討論会紀要」という文書を発表した。この文書によって、陝西省の大多数の基層の裁判所は、出嫁女の訴えを受理し始め、婦連へ陳情する人数は80%低下した(37)


上の記事からは、裁判所が出嫁女の訴えを受理しなかったので、出嫁女たちが集団での陳情が多発するようになったことが「地方の安定を脅かす重要な社会問題」と捉えられたという状況が読み取れます。実際、上の記事のメインタイトルは「出嫁女の陳情の人数が減った」というものです。ここでも、出嫁女の(とくに集団での)陳情が地方の「安定」を脅かしたことが、対応の変化をもたらしたことがわかります。

3.勝訴しても、政府や裁判所が判決を執行しない

第二の問題は裁判で勝訴できるか否かですが(何燕侠『現代中国の法とジェンダー――女性の特別保護を問う――』はいくつか勝訴と敗訴の事例を挙げ、その要因を分析しています)、もう一つ問題なのは、出嫁女の訴訟は、勝訴しても、政府や裁判所が判決を執行しない(できない)ことが少なくないことです。下の事例では、判決から7年たっても執行されていません。

南寧市羅文坡園芸場三隊の出嫁女の韋鳳潔さんは1994年に結婚したが、兄も弟もいなかったので。夫と村に住み続けた。しかし、羅文坡園芸場三隊は、2003年に韋さんの両親が死んだとき、韋さんの土地を取り上げた。韋さんは裁判所に訴え、同年9月に勝訴した。しかし、その判決は、2010年現在、まだ執行できていない。2000年、韋さん一家は、羅文坡から追い出され、村外の小さな家に住んでおり、韋さんの夫が臨時工をして一家を養っている。勝訴から7年間、韋鳳潔さんは南寧市のあらゆる関係部門に訴えたけれども、問題はまだ解決していない(38)


判決を執行しようとすると、村民たちが抵抗するようです。

安徽省広徳県桃州鎮祠山崗社区孫家村の歩修琴さんは、出嫁女であることによる土地収用の補償金の差別(男性の3割しか分配されず、産んだ子どもにはまったく分配されない)を2011年12月、裁判に訴え、2012年5月に勝訴した。村民小組は控訴したが、8月、二審の宣城市中級法院における審理が始まったら控訴を撤回し、歩さんの勝訴が確定した。しかし、村民組は判決に従わず、裁判所も判決を執行しなかった。歩さんが裁判所の所長を問い詰めると、所長は「もし執行したら、裁判所が村民に包囲される」と答えた(39)


「もし執行したら、裁判所が村民に包囲される」というのは、下に示したような裁判の情景(郭建梅弁護士による記述)から見ると、男系の相続を守ろうとして農民が抵抗するということのようです。

裁判が開廷したときには、住民が黒山のように座っていて、村の共産党支部書記が法廷で「これは、先祖がわれわれ男に残した土地だ。そうではないのか?」と言うと、みんながガヤガヤと立ち上がって「そうだ! 先祖がわれわれ男に残した土地だ!」と叫んだ(40)


男性の家族も既得権の受益者なので、先述のように、村の女性たちが、出嫁女の土地権を保障されることに抗議するために道路を占拠するという事態も起こるわけです。

4.強制執行で権利を勝ち取る

上のような事態に対して、出嫁女たちは、しばしば裁判所に強制執行を申請して権利を勝ち取っています。

甘粛省武威市凉州区武南鎮の某村の出嫁女の羅さんは、土地収用の補償金の分配において差別されたことを裁判に訴えて、2011年に凉州区法院で勝訴判決を勝ち取った。しかし、村民小組は判決書を受け取らず、執行を拒絶した。羅さんは同法院に強制執行を申請し、同法院は強制執行を決定した。しかし、強制執行の過程で、被告たちは執行裁判官をほしいままに罵り、おおぜいが裁判所に集まって騒ぎ、さらに一部の人々を糾合して、陳情をおこなって騒ぎ立てた。裁判所が執行しようとしても、村民小組が妨害したため、判決を執行することができなかった。そのため、凉州区法院は、村民小組の責任者の呉某を司法拘留15日に処し、執行中に裁判所で騒いだ村民たちを批判・教育した。法律の威力に恐れをなして、村民小組はついに判決を執行して、原告の羅さんは補償金を受け取ることができた(41)


この節の冒頭に挙げた、フフホト市の出嫁女たちの裁判でも強制執行をすることによってはじめて判決の内容を実現できています。昨2013年も、甘粛省天水市麦積区馬跑泉鎮の15人の出嫁女が、村民委員会を裁判に訴えて勝訴し、強制執行も申請して、11.1万元の土地収用の補償金を勝ち取った(42)という例があります。

こうしてみると、他の地区でも強制執行をすればよいように思えるのですが、地域の力関係によってはそうもいかないのでしょうか?

5.インターネット上での活動――グループは数千人規模に

中国国内のマスコミは出嫁女の活動をあまり報道しません(とくに陳情に対する政府の弾圧などについては報道しません)。そこで、出嫁女の中には、インターネットで活動をしている人々もいます。

浙江省の出嫁女の王秀英さんは、「農嫁女権益討論tz」という微博(农嫁女权益讨论tz的微博)で2011年9月からメッセージを発信しています(出嫁女の微博は他にもいくつかあります)。王さんは、その中で、QQ群(SNSの一種)の農嫁女の権利擁護グループ(全国的なもののほか、地方ごとのグループも10ほどある)への加入を繰り返し呼び掛けています。

王さんは、「現実の中では、私たちは権力も勢力もなく、何度問題を訴えても解決できません。だから、私たちはインターネットに助けを求めるしかなく、メディアに希望を託し、姉妹たちがこのプラットフォームの助けを借りて、早く権利の保護に成功するよう望んでいます」(43)、「インターネットはバーチャルなものだけれども、インターネットにいる人は誠実で、本当に存在しています」(44)と述べています。

王さんたちの「農嫁女ネットワーク権利擁護連盟(ブログ「农嫁女网络维权联盟」)」は昨年7月、「全国の農嫁女に告げる提議書(告全国农嫁女的倡议书)」を発表しましたが、その中では、「数年にわたる奮闘によって、インターネットには農嫁女権利擁護グループができ、そのメンバーは数千人に達した。彼女たちはお互いに助け合い、サポートし合って、現実とインターネットで、自分の権利のために奔走している」(45)と述べられています。

ただし、インターネット上でも、「地元のフォーラム(掲示板)は、地方保護主義が非常に強く、権利擁護の類のスレッドとアカウントは一律に封殺されるので(……)、現在大部分は新浪、騰訊、天涯、人民網という大きなポータルサイトで活動している」(46)という困難もあります。

また、「農嫁女権益討論tz」微博には、以下のような動画も掲載されています。

○出嫁女問題や運動の状況などを説明しつつ、ネット上のグループへの加入を呼びかけるビデオ。
 ・「视频: 男女平等,出嫁女要人权(47)

○湖北省洪湖市柏枝村の出嫁女たちの放浪と陳情、それに対する妨害のありさまを、物語に乗せてビデオ化したもの。
 ・「视频: 洪湖水(48)

南寧市についても、2011年9月から、「南寧の出嫁女の権利擁護(南宁出嫁女维权)」というブログが出来ています。

6.都市のフェミニストグループとの出会い

2010年ごろから「村規民約」を改めさせる活動が、中共中央党校婦女研究センター(李慧英さんら)、河南社区教育研究センター(梁軍さんら)といったNGOの手によって一部の地区ですすめられ、婦女連合会や行政もそうした努力をしています(49)。この活動は、男女の出生比率のアンバランスの問題を解決するという問題意識が強いように見えますが、系統的で地道な活動で、重要だと思います。しかし、書くと長くなりますので、後日ご紹介することにして、今回は、昨年おこなわれた新しい活動についてご紹介させていただきます。

1.「ニューメディアにもとづくジェンダー平等の唱導と実践活動」(陳亜亜ら)プロジェクトで報告

上海社会科学院文学研究所が担当している、国連-中国ジェンダー研究・唱導基金プロジェクト「ニューメディアにもとづくジェンダー平等の唱導と実践活動(微博:[新媒体性别平等倡导的微博])」(責任者・陳亜亜)が、2013年1月26―27日、「ニューメディアとジェンダー多元平等」研究討論会を開催しました(50)。この席で、王秀英さんが報告をしています。その報告の中で、王さんは、自らの活動として、以下の3点を挙げました。1.女性の権利を討論するQQ群、2.パフォーマンスアートで訴えを表現する(村の規則の中に差別的なものがある)、3.自分たちの物語を話す(さまざまな手段で農嫁女の現状を紹介することによって)(51)

陳さんは、この研究討論会について、「主催者がこのプラットフォームを提供してくれて、私という非常に普通の出嫁女が、集団を代表してここに立って、各領域の友人とお互いに交流・学習できたことに非常に感謝している」(52)、「[陳]亜亜にもお礼を言う。私が発言稿とPPTを修正するのを助けるのに、あなたは私と数えきれないくらい話し合った、続けて何日も夜半すぎまで」(53)と述べて、感謝の念を表明しています。

2.ジェンダー平等活動グループの合宿に参加、パォーマンスアートもおこなう

[1]「青年女性社会実践」冬令営に参加

王秀英さんは、ジェンダー平等活動グループ(性別平等工作組)が2013年2月25―27日に広州でおこなった、「青年女性社会実践」冬令営(合宿)(54)にも参加したようです。

「農嫁女権益討論tz」の微博が以下のように述べています。

「ジェンダー平等活動グループ」が私に研修に参加する機会を与えてくれたことに感謝する。また、あなた方から励ましの言葉をいただいたことにも感謝する。あなた方の言葉は、私を永遠に励ましてくれるだろう! この数日の活動によって、私は多くの知識を学んだ。あなた方と過ごしたこの数日間で、私は中国の若者の力が何であるかが本当にわかった(55)


逆に、冬令営のある参加者も、王秀英さんを以下のように賞賛しています。

この女性には尊敬の気持ちがわき起こった。彼女は絶えず謙虚に「私はただの初級中学卒業の農嫁女だ」と言うが、その身につけた美しさに私は心服した(56)


[2]パフォーマンスアート

2013年12月12日、出嫁女たちは、浙江省人民政府の前で、「組体操」のパフォーマンスアートをおこないました。このパフォーマンスアートは、村官に扮した女性が、「村規民約」と書かれたメガホンを持って、「嫁に行った女の子は、撒いた水だから、配当、土地、家屋、土地収容補償金は分配できないか、成年男子より分配を少なくする」と叫ぶと、出嫁女たちは、地面に折り重なるように倒れ伏すというものでした。見ると、彼女たちは、自らの体に、「嫁に行った女の子は、撒いた水」「男女は平等でない」「兄弟の戸籍に入れ」などのスローガンが書かれた紙が貼りつけています(57)

周りには、市民が見物に集まって来て、パフォーマンスアートは半時間近くおこなわれました。警察の干渉はありませんでした(58)

活動の発起人の陳秋静さん(仮名)は、「江浙地区では、『出嫁女』には、不動産や土地収用の補償において他の村民が持っている権利がありません。国家の法律は『女性の結婚・離婚後の責任田・口糧田・不動産などは保障される』と明確に規定しているのに、多くの村では、村規民約を使って、農嫁女の合法的な経済的利益を剥奪しています」と語りました。

南通市から来た彭春春さん(仮名)は、「私は農嫁女です。私たちの村の土地収用の収益に対する私の分け前は剥奪されました。私は政府に訴えました。けれども、政府は『これは村規民約だから、政府に干渉する権利はない』と言いました。私は裁判所に訴えましたが、裁判所も立件(受理)しませんでした。私たちには自分の合法的な権益を守る場所が見つかりませんでしたので、パフォーマンスアートの形で公衆の注意を集めて、私たち農嫁女に正義を取り戻したいと思ったのです」と語りました(59)

このパフォーマンスアートは、その「先輩」であるジェンダー平等活動グループが深くかかわっており、事前に方法などを教えてあげたようです。同グループの専従である鄭楚然さんの活動記録には、12月10日に「農嫁女研修課程などの仕事」、11日に「農嫁女研修」、12日に「農嫁女パフォーマンスアート」、14日に「農嫁女プレスリリースを外国メディアに出す」、15日に「農嫁女報告」とあります(60)

その成果として、ニューヨーク・タイムスが今回の活動を報じました(61)

一昨日の女声網のウェブサイトに、このときのパフォーマンスアートにも参加した農嫁女の何竹青さんの話が掲載されていましたので、以下、その概要をご紹介します。

浙江省義烏市城西街道塘下鄭村の村民の何竹青さんは出嫁女だ。2010年8月、同村が村規民約で出嫁女には宅地を分配しないと決めた。何さんは父親から遺産として1部屋(46㎡)を相続していたので、何さんがそのことを根拠にして鎮政府の役人に土地を要求すると、役人は「法律によって、家に息子がいたら、娘には相続権がないと決まっている」と言った。しかし、何さんがインターネットで情報を集めたり他の人と交流したりしたすると、村民規約の規定の不公平さは「性差別」と言うのだということや役人の言ったことはウソだということがわかった。

何さんは何回か申し立てをしたが、ダメだった。そのとき、何さんは今後は自分の権利のために闘う生活をしようと決めた。何さんは、党員である夫に累を及ぼさないために、2011年6月、夫とは離婚した。

離婚後、何さんは毎朝6時に起き、インターネットで、書き込みをしたり、法律や裁判例の情報を集めたりしている。何さんは、友だちをつうじて農嫁女の権利擁護ためのQQ群にたくさん入り、王秀英さんとも知り合った。

何さんが初めて北京に陳情に行ったのも、インターネットがきっかけだ。2012年6月、QQ群で何人もの農嫁女が北京に陳情に行った経験を語っているのを読んで、何さんも仲間と一緒に北京に行った。国家陳情局と全国婦連に陳情に行くと、職員は資料を受け取って、関心を示してくれた。村に帰ったら、村の幹部から通知があり、何さんにも18㎡の宅地を与えられた。しかし、男女平等にはほど遠かったので、何さんは闘いを続けることを決めた。

けれど、2回目と3回目の北京での陳情では、国家陳情局の職員は資料も受け取ってくれなかった。2012年12月の第4回目の陳情では、国家陳情局の幹部に「義烏市はすごくお金を持っている」と言われた。何さんは、この幹部が言ったことは「義烏市は金で中央とつながっているので、訴えても無駄だ」という意味だと考えて、絶望して中南海を徘徊していると、護衛兵に護送車に乗せられ、留置所に入れられて、地元の役人に義烏に連れて帰られた。

何さんは多くの農嫁女と裁判所にも土地権の問題を訴えたが、裁判所は訴えを受理しなかった。

2013年12月、何さんはインターネットで、若い行動派フェミニストの鄭楚然さんと知り合った。鄭さんは、何さんをはじめとした、おおぜいの農嫁女に自分がやったパフォーマンスアートの経験を教えてくれた。農嫁女たちは、そんなやり方に効果があるのか半信半疑だったが、今までの申し立てがみな壁にぶつかっていたので、「どんな方法でも試しにやってみよう」と考え、やることにした。

農嫁女たちは、インターネットで自分たちのパフォーマンスアートを発表したが、国内の主流メディアは報道しなかった。しかし、ニューヨークタイムスの中国語版が「農村女性がパフォーマンスアートで不公平な待遇に抗議した(以农村女性用行为艺术抗议不公平待遇)」というタイトルで彼女たちの行動を報道したので喜んだ。

鄭さんは、農嫁女たちは法律の知識は豊かではないし、闘いの方法はわりあい伝統的なものけれども、いかなる権力的組織の前でも恐れることなく自分の訴えを表明し、非常に行動力があること感銘を受けている。

何さんは、今年は1000人余りの人民代表大会の代表に手紙(メール?)を送って、農嫁女の土地権の問題を訴えた。


おわりに

長々と書いてきましたが、以上をごく簡単にまとめると、以下のようになるでしょうか。
 ・出嫁女たちは、長年にわたって、陳情(とくに集団での陳情)、デモ、裁判などさまざまな形で自らの人権保障のために活動をしてきた。
 ・しかし、行政当局からは無視や弾圧をされ、地域でも孤立したり迫害を受けたりし、裁判所の姿勢も消極的である。しかし、そうした困難な中でも、彼女たちは活動を続けてきた。
 ・彼女たちの激しい運動の前に、まだごく一部の地区だが、行政当局や裁判所も、社会の「安定」を確保するという見地からではあるけれども、出嫁女の権利の保障を始めている。
 ・マスメディアが彼女たちの運動をほとんど取り上げない(とくに弾圧については取り上げない)中、近年では、出嫁女たちは、インターネット上での交流や活動も盛んにおこなっている。もっとも、その中でも、地元のサイトの掲示板での発信は削除されやすいといった困難もある。
 ・都市中心だった若いフェミニストの活動とも最近は結びつきつつあり、彼女たち同様、パフォーマンスアートや全国人民代表大会の代表への働きかけもしている。

こうした彼女たちの運動は、日本でも、中国の女性運動の一つの形として、もっと注目されてもいいように思います。

(1)浅析“农嫁女”问题与维权的对策」临海妇女2009年11月2日。
(2)南宁出嫁女案例十一:上访1890余次的张伟明」博讯新闻网2010年8月27日。
(3)安徽出嫁女王荣华母子土地承包权被剥夺,上访20年难寻公正」维权网2013年3月1日。
(4)李顺成维权32年不“顺”也不“成”」『中国妇女报』2010年9月16日。
(5)久敬荘救済援助センターについては、「久敬庄全面启用,采访地方工作人员:我在“接济站”截访」(博讯新闻网2010年7月16日)、「实拍:久敬庄,关押访民的地方」(博讯新闻网2008年10月10日)参照(両記事とも、建物の写真あり)。久敬荘救済援助センター以前からあった馬家楼救済援助センターについては、「北京に抗議に来る嘆願者達」(海野恵一さんのブログ2013年3月23日)、柴田のりよし「北京南駅-陳情者たちの遠い夜明け-」アジ研ワールド・トレンド2008年11月号(第158号)参照。
(6)安徽宿州五出嫁女为土地承包权赴京上访被拘留」维权网2013年6月28日。
(7)南宁出嫁女案例十三:政府文书剥夺出嫁女权益」博讯新闻网2010年8月30日。
(8)哈尔滨市巨宝村的出嫁女失地多年无人管,到省信访办/任君平」博讯新闻网2010年12月31日、「任君平:哈尔滨婚嫁女上访被关黑监狱」维权网2011年3月20日、「任君平:哈尔滨出嫁女为土地承包权上访被驱赶」维权网2011年4月12日。
(9)河南出嫁女为生存权上访被恐吓」维权网2011年4月16日、「河南访民卜秀焕被关黑监狱」维权网2011年4月22日。
(10)广西南宁三名维权妇女上访被截回」维权网2011年10月21日。
(11)广西刘慧萍被以“煽动颠覆”刑拘」维权网2011年3月22日。
(12)南宁出嫁女案例七:未婚女为享受村民待遇而上访」博讯新闻网2010年8月24日。
(13)阳江村妇受歧视不获征地补偿反遭打伤」Redio Free Asia 2010年11月24日、「访民实录:外嫁女被村官侵地 上访被打致残」Redio Free Asia2010年12月2日。
(14)石家庄农嫁女张梦颖继三中全会割腕后再维权 」权利运动2014年2月11日、「河北石家庄张梦颖等5农嫁女无村民待遇 」六四天网2013年10月24日、香格里拉的大草原的微博《河北上访妈妈被逼走投无路在北京钓鱼台国宾馆自杀》2013年11月14日 22:43、「河北石家庄未处理强占张梦颖口粮田案」六四天网2013年12月27日。
(15)“出嫁女”梁建娇南宁火车站乘车被政法委绑架」博讯新闻网2013年3月14日、「广西访民“两会”被劫 视频显示为政法委所为」维权网2013年3月17日。
(16)广西南宁出嫁女抗议权益被剥夺」博讯新闻网2010年8月14日。
(17)广西南宁出嫁女在市政府请愿」博讯新闻网2010年8月17日。
(18)南宁出嫁女持续到广西政府抗议」博讯新闻网2010年8月18日。
(19)南宁“两会”召开会场外抗议不断」维权网2012年2月17日。
(20)台州外嫁女抗议被剥夺土地补偿款」Redio Free Asia 2010年10月18日。
(21)【访民实录】外嫁女为妇女权益斗争14年」Redio Free Asia2014年2月1日。
(22)21年,出嫁女的土地之争——安徽霍邱县城关镇25户出嫁女土地被“抢”调查(上)」『中国妇女报』2010年11月20日、「“在农村,女人没有土地,就没有话语权”——安徽霍邱县城关镇25户出嫁女土地被“抢”调查(下)」『中国妇女报』2010年11月22日。
(23)武汉“出嫁女”游行护地遭特警镇压」Redio Free Asia2013年12月15日。
(24)张梦颖向北京警方申请全国农嫁女两会示威游行」六四天网2014年2月24日、「石家庄“农嫁女”张梦颖向北京当局申请千人规模游行示威」权利运动2014年2月24日。
(25)浙江立法保护“农嫁女”财产权益」新华网2007年8月31日。
(26)东莞女村民抗议外嫁女分享权益」Redio Free Asia 2007年8月9日。
(27)本文中で紹介した以外にも、「南宁出嫁女案例一:女儿出嫁全家遭殃」博讯新闻网2010年8月17日、「南宁出嫁女案例二:陈西村出嫁女村民待遇被完全剥夺」博讯新闻网2010年8月17日、「广西南宁数万出嫁女权益受侵严重」博讯新闻网2010年8月14日、「南宁出嫁女案例三:生子不能上户口」博讯新闻网2010年8月19日、「南宁出嫁女案例四:户口被恶意农转非」博讯新闻网2010年8月22日、「南宁出嫁女案例五:被剥夺选举权」博讯新闻网2010年8月22日、「南宁出嫁女案例六:南乡村水库移民」博讯新闻网2010年8月23日、「南宁出嫁女案例八:三次遭强拆的陈英娇」博讯新闻网2010年8月24日といった報道があります。南寧で問題が多発し、運動が盛んであるという条件のほかに、ひょっとしたら、このように「博訊新聞網」が集中的に取り上げたことが当局に一定の対応を取らせたという面もあるかのかもしれません。
(28)当好“娘家人” 南宁经开区妥善处理留村“出嫁女”问题」人民网-广西频道2011年12月6日、「南宁经开区解决“出嫁女”多年权益诉求 “出嫁女”自办“村晚”表谢意」『中国妇女报』2011年12月31日。
(29)甄砚在广西调研时强调——切实推动解决“出嫁女”土地权益问题」『中国妇女报』2012年5月23日。
(30)2009年3月に、南海市大瀝鎮政府は、大瀝鎮六聯村第一株式経済合作社の同社の「出嫁女」とその子どもに同合作社のメンバーとしての身分を認めたのですが、同合作社はそれを不服として行政訴訟を起こしました。けれど、南海区人民法院は、同年11月、同合作社の訴えを退けました(「南海“出嫁女”被判获股权」佛山电子台2009年11月9日、「南海首判涉“出嫁女”行政案」『佛山日报』2009年11月10日、「公职律师代理的南海区首批出嫁女案件终审胜诉」南海司法行政2010年2月1日)。
(31)广东佛山六访民因争取外嫁女权益被拘留」维权网2014年1月18日。
(32)“农嫁女”的春天真的来了?」『中国妇女报』2013年7月2日、「27名农嫁女告村委会要求集体经济分配权男女平等」温州网2013年10月14日(来源:温州晚报)。
(33)“出嫁女”土地权益系列报道之一 三年时间 六次诉讼 未有结果 “出嫁女”杨秋娥的艰难维权路」『中国妇女报』2010年11月25日、「杨秋娥案一审胜诉 补发人口安置费3万余元」『中国妇女报』2011年6月28日。
(34)南宁出嫁女案例九:被逼写下不再婚保证」博讯新闻网2010年8月25日。
(35)南宁出嫁女案例十:子女权益被剥夺」博讯新闻网2010年8月27日。
(36)南宁出嫁女案例十二:法院不依法立案」博讯新闻网2010年8月29日
(37)“出嫁女”土地权益系列报道之四 陕西高院“审理农村集体经济组织收益分配纠纷案件纪要”执行五年——出嫁女上访人数下降了」『中国妇女报』2010年12月14日。
(38)南宁出嫁女案例十四:法院判决七年不执行」博讯新闻网2010年8月31日。
(39)安徽出嫁女胜诉,法院以怕村民围攻为由不执行判决」维权网2013年3月15日。
(40)调查称农村女子出嫁土地权益丧失 维权屡受困」2013年12月23日(来源:检察日报)。
(41)法院强制执行,出嫁女终获补偿款 甘肃武威一村民组长因抗拒执法被拘留15天」『中国妇女报』2013年11月5日。
(42)讨要土地补偿款 甘肃天水15位“出嫁女”告赢村委会」2013年8月14日、「甘肃天水15名出嫁女告赢村委会讨回补偿款――“我们不是泼出去的水”」『中国妇女报』2013年10月1日、「天水出嫁女上告娘家村委会打赢官司 拿到11万征地款」中国甘肃网2013年10月16日(来源:兰州晚报)。
(43)农嫁女权益讨论tz的微博2013年2月1日 00:27
(44)农嫁女权益讨论tz的微博2013年1月31 日23:32
(45)农嫁女网络维权联盟「告全国农嫁女的倡议书」农嫁女权益讨论的博客2013年7月13日。
(46)农嫁女权益讨论tz的微博2013年2月3日 06:16
(47)农嫁女权益讨论tz的微博【视频:男女平等,出嫁女要人权】2013年10月4日 12:18
(48)农嫁女权益讨论tz的微博【视频:洪湖水】2013年11月14日 16:28
新媒体女性的微博【27名农嫁女告村委会 要求集体经济分配权男女平等】2013年10月16日 11:51
(49)『中国婦女報』にも、「河南开展村规民约修订交流培训 12个试点村“晒”2011年推进计划」『中国妇女报』2011年4月25日、「强力推进“以维护妇女权益为重点”的修订工程 村规民约 枣庄变革」『中国妇女报』2013年12月3日、「寻找推动乡村性别平等的突破口——访中央党校妇女研究中心性别平等政策倡导课题组专家」2010年11月21日、「陈至立在黑龙江调研村规民约修订工作时指出:依法修订村规民约 维护妇女合法权益」2012年7月6日といった記事が掲載されています。
(50)@voiceyaya的微博2013年1月14日 19:31
(51)@voiceyaya的微博2013年1月27日 12:20
(52)农嫁女权益讨论tz的微博2013年2月1日 00:27
(53)农嫁女权益讨论tz的微博2013年1月31日 23:27
(54)性别平等网“青年女性社会实践”广州冬令营招募」社会性别与发展在中国2013年1月31日。
(55)农嫁女权益讨论tz的微博2013年3月7日 12:41
(56)巫嘙--M的微博 2013年2月27日 15:55
(57)农嫁女省政府前“叠罗汉”玩行为艺术,要求村规民约遵守“男女平等”基本国策」社会性别和发展在中国2013年12月12日(来源:邮件)。
(58)浙江“农嫁女”省政府们前“叠罗汉”,争取女权平等」博讯新闻网2013年12月16日。
(59)(57)に同じ。
(60)郑大兔「工作纪录催交」工作组内部邮件组2013年12月16日。
(61)DIDI KIRSTEN TATLOW “Rural Women Stage Innovative Protest for Equality” The New York TimesDecember 17, 2013
(62)用维权自我赋权:农嫁女何竹青在行动中蜕变」女声网2014年3月6日。何さんは村の中には共に行動してくれる仲間はいないそうですが、義烏市内の農嫁女130人から署名を集めています。何さんの訴えと署名簿が「権利運動」のウェブサイトに掲載されています(「浙江义乌农嫁女维权代表何竹青:土政策岂能侵害妇女生存权益【视频】」权利运动2013年10月6日)。

中国の農村女性の自殺率が低下? その原因は?

 9月10日は世界自殺予防デーでしたが、中国でも、その前後に自殺率――とくに農村の女性の自殺率が話題になりました(1)

 中国の自殺については、従来、以下のような特徴が指摘されてきました。
 1.中国では農村の自殺率が都市の3倍ある。
 2.ほとんどの国では男性の自殺率の方が女性の自殺率よりも高いのに、中国では女性の自殺率が男性の自殺率より25%程度高い。
 3.とくに農村の若い女性の自殺率は非常に高く、男性より66%高い。

 これは、マイケル・フィリップス(費立鵬)らの研究によるものです。フィリップスらが『ランセット(Lancet)』誌に書いた論文は、ネットでも読むことができます(Michael R Phillips, Xianyun Li, Yanping Zhang“Suicide rates in China, 1995-99”[PDF])。

 ただし、フィリップスらが『ランセット』誌などで使用したデータは、1995―1999年のものであり、その後何人かの研究者から、中国の自殺率は、農村や農村女性の自殺率も含めて、低下しているという指摘が出ています(2)

 先月、女性メディアウォッチネットワーク(妇女传媒监测网络)のネットマガジン『女声』は、中国の農村女性の自殺率の低下について述べたいくつかの論文を紹介する記事を掲載しました(「农村妇女自杀率是怎样降下来的」『女声』第 97 期[PDF][2011.9.19―9.25])。

 私も『女声』が紹介した論文を読んでみましたので、以下、ご紹介します(大まかな内容の紹介であり、正確な翻訳では全然ありません)。

 まず、2010年、景軍・呉学雅・張傑という3名の学者が、1987年から2009年までの23年間の全国の自殺率のデータをもとにして、「農村女性の移動と中国の自殺率の低下」という論文を発表しました(景军 吴学雅 张杰「农村女性的迁移与中国自杀率的下降[PDF]」『中国農業大学学報(社会科学版)』2010年4期)。

 景軍らは、以下の点を主張しています。

 1.たしかにかつては世界的に見ても中国の自殺率は高かったが、ここ20年余りは低下しており、現在、中国の自殺率は、世界の平均よりずっと低い。

 WHOによると、2005年に世界で自殺率(人口10万人当たりの自殺者数)が高いのは、順に、リトアニア(38.6)、白ロシア(35.1)、ロシア(30.1)、スロベニア(26.3)、ハンガリー(26.0)、カザフスタン(25.9)、ラトビア(24.5)、日本(23.7)、ガイアナ(22.9)、ウクライナ(22.6)である(3)。2005年の中国の自殺率は12であり、2009年には7.17にまで低下している。中国の自殺率が低下したのは、農村の自殺率と女性の自殺率が低下したからである。

 2.農村の自殺率は、たしかにかつては都市よりもはるかに高かったが、近年、その差が縮まった(→グラフ1)。

グラフ1(景軍らの論文のグラフを日本語に訳しました)
グラフ1

 3.農村女性の自殺率は、たしかに1987―1997年には男性より明らかに高かった。しかし、その後低下し、2006―2009年には、むしろ男性よりやや低くなっている(→グラフ2 ■や◆で結ばれている線が、論文のグラフに描かれている線です)。

グラフ2
グラフ2

 (ただし、私[遠山]は、このグラフ2の2000年以前の箇所には疑問を持ちました。まず、1987年~1990年代初頭の農村女性の自殺率のカーブは、本文で記述されている数値やグラフ1とずれています。本文では、農村女性の自殺率は、1987年が32.3、1988年が30.3、1989年が31.5、1990年が31.37とあり、グラフと10程度異なります。また、グラフ1では、1990年までは農村の自殺率は27~28ですが、グラフ2では農村の男女の自殺率の平均は、17~18程度でしかなく、やはり10程度異なります。本文の数字やグラフ1のほうが正しいとすれば、1987年~1990年については、農村の男女の自殺カーブはずっと上に描かなければなりません(薄い折れ線で私なりに修正を試みました)。また、1991~2000年に関しては公共衛生科学データセンターの数値(中国农村人群自杀变化趋势 1990-2000)を使ったと記されているのですが、この箇所も、公共衛生科学データセンターの数値より論文のグラフのほうが、女性で5程度、男性で2.5程度低くなっており、やはりグラフの作成に何か誤りがあるように見えます(4)。)

 なお、ここでは紹介しきれませんが、中国では自殺に関するデータがじゅうぶん整備されていないので、景軍らは、データの出所について詳しい議論をしています。景軍らは、自殺統計には誤報や漏れ(家族が自殺が死因であることを認めたがらないなど)があることを認めつつも、王黎君らの研究(王黎君,费立鹏,黄正京など「中国人群自杀死亡报告准确性评估[PDF]」『中華流行病学雑誌』24巻1O期[2003年10月])に依拠して、漏れは9%程度であろうと言い、「たとえ10%の漏れを全部毎年のデータに参入したとしても、中国の自殺率が過去23年間に全体として下降しているという趨勢には変わりがない」と述べています。

 景軍らは、中国の農村の女性が減ったのは、彼女たちが都市に行って働くようになったために、以下のような変化が起きたことが原因ではないかと考えています。
 1.自らの独立した収入を得るようになったために、以前の従属的な地位を変えることができた。
 2.都市に行ったために、以前の人間関係の中での衝突(たとえば、嫁と姑との衝突)から離れることができた。
 3.都市では、現在の中国の農村における自殺の主要な手段の一つである農薬が手に入りにくい。

 農村の家庭紛争と自殺との関連については、従来の研究によって明らかになっており、上の1~3の解釈は、たとえば以下のような研究成果から啓発されたものだということです。
 ・呉飛:家庭紛争は、一般の農民から見た「公正」の問題にかかわっている(『浮生取義―対華北某県自殺現象的文化解読』中国人民大学出版社 2009年[ネット書店「書虫」データベースの中のこの本のデータ]など)。
 ・孔媛媛:農村の男性の自殺者は精神的疾病の問題を抱えており、かつ光棍(独身男性)として軽蔑されており、絶望と挫折感が自殺の原因である。それに対して、女性の自殺者は既婚者が多く、精神病の者は比較的少なく、家庭紛争が原因であることが男性よりはるかに多い(「农村青年自杀死亡行为特征和危险因素的性别比较研究」山東大学の修士論文)。

 景軍らは、たしかに都市に出た女性も、都市の人や雇い主との関係では従属的地位に置かれているけれども、都市では、他の仕事を探したり、他の場所に行ったり、行政機関やメディアや法律に訴えたりする手段もあることや、多くの女性は、都市での困難はよりよい生活を追求するための代償だと信じていると述べています。

 ただし、景軍らも、「わが国の農村の自殺問題を討論するときには、この問題[=農村女性の自殺問題]の重大さは続いていることは認めなければならない」と述べています。なぜなら、「WHOのデータは、全世界の男性の自殺率は1950~2000年の間ずっと女性の自殺率より3~4倍高いことを示している」のに、中国の農村では、女性の自殺率は男性の自殺率よりも「やや少ない」だけだからです(『女声』誌は、この点を強調しています)。

 また、つい先日、鐘琴と桂華という学者が「農民の自殺の波の発生メカニズム――鄂東南の3村の農民の自殺問題の調査(1970―2009)」 (钟琴 桂华「农民自杀潮的发生机制———对鄂东南三村农民自杀问题的调查(1970-2009)」)(『戦略与管理』2011年第7・8期合併号)という論文を発表しました。

 この論文は、華中科技大学の中国農村治理研究センターが、2009年に、湖北省の鄂東南地区の3つの村(豊村、茶村、桃村。人口は合計6740人)でおこなった、1970年代から2009年までの自殺についての調査をもとにしています。

 この3つの村は、大多数が「湾」という姓で、父系の「宗族」が力を持っている伝統的な村だそうです。

 3つの村では、1970年代の自殺率は、3で低いのですが、1980年代は52、1990年代は80と非常に高くなります。しかし、2000年以降は15で、低下しています。

 自殺率の男女差は、1970年代や2000年以降は差がありませんが、1980年代は、女性は85で、男性の4.7倍、1990年代は、女性は115で、男性の2.6倍の率で自殺していました。

 3つの村には自殺率の統計はなく、自殺に関する上記の数値は村民の記憶によるものなので、実際の自殺率はもっと高かった可能性があるとのことです。村の農民に自殺のことを尋ねると、農民は、「以前は多かったが、現在は少なくなった」と答え、「以前とは具体的にはいつのことか?」と尋ねると、彼らはだいたい「分田到戸(1980年頃に土地を各戸に分けたこと)以後の10年余りのことだ」と答えたということです。

 自殺は、その80%以上が、家族の矛盾によって触発されたものでした。未婚の青年(18-54歳)女性は、主に父母との矛盾が原因でした(子どもの恋愛や結婚に対する父母の干渉など)。既婚の青年女性の場合は、6割が夫婦の矛盾、3割が姑(舅)との矛盾が原因でした。既婚の青年男性の場合は、7割が夫婦の矛盾が原因で、近隣との矛盾も一定の比率を占めていました。過半数の老年(55歳以上)の自殺は、世代間の衝突が原因でした。

 鐘琴と桂華は、農民の自殺の波の発生メカニズムを、以下のように捉えています。

1.未婚青年女性の自殺

 9件あった未婚の青年の女性の自殺は、1件が1970年代に発生したのを除いて、他の8件は1980年代と1990年代に発生しており、2000年以後は1件もない。

 子どもの恋愛や結婚に対する父母の干渉によるものが4件であり、そのうち2件は、女児が「同姓不婚」のタブーを犯したためのものだった。国家は「婚姻の自由」を言ったが、1980年代と1990年代の未婚者の父母は建国前後に生まれていて、伝統的な婚姻観念と家庭倫理制度の影響を受けており、依然として「結婚は父母が決める」という態度だった。

 1990年前後には、就職試験をめぐる父母との衝突で自殺した例も3件あるが、これは、当時の国家が就職試験を通じて農業戸籍を非農業戸籍に転換させた政策と関係がある。

 1980年代~1990年代の若い女性は、自由平等思想と男女平等の観念の影響を受けて、父権に反抗したが、伝統的宗族型の村落では、それは失敗し、自殺をした。

2.既婚の青年女性の自殺

 1)嫁と姑との関係によるもの

 嫁と姑との関係は、1980年代初めまでは、姑が主導する、相対的にバランスのとれた状態だった。嫁と姑は生産隊で共に労働点数を稼いだが、分家をしない限り、労働点数は舅の名義で記されており、嫁は舅・姑に経済的に依存していた。嫁と姑の間には、家事の分担や農業生産の分業の上で矛盾があり、衝突も起きたが、全体的には姑の立場が強く、嫁が我慢することによってバランスがとれていた。そのため、嫁と姑との衝突が自殺に結びつくことは少なく、1970年代には既婚女性の自殺は1件もなかった。当時から長い時間が経っているので、村民の追憶には漏れがある可能性もあるが、インタビューでも、村民は「あの時代は自殺がきわめて少なかった」と言っていた。

 1980年代から2000年は、嫁と姑との関係に激烈な変化が起き、姑が主導していたバランスが打ち破られた。父と子の分家が大量におこなわれて、女性の地位も向上したので、嫁は我慢しなくなり(1980~1990年代に嫁になった人は「女は天の半分を支える」といった言葉の中で成長してきた)、嫁と姑・舅との関係が非常に緊張し、衝突が増大した。こうした衝突のため、嫁の自殺が増加しただけでなく、姑の自殺も増加した。そのころ姑になった人は、若くても1940年代生まれであり、伝統的な倫理観念の影響が大きいのに対し、その息子や嫁は、姑の期待するようには言うことを聞かず、姑は憤激した。

 2000年以降は、嫁と姑とが仲良く暮らすことを基盤にした新しいバランスが生まれた。その原因は、1.姑の大多数も建国後に生まれ、伝統思想の影響が小さくなった。2.多くの嫁がよそに出稼ぎに行ったため、一緒に生活する時間が短くなり、摩擦が生まれる機会が減少した。3.計画生育政策のために男女比がアンバランスになり、嫁を娶るのが難しくなって、嫁が大切にされるようになった、ということである。2000年以後は、嫁と姑との矛盾による嫁の自殺は1件も起きていない。

 2)妻と夫の関係によるもの

 1980年代初めまでは、1.夫婦関係は、家族関係全体の中では世代間関係に従属しており、父子が主軸であることが家族構造全体の特徴だった。2.夫婦関係においては、妻は夫に従属していた。国家は女性解放を宣伝していたが、当地の宗族型の村落では、夫権が一貫して主導的地位を占めており、女性の自我意識と主体意識はまだはっきりしていなかった。3.生産隊を基礎にし、生産大隊を単位とした紛争調停メカニズムが存在しており、それが弱い立場にいた女性の利益を保証していた。

 1980年代初めから1990年代末は、1. 父子の分家が大量におこなわれて、夫婦関係が世代間関係から次第に独立し、家族構造は夫婦が主軸になった。2.女性の地位が上昇した。分家後の若い人の小家庭では、妻が家庭の利益に敏感で、小家庭の経営を夫より重視した。そのため、夫を家族と村の公領域から小家庭の私領域に取り戻そうとした。この過程は、女性の地位の向上に随伴していた。
 この時期、夫婦の矛盾による大量の女性の自殺が起きた。この時期の夫婦の矛盾による女性の自殺は28件あるが、夫の婚外の恋愛によるものが5件、夫のばくちや怠惰によるものが18件、夫の病気や家庭生活の困難などによるものが5件である。
 この時期、女性は小家庭内部で発言権と重大事項の決定権を勝ち取ろうとしたが、夫は男性主導の意識のままだったので、少なくない妻が夫と権力の争奪戦をしたが、この時期はまだ女性は弱者だったので、権力の争奪は失敗しやすかった。けれど、夫と離婚することは難しかった。当時はまだ離婚は恥ずかしいことだと思われていたし、離婚後の土地や住宅の確保もできなかったし、再婚も難しかった。

 2000年以降は、家族構造においては夫婦が主軸になり、夫婦関係においては夫婦が同権になった。「大きなことは夫が決め、小さなことは妻が決める」というものではあったけれども、女性は家族の中で発言権と決定権を獲得した。2000年以後は、当地では夫が妻を殴るという現象はほとんど起きていない。
 こうした新しい家族関係が生まれたのには3つの原因があった。1.この時期の婚姻は自由恋愛の基礎の上に成立したため、夫婦関係が親密になった。2.若い夫婦の教育水準が向上して、夫婦が互いに相手を尊重し、コミュニケーションによって矛盾を解決するようになった。3.男子選好の出産観により性別の比率のバランスが崩れ、婚姻市場で女性が有利になって、結婚後の地位も上昇した。2000年以後は、夫婦の矛盾による女性の自殺は2件しか起きていない。

3.男性の自殺

 101件の自殺のうち、男性の自殺は27件であった。1件は精神病によるものだったほかは、青年の男性の自殺が14件、老年の男性の自殺が12件であった。未婚の青年の男性の自殺は1件だけだった。

 男性の自殺も家庭の紛争が主な原因だが、男性の自殺率が女性の自殺率より低いのは、家庭紛争が両者に与える影響の相違を示している。

 12件の既婚の青年男性の自殺は、そのうち8件は夫婦の矛盾が原因で、2件は世代間の矛盾が原因で、2件は「階級闘争」の中での処分が原因だった。この12名の自殺した男性は、村の中の弱者グループと見なすことができる。そのうち5名は正常な農業生産能力がなかった。家庭生活が貧困で、妻はそのためいつも夫と口論したが、夫はどうすることもできなかった。こうした状況の下では、妻が優位になる。伝統的な観念では、夫は家の大黒柱であり、家族を養う責任があった。夫にそうした責任を果たす能力がないと、妻は夫に不平を抱き、夫は、妻と家族に対して恥じ入り、家族の面倒をみる能力がないことに強い挫折感が生まれる。このとき、男性は自らの兄弟に助けを求めようとするが、父子や兄弟で分家すること普通になっており、兄弟を援助することは義務でなくなっていたので、兄弟からも援助を得られないと、さらに無力感と絶望を味わう。それらの重圧に耐えられない男性が自殺の道を歩むのも当然である。

 家族の中で力のない男性は、村の中でも頭が上がらず、体面と尊厳を保つのは難しい。2件の独身男性の自殺も、弱者の絶望だと考えられる。代々血統を継ぐことは、当地の宗族的な村落では男子の安心立命(身を落ち着かせ、天からの与えられた本性を全うすること)の基盤になるのであり、そうしてこそ初めて村の中で社会的価値を獲得できる。独身男性は家族の中で愛情と力を得られないだけでなく、村の中でも軽蔑される。

4.老人の自殺

 もし上述の既婚の青年男性の自殺と独身男性の自殺が弱者の自分に対する絶望だとみなすことができるとすれば、大部分の老人男性の自殺は、息子や息子の嫁に対する憤怒によるものである。

 女性の地位が向上し、家族構造が父子を軸にするものから夫婦を軸にするものに変わると、家族の中での老人の地位は低下した。土地を各戸に分ける「分田到戸」は、集団的な養老を家庭養老に変え、老人は子どもと嫁に養われることになった。建国前は、村の中では、宗族の家の暴力の基礎の上の規範と制度が老人の権威と地位を保証していた。建国後は国家権力が農村に侵入し、生産隊長と生産大隊の幹部が家族内の紛争を調停し、老人を養わないことは政治的な誤りだとされた。

 「分田到戸」以後は、国家権力が次第に農村から退出し、老人の地位を保証していたメカニズムは瓦解した。そのため、老人が病気になるか、労働能力を喪失した後に、息子と息子の嫁の養育や世話を受けられず、村の内部からも救助を得られないと、絶望によって自殺することもある。この時期の老年の男性は、家族の中での地位は比較的高いので、期待がかなえられないと、憤激の気持ちが起きやすいため、これらの老年の男性の自殺は強者の憤激と見なすことができる。

 『女声』誌は、フェミニズム誌らしく、鐘琴と桂華の研究について、「この文章から見ると、農村の家父長制の淪落が、自殺の波の退潮と女性の自殺数の減少の最もカギになる要素である」とまとめています。

 桂華は賈潔という女性とともに、上の3村のうちの1村の女性の自殺について特に考察した、「家庭矛盾中的妇女自杀——基于大冶市X村的调查」(『婦女研究論叢』2010年5期)という論文も執筆しています。

 景軍・呉学雅・張傑によるマクロデータの研究も、鐘琴と桂華による卾東南の3村についての研究も、歴史的変化を扱っていることが特徴です。景軍らの研究は、全国的なデータをまとめた意義があり、鐘琴と桂華の研究は、特定の村における個々の自殺の事例の分析として貴重だと思います。いずれの研究も、1980年代~1990年代は、農村の自殺率、とくに女性の自殺率が非常に高かったが、2000年以降は、それらが減少したことを示しています。自殺率のデータの処理や国際比較に関する議論は複雑で、私はフォローできていませんが、両者の研究から見るかぎり、自殺率は減少傾向にあるように見えます。

 もちろん同じ中国の農村でも、地域差は非常に大きいようです。鐘琴と桂華が調査した卾東南地区の3つの村では、1980年代と1990年代の女性の自殺率は、それぞれ「85」と「115」という、当時の農村女性の自殺率の平均よりはるかに高い数字を記録しています。また、鐘琴と桂華によると、同じ湖北省でも、京山地区は、卾東南地区よりここ20年間、老人の自殺率が高く、また、卾東南地区と異なり、2000年以後も増加しているといいます。また、都市でも、2009年、青島市では自殺率が前年より上昇し、女性では自殺が死亡原因のトップで、その理由として15~35歳の女性のうつ病が男性の2倍であることや、その背景には生活と仕事の圧力が大きいことなども報じられており、状況は複雑のようです(5)

 鐘琴と桂華の研究は、男性の自殺についても、ジェンダーの観点から解明している点も興味深く思います。

 しかし、景軍らの研究も、鐘琴と桂華の研究も、2000年以後に農村女性の自殺が減少した原因に関しては、事態が好転したことを一般的・抽象的に述べている感が強く、それを実証する資料やデータが十分示されていない感が強いです。

 そもそも双方の研究では、農村女性の自殺の減少の原因の捉え方がかなり異なっています(景軍らは女性の都市への移動が原因であると考え、鐘琴と桂華は農村内部の家族関係の変化が原因であると考えている。もちろんこの両者は相反するものではないですが……)。

 景軍らの研究について言えば、農村の女性が都市に移動したことによる家族関係の変化をもっと具体的に研究する(または、そうした研究を参照する)べきではないでしょうか。また、夫が都会に出たために農村に取り残された「留守女性」のような、新たな困難を抱え込んだ女性たちもいるわけですが、そうした困難は、自殺には結びつかない質のものなのでしょうか?

 鐘琴と桂華の研究について言えば、たしかに女性が目覚めて反抗した末に、挫折することが自殺に結びつくという現象は、1950年代初めの婚姻法貫徹運動の際にも見られたことで、一般的にはありうることでしょう。しかし、具体的に1980年代以降の村における家族関係については、鐘琴と桂華は、たしかにさまざまな自殺の具体的事例を挙げてはいるのですが、その歴史的変化については一般的な説明をするだけで、それを実証する資料を十分には提示していないように思えました。「2000年以後は、当地では夫が妻を殴るという現象はほとんど起きていない」という記述は、何らかの調査・聞き取りにもとづいているとは思うのですが、調査不足の可能性もあると思います。暴力がなくなってはいないまでも、妻を自殺に追い込むほどのひどい暴力は減少したということかもしれませんが……。

 いずれにせよ、中国科学所長の王極盛が「自殺統計は現在信頼できる公式データがない」と言っているように(6)、データ自体の整備を含めて、まだまだ未解明な点が多いと思います。

(1)我国自杀率数据存争议 农村女性系自杀高发人群」新浪網(来源:法治週末)2011年9月21日など。また、9月27日にイギリスのサイト「ユーラシアレビュー」が中国の自殺事情について論じた記事は、中国でも翻訳され、日本にも紹介されました(「外媒:中国农村女性自杀率不断升高」『環球時報』2011年9月30日、「世界の現状と正反対、中国農村女性の自殺率が高い理由―英メディア」レコードチャイナ2011年10月4日。ただし、ユーラシアレビューの記事中に、中国疾病予防制御センター(中国疾病预防控制中心)が今年9月9日に「中国では毎年30万人が自殺し、そのうち75%が農村で発生し、女性の自殺が男性より25%多い」と発表したとありますが、少なくとも同センターのサイトには、今年、そのような発表は掲載されていません。センターが過去に発表したデータを記事に引用したのではないでしょうか?
(2)何兆雄「中国自杀率高不高?———我说不高!」『学術論壇』2008年2期など。
(3)Wikipediaにまとめられている最新の「国の自殺率順リスト」では、リトアニア(31.5)、韓国(31.0)、カザフスタン(26.9)、ベラルーシ(25.3)、日本(24.9)、ロシア(23.5)、ガイアナ(22.9)、ウクライナ(22.6)、スリランカ(21.6)、ハンガリー(21.5)の順となっています。Wikipediaでは、中国は1999年の数値がとられており(13.9)、27位となっています。もちろんこうした順位は固定的なものではなく、変動しています(主要国の自殺率長期推移[1901~])。
(4)なお、1987―1989年と1991―2000年と2002―2009年ではデータの出所が異なる点も若干気になります。1987―1989年については、WHOの統計によっていますが、もとのデータは衛生部門の統計に依拠しているといい(そのデータの収集手段とサンプルの量は不明)、1991―2000年は公共衛生科学テータセンターの数値で、2002―2009年は『中国衛生統計年鑑』から計算した、ということです。出所の違いが数値に影響している可能性もあります。もっとも、グラフを見るかぎり、大きな断絶はないので、過剰に気にすることはないかもしれませんが……。
(5)女性伤害死亡自杀排第一 2009年青岛668人自杀」半岛网-城市信报2011年10月10日。
(6)我国自杀率数据存争议 农村女性系自杀高发人群」新浪網(来源:法治週末)2011年9月21日。

『中国流動女性土地権益状況調査』刊行

 今回の大震災により被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 私は、被災された方々への義援金として募金させいただいたのはもちろんですが、その他、原発関係の署名のほか、RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク)の緊急アピール「災害時性暴力被害への対策を求めます」にも賛同させていただきました。中国でも2008年5月の四川大地震(汶川地震)の後、同年6月には「24の民間団体が共同で被災地の女性の権利を訴える建議を発表」(本ブログの記事)していますし、ジェンダーの視点は大事だと思います。非常時には、弱い立場の人々にしわ寄せがいきやすにもかかわらず、そうした人々の訴えは無視されがちだと思うからです。

 さて、話は変わりますが、昨年12月、呉治平主編『中国流動女性土地権益状況調査(中国流动妇女土地权益状况调查)』(社会科学文献出版社 2010年)(ネット書店「書虫」のデータべースの中のこの本のデータ)が出版されました。この本は、簡単に言うと、中国の農村から都市に出てきて仕事をしている「流動女性」が農村で所有している土地の権益がどうなっているかを調査した報告です。

 中国では、農村から都市に出稼ぎに行った労働者が、都市において、さまざまな面で差別されていることはよく知られています。とりわけ女性は困難な状況に置かれているわけですが、農村でも、女性は、土地の権利が男性に比べて保障されていません。その中でも、都市に行った女性の土地の権利は、とりわけ侵害されやすい。このように、農村から都市に移住した「流動女性」は何重にも困難な状況にあります。

 本書の第1章「研究の紹介」では、従来、流動女性の問題は、農村女性や流動人口の問題の一部として触れられることはあっても、それを単独で扱った研究は少なかっこと、まして流動女性の土地権益を専門に扱った研究はほとんどなかったことが指摘されています。

 そのため、NGOである北京農家女文化発展センター(北京农家女文化发展中心)は、2009年、北京市の流動女性を対象にして、アンケートとインタビューによる調査をおこないました。本書には、専門家グループのメンバーとして、葉敬忠、劉伯紅、劉篠紅、李昌平、張虹、金文成、郭建梅、謝麗華の各氏が参与しています。

 第2章「主題報告」が調査結果を概括的に述べていますので、以下、その内容を、大づかみにご紹介します(正確な要約ではありません。とくに法律や経済の専門用語については、不正確な箇所もあると思います)。

一 流動女性の基本的情況と主要な特徴

 今回の調査した千名あまりの女性は、全国の30の省から来ていたが、そのうちでは河北・河南・山東・甘粛の出身の人々が比較的多く、農業戸籍の人が95.9%だった。

 大多数の流動女性は、原籍地では農業を営んでいたが、現在は、商業・小売・サービス業に従事していたり、家事労働者や介護労働者であったり、ホテル・観光・娯楽施設のサービス員である人が多かった。

1.流動女性の年齢構造……今回の被調査者は、20~49歳の人が多く、平均年齢は32.6歳だった。

2.流動女性の学歴……初級中学(日本で言う中学)卒が最も多く、47.9%であり、小学卒が19.2%、高級中学(日本で言う高校)卒が16.1%だった。

3.流動女性の婚姻情況……未婚が24.3%、初婚が71.7%だった。

 上の1~3の状況は、関係部門が発表している北京の流動人口の状況の統計と基本的に合致しており、このサンプルは、流動女性全体を比較的よく代表していると言える。

4.流動女性が都市に出てくる以前の職業……もっぱら農業:45.0%、通学:31.5%。35歳以下の人は、通学していた人が多い。

5.流動女性が都市に出て来た主な動機……「土地から得られる収入より、出稼ぎの収入のほうが高い」49.2%、「都市では創業しやすく、チャンスが多い」17.2%、「見聞を広め、技術を学ぶ」11.5%。

二 流動女性の土地権益の現状

1.流動女性の土地権益の全体的状況は憂うべきもの

〇農村には土地を持っていない…流動女性全体の18.8%
 その理由:
 ・結婚したときに土地を失った…49.6%
 ・婚姻関係の変化(離婚など)によって土地を失った…31.8%
 ・土地が徴用された9.1%
 ・他人に暴力で占拠された…3.0%
 →主な理由は、婚姻変動である。

▽未婚の流動女性
 村に土地を持っている…67.3%、持っていない…20.0%、わからない…12.7%
 「土地を持っている」人のうち――
 ・父親の名義[名下]…73.1%
 ・本人の名義…15.4%
 ・母親の名義…6.9%

 宅地に関しても同様で、44.8%の未婚の流動女性が原籍地に宅地を持っているが、父親の名義が80.8%。

▽既婚の流動女性
 婚家の村に土地を持っている…51.2%、持っていない…43.1%、わからない…5.7%
 「土地を持っている」人のうち――
 ・配偶者の名義…43.4%
 ・本人の名義…36.3%

 宅地に関しても、65.8%の女性が婚家に宅地を持っているが、54.8%が配偶者の名義。

2.流動女性のうちの「まだ嫁いでいない女性」の土地権益の問題

 農村の土地分配のポイントは、家が単位であり、戸主はみな男性であることである。大部分の未婚女性は、名義上は土地を持っているけれど、実質上、その土地使用の権限は空洞化している。たとえば、浙江一帯で盛んに行われている「測婚測嫁」という慣習では、若い娘が結婚年齢に近づくと、たとえ結婚していなくても、遅かれ早かれ結婚して村を出て行くと考えて、実家に持っている土地を回収するか、土地を調整するときに土地を与えないか、少ししか与えない。また、青海省湟中県M村では、土地を調整するたびに、満18歳になった女子の土地はみな回収する。さらに、重慶大足県B村二社では、このような村規さえ実施されている:出稼ぎに行っている未婚の女性が土地の譲渡補償金を得ようとすれば、まず病院に行って「貞潔鑑定」を受け、処女でなければ土地を分配しない(1)。これらの規定は、女性が遅く結婚する権利や結婚しない権利を完全に剥奪している。

3.流動女性のうちの「嫁に行った女性」の土地権益の問題

 「嫁に行った女性」が結婚のために土地を失うという現象は比較的重大である。既婚の流動女性が土地を失うのは、嫁に行く/入るの2つの段階にあらわれる。

 (1)流動女性が嫁に行った後、実家の自分の土地は? 
 ・すぐに集団が回収する、または土地を調整するときに集団が回収する…49.6%
 ・親族に譲渡する…23.5%
 ・本人の所有のまま…20.2%
 しかし、たとえ実家が彼女の土地を持っていたり、親族に譲渡したりしていても、本人が収益権を持っているわけではない。

 (2)婚家に入った後は?
 ・婚家の村で土地を持っている…51.2%
 ・土地を持っていない…43.1%(そのうち、実家にも土地を持っていない…26.4%)

既婚の流動女性全体の13.1%は、実家にも婚家にも土地を持っていない。

4.流動女性のうちの「都市に嫁いだ女性」の土地権益の問題

 「都市に嫁いだ女性」、すなわち非農業戸籍の男性に嫁いだ農村戸籍の女性が土地の権益を侵害されることも、比較的普遍的である。

 私たちの調査では――
 ・35%前後の村は、非農業戸籍に嫁いだ女性に請負田を与えていない。
 ・46%の村は、彼女たちに宅地を与えていない。
 ・38.5%の村は、土地の株主配当の面で、非農業戸籍に嫁いだ女性に村民としての待遇を与えていない。
 ・35.4%の村は、土地徴用補償費の面で、非農業戸籍に嫁いだ女性に村民としての待遇を与えていない。

 また、よその農村から都市に出稼ぎに来ている相手と結婚した場合も、村民としての待遇は与えられていない。

5.流動女性のうちの、娘2人の家と娘が多い家の土地権益の問題

 農村では、男が娶り女が嫁ぐ「夫方居住」の婚姻モデルが主なので、娘2人の家と娘が多い家は、男が女の家に行って結婚することによって、土地を失う現象がしばしば発生している。中国の農村では、娘2人の家と娘が多い家は、婿を取るしかないという習俗ないし隠れたルールがある。

 私たちの調査対象者の村では――
 ・娘の婿には、一律に土地を分配しない…15.1%
 ・分配する…15.6%
 ・土地の調整の際、村に土地があれば分配する…32.3%

6.流動女性のうちの、離婚した女性と配偶者を失った女性の土地権益の問題

 今回の調査では、離婚女性の事例は27だが、65.0%は、離婚後も実家に戻らず、47.6%は、離婚後は実家でも婚家でもない土地に住んでいる。しかし、10.0%の離婚女性しか元夫の村で土地を持ち続けられず、実家の村であらためて土地を分配されたのも、20.0%である。
 ↓
 実家の村にも、婚家の村にも土地や住まいがない離婚女性が大多数で、出稼ぎに行って糊口をしのぐしかない。

7.「城辺村」と「城中村」の女性の土地補償金の分配の問題

 都市化によって、「城辺村(都市のそばの村)」と「城中村(都市の中の村)」の土地の価格が上昇して、女性の土地をめぐる紛争も増大した。

三 流動女性の土地権益が損なわれている原因の分析

1.政策・法律が不完全で、女性の土地権益に対する隠れた侵害に対して保護する力が弱い

 わが国の農村は家を単位にして土地が配分されており、また、戸主の大多数は男性である。このような配分制度自体の中に女性に対する隠れた差別がある。また、「人が増えても土地を増やさない、人が減っても土地を減らさない」という、一見性別には中立的に見える政策も、実質的には流動女性の土地権益に対してマイナスの影響をもたらしている。

2.村規民約における性差別的条項が、女性の土地権益を直接に侵害している。

 現下の農村では、若干の村規民約(村のきまり)がまだ性差別的傾向を持っている。また、村規民約に対する監督にも盲点が存在する。村民自治や村規民約が、流動女性の土地権益を侵害する手段になっていることがあり、とくに村民大会や村民代表大会の決議、村民委員会の決定などの形式で、結婚適齢期を過ぎた女性や嫁に行った女性、都市に嫁いだ女性、離婚した女性の土地権益が公然と侵害されており、村規民約と法律法規が抵触している。

3.「夫に従って住む」という婚姻居住モデルの、女性の土地権益に対する超文化的強制

 現在大多数の農村は、まだ『男尊女卑』の伝統的観念を踏襲しており、嫁に行った娘は撒いた水であり、集団経済組織の収益の分配にはあずかれない。

 流動女性の土地権益の問題は、土地分配の過程においてジェンダー意識が深刻に欠如している現状を集中的に反映しており、彼女たちが土地を失う主な原因は、「性別」によるものである。流動女性と土地との関係は、男権の支配・覇権構造の中に嵌め込まれており、これが彼女たちの土地権益が侵害される深いレベルの根源である。

四 流動女性が土地に執着する度合い

1.土地の重要性についての流動女性の認識……土地は「重要」または「非常に重要」が62.3%

2.土地権益についての流動女性の認知の情況……彼女たちは、国家の土地政策や自分の土地の権益、流出地の農村の公共事務については関心が低く、あまり知らない。

3.故郷の公共事務についての流動女性の関心の程度……低い。

4.故郷の土地の処置についての流動女性の態度……32.8%の女性が土地を回転させることを希望しており、そうすれば、収入を増やせるうえに、後顧の憂いをなくして、安心して仕事ができると考えている。

五、流動女性の土地の回転についての意思と希望

 農村の女性の土地権益を保証するという前提の下で、農村の土地の回転を積極的に推進して、人口の都市化を促進して、彼女たちを真に都市に根付かせることには、わが国の都市と農村の二元的構造を打破するうえで積極的な意義がある。

1.流動女性の現下の家の中の土地の回転の基本的情況

 流動女性のうち、土地の請負以来、回転させた経験のある比率…17.9%
 ―その形式…代わりに耕してもらう:49.7%、賃貸し:28.2%、下請け:9.4%
 ―その収益…貨幣:36.5%、農産物などの現物:20.8%、親族・友人に無償で:39.9%
 ―その回数…1回:93.1%

2.流動女性が家の土地を回転させようと願う理由

 主な理由は、「よそで仕事をする」ため。

3.家庭の土地の回転の決定に対する流動女性の参与度

 54.4%の流動女性が、家庭の土地の回転の決定に参加していない。

4.流動女性の権利保護意識と権利保護の効果

 「土地がない」という問題に対して……ほおっておく:87.3%、村民委員会に調停を請求する:6.7%、政府の主管部門に解決を求める:3.7%、法律援助を求める:1.0%

 さらに注意すべきは、自分の土地権益が侵害されているという事実を意識していないということである。77.3%の未婚女性と85.5%の既婚女性は、自分の村の村規民約や土地分配に性差別はないと考えている。

 また、一定の行動をした人のうち、96.5%は「成果がなかった」。

5.将来の方向についての流動女性の見方

 将来の計画……北京で長く生活して仕事をする:33.4%、北京には留まらない:22.3%、まだその点についての計画はない:44.4%。
 ただし、60.0%の女性が、理想の仕事が見つからなければ、故郷に帰って農業で生活したいと答え、56%の女性が、もし、郷里に帰った人に職業選択や創業の優待政策をするなら、それらの政策を利用することを考えるという。

6.自分の土地問題の解決についての流動女性の希望

 ・女性の戸籍の変化に従って、土地を変えてほしい(女性の戸籍がそこに移ったら、そこが土地を分配してほしい)…30.4%
 ・女性の土地相続権を厳格に保護してほしい…20.9%
 ・土地は変えないでいいけれども、女性が婚姻の変動によって土地を失ったら、一定の保障が得られるようにしてほしい…14.9%
 ・政府が女性の土地の権利を明文で規定して、女性の土地問題を市場の取引を通じて解決してほしい…13.2%
 ・婚姻居住の慣習を変えることによって、女性が土地を失う問題を改善してほしい…6%

 流動女性の土地に対する要求は、農村女性全体の土地に対する要求とは異なっている。
 1.土地に対する依頼性は強くない。また、土地に対する要求は、都市にいる期間や年齢、学歴、都市での収入と関係がある。
 2.流動女性の土地に対する認識は多元化している。都市に嫁いだ女性は完全に都市の人になることを望んでいるが、未婚の女性の土地に対する希望はもっと漠然としている。離婚した女性は農村の土地を所有し続けることを希望しており、住宅に対してもより強いニーズを持っている。
 3.流動女性のうち、若い女性は子どもの教育や子どもの将来に関心を持っており、子どもが学校で勉強することによって、本当に都市の人になることを希望している。しかし、中年の女性は、金を稼いで金を溜め、故郷に帰って農業をして親を養うことに関心を持っている。

六 流動女性の土地権益を保障する対策と提案

1.党と国家の農村の土地制度の長期的安定を堅持・擁護し、農村の土地の市場化改革を一歩一歩推進する

 農村の基本的経営制度を堅持するカギは、農民に十分で、保障のある土地請負経営権を付与して、現行の土地請負関係を安定させ、長く変わらないようにすることである。条件が熟した地方では、沿海の発達した地区の農村改革の経験を参考にして、集団所有の土地を株式所有権化し、いまの家族の人数(嫁に行った女性、離婚した女性、配偶者を失った女性、都市に嫁いだ女性、女婿を含む)に応じて、土地の権益を株式所有権に変えて個人に分配し、株式所有権を一定の範囲内で譲渡・相続することを許可する。土地の株式所有権化改革は、流動女性が婚姻の変動などの原因で本来享有すべき土地権益を喪失することがないように保証する一つの重要な方法である。

2.関係する政策・法律を整備し、制度の面からいっそう流動女性を含む農民の土地権益を規範化する

 ・集団経済組織のメンバーの資格や権益(収益の分配や土地徴用の補償金、不動産の使用権など)について法律で明確に規定する。
 ・土地の権利証書に権利人の姓名を明確に記載することによって、女性の土地請負の資格が空洞化することを避ける。
 ・女性が嫁に行ったときや夫婦が離婚したとき、女性が結婚後も戸籍を移さないときにも、女性の土地の権利が保障されるよう明確に規定する。流動女性も、他の村民と同じように土地の集団的収益を分配される資格を持てるようにする。

3.村規民約の制定と実施をいっそう法律によって規範化し、流動女性の利益の実現と表出のメカニズムを構築するよう努力する

 ・農村の基層建設を主管する各クラスの民政部門が、村民委員会に対して村規民約を定時に検査する工作制度を設けて、違法な村規民約に対して監督と是正をおこなう。
 ・流動女性が村規民約の制定に参与するメカニズムを構築し、村民委員会・村民代表大会が村規民約を制定・改定する際には、少なくとも30%の女性が参加しなければならないと明確に規定する。

4.戸籍制度の改革を一歩一歩推進し、都市と農村との統一的な社会保障と公共サービスのシステムを早急に構築する

 ・できるだけ早く都市と農村で分割されている戸籍制度の制限を打破し、都市戸籍の人口の量と比率を増やす。最終的には戸籍制度の壁をなくして、都市と農村が一体化した発展を実現する。
 ・大部分の流動女性が含まれる非正規就業者をできるだけ早く社会保障システムに組み込み、戸籍制度にもとづく都市と農村の福利待遇の差異を一歩一歩縮小し、基本的公共サービスを均等化する。土地を失った女性に対しては、最低生活保障をし、土地のない離婚女性に対しては、特別な政策的優待をする。流動女性に対して、就業能力を高める研修をする。

5.流動女性の土地権益の保護工作を重視し、流動人口の土地権益に対する行政・司法の救済ルートを広げることに力を入れる

 流動女性の土地権益を侵害する違法行為を行政が厳しく取り締まる。同時に、行政や法律の救済のルートを広げる。たとえば、「農村土地請負経営仲裁法」を厳格に執行して、紛争の調停・仲裁システムを構築する。流動女性の土地権益の侵害事件について、裁判所は、いかなる理由があっても受理を拒絶してはならない。県クラス以上の市・区に女性法律援助サービスセンターを設置する。流動女性の権益を保護する民間組織を育成する。

6.土地権益の男女平等を実現し、ジェンダー主流化を積極的に推進するプロセスを加速する。

 政府は、ジェンダーの視点を政策の制定と実施の過程に組み入れて、男女の両性が平等に社会経済の発展に参与し、改革発展の成果を共に享受できるようにする。「広東南海モデル」は、女性の土地権益を保護する政府の主体的役割を十分に発揮した模範例である。南海区は、「南海区農村出嫁女およびその子ども問題解決事務局」を設立し、村規民約と集団経済組織の規約の中の「出嫁女(嫁に行った女性)」を差別する条項をチェックして是正するとともに、農村集団経済組織のメンバーの資格に合致した「出嫁女」とその子どもに対して、「同籍・同権・同齢・同株・同利」の原則で株式所有権を案配した。「南海モデル」の主な経験は、行政の導きと関与を主とし、司法的強制を補助としたものであり、政府がジェンダー主流化を推進し女性の土地権益を保護する重要な役割を体現している。

7.古い風俗習慣を改めて、文明的な新しい気風を築く活動を都市と農村で深く広範に展開する

 流動女性の土地請負経営権を保障するためには、土地制度に手をつけるだけでは、完全には問題を解決することはできない。中国の農村社会における「男権」中心の文化的伝統を改造してはじめて、この問題を根本から解決することができる。第一に、ジェンダー意識と男女平等に関する基本的国策の宣伝教育・提唱活動を全面的に展開すること、第二に、「夫方居住」主導の婚姻モデルを変え、「妻方居住」など多様な婚姻居住形態を提唱すること、第三に、中国の農村における、しばしば息子だけが財産を相続できる「跡取り息子文化」を変え、家族の財産相続の男女平等の権利を提唱すること、第四に、男性中心の農村の古いきまり・しきたりを捨て去って、文化の上から「男権」中心の伝統的ジェンダー関係を変革することが必要である。

 第三章以降は、以下のように、「各論」として、「主題報告」で取り上げた各問題について論じられています。
 第三章「流動女性の土地認識の分析」
 第四章「農村から都市に出て仕事をしている女性と土地」
 第五章「婚姻変動と流動女性の土地権益」
 第六章「農村土地政策の変遷と流動女性の土地権益」
 第七章「流動女性の土地権益の法律的保護」
 第八章「ジェンダーの視角の下の流動女性の土地権益」

 さらに、「付録」として、インタビューなどにもとづくケーススタディが収録されています。

 本書は、中国の複数の有力な新聞でも取り上げられており(2)、注目を集めています。

 昨年3月からおこなわれた、全国人民代表大会常務委員会による婦女権益保障法の法律執行検査でも、「嫁に行った女性」の土地権の問題は、三つの重点領域のうちの一つでした。また、昨年7月には、全国婦連権益部が「土地を失った女性の土地権益および生活状況の報告(失地妇女土地权益及生活状况报告)」を発表しました(『2009~2010年:中国女性生活状況報告(No.4)』[社会科学文献出版社 2010年(ネット書店「書虫」のデータベースの中のこの本のデータ)]に収録)(3)

 中国の農村で、結婚や離婚の際、女性の土地権が保障されにくいことは、1950年代に土地改革がおこなわれた頃から問題でした(4)。この問題に関しては、改革開放後しだいに関心が高まってきましたが(5)、こうした本格的な調査報告が出されるようになったことは、うれしいことです。

 『中国流動女性土地権益状況調査』は「広東南海モデル」に触れていますが、これについては、本ブログでも取り上げたことがあります(仏山市南海区政府が農村の『出嫁女』の土地権益問題を解決)。その他にも、ここ2~3年、ごく一部の地方ではありますが、地方の立法・行政・司法レベルで、また民間団体によって現実を変革する試みも目立つようになりました(6)

 今年3月には、全国婦連が、農村の女性の土地権の問題に関して、だいたい以下のような呼びかけをしました。
 1.農業部・国土資源部は、女性の土地権益をテーマにした調査研究をおこない、農村の家族内の土地・財産関係を規範化する。土地請負経営権証書・宅地使用証書・家屋所有権証書には、夫婦双方の姓名を登記するなど。
 2.中央組織部・民政部・農業部は、基層の党支部や村民委員会に、村規民約の中の性差別的条項を改めさせる。
 3.国家人口と計画出産委員会は、男女平等の村規民約への改訂・執行を、計画出産の宣伝内容に組み入れる。
 4.農業部門と最高人民法院は、行政と司法の救済制度を整備する。農業行政部門は、土地請負仲裁機構を整備し、仲裁の形式で農村女性と村民委員会の土地権益の紛争を解決するようにさせる。最高人民法院は、こうした案件について指導意見を出し、案件受理の問題を解決する。
 5.財政部門・国土資源部は、弱者層の保護基金を設立し、土地徴用の過程における弱者層を救済する。
 6.司法部門は法律的知識を普及させて、広範な農村の人々に男女平等の基本的国策を理解・認識させる(7)

 この呼びかけには、全国婦連の調査はもちろんですが、『中国流動女性土地権益状況調査』の成果も生かされているようです。さまざまな調査研究・提言と各種実践との関係については、まだあまり調べていませんが、それぞれがあいまって農村の女性の土地権益を保障する流れ――まだごく小さな流れですが――を形成しつつあるように見えます。

(1)この規定は、メディアで報道されたこともあり、現在ではすでに廃止されています(「流动妇女失地主因是婚姻变迁」『南方都市報』2011年1月19日)。
(2)(1)のほか、「中国女性农民工失地八成源自结婚或离婚」全国婦聯新聞-人民網2011年1月24日(来源は『工人日報』)、「解决流动妇女土地权问题应和城市化一并考虑——専家学者谈农村流动妇女土地权益保障」『中国婦女報』2011年1月21日。
(3)この報告についての新聞などの報道は、「全国妇联《失地妇女土地权益及生活状况报告》显示:农村妇女土地权益保障水平低于男性」『中国婦女報』2010年8月27日、「失地妇女土地权益及生活状况报告出炉」新浪女性2010年8月25日など。
(4)Kay Ann Johnson,Women,the Family and Peasant Revolution in China, The University of Chicago Press, 1983, Chapter6など(この本については、私の書評が『中国女性史研究』第2号[1990]にあります)。
(5)日本語でも、何燕侠「中国農村女性の土地請負経営権をめぐる諸問題」『中国女性史研究』第10号(のち何燕侠『現代中国の法とジェンダー──女性の特別保護を問う』尚学社、2005年、第5章「農村女性の土地請負経営権とその実態」として収録)があります。
(6)昨年の動きに関しては、「捍卫妇女土地权益亮点频现」『中国婦女報』2011年1月5日。
(7)全国妇联呼吁: 切实维护农村妇女土地相关权益」人民網-全国婦聯新聞2011年3月15日。

仏山市南海区政府が農村の「出嫁女」の土地権益問題を解決

 以前、このブログで、農村において、村に住み続けているけれども、他の村の人と結婚したために諸権利を奪われている「出嫁女(嫁に行った娘)」が裁判によって自らの権利を回復した事例を取り上げたことがあります(農村女性の土地請負経営権をめぐる裁判)。

 今回は、行政が「出嫁女」の問題に取り組んだ事例です。

 7月30日の『中国婦女報』は、広東省仏山市の南海区の政府が「出嫁女」の権益の問題を解決したことを大きく取り上げました(1)。その記事には、おおむね以下のようなことが書かれていました([ ]で囲んだ見出しは私が付けたものです)。

[広東省における「出嫁女」の問題]

 広東で言う「出嫁女」とは、よその土地の人と結婚とした農村戸籍の女性のうち、さまざまな原因で戸籍を実家に置いたままにしている人を指す。その子の戸籍も母親に従うので、出嫁女の権益の問題は、子どもの権益の問題も含んでいる。

 1980年代初めは、出嫁女の権益の問題は、他の村民と平等な土地請負権が与えられないという問題だったが、矛盾はまだあまり目立っていなかった。しかし、1990年代半ば、広東省の珠江デルタ地区で都市化が進行し、農村の株式制改革(村民が土地の使用権を「土地株式合作社」に譲り渡し、譲渡した土地に応じて合作社の株式を保有し、配当を受ける改革)がおこなわれると、土地請負権の問題は、株の利益分配、福利・宅地の分配などの問題に変わった。都市化に伴って土地の用途が変わったために土地の価値が大きく上がったので、矛盾は鋭くなった。

 広東省の出嫁女の権益問題の主な特徴は、主に出嫁女が村民としての待遇を受けられないことにあり、その具体的な現れは、出嫁女とその子どもには株を与えず利益の分配をしない、土地収用の補償金や住宅、そのほか村民としての福利待遇を与えないという形で現れている。

 この問題を解決するため、10年余りにわたって多くの出嫁女が駆け回り、長期の上訪(上級機関への直訴(2))、集団での上訪、等級を飛び越しての上訪をしばしばおこなった。宏崗村の党支部書記は「絶え間ない上訪は、村の社会の安定に対して影響と制約をもたらした」と述べ、南海区党委員会の書記は「このこと[出嫁女の問題]がもし解決したら、南海の上訪問題の半分以上、3分の2さえ解決するだろう!」と述べたほどだ。

 婦女権益保障法(原文日本語訳[PDF])は、「女性は、農村の土地請負経営権、集団経済組織の収益分配、土地収用または収容補償費の使用、宅地使用などの面で男子と平等な権利を持つ」と規定している(32条)。しかし、その一方、村民委員会組織法は村民自治を強調しているので、村によっては、「村規民約(村のきまり)」によって、「出嫁女は、村民としての資格がない」と決めて、出嫁女のさまざまな権利を奪っている。

[行政が主体になって系統的・組織的に]

 2008年3月、南海区は「南海区の出嫁女およびその子どもの権益の問題を解決する工作の指導グループ事務局[略称:出嫁女事務局](南海区解決出嫁女及其子女権益問題工作領導小組弁公室[略称:出嫁女弁])」を設置し、まず試験的に2つの村で工作をおこなった。

 次に、南海区の党委員会と区の政府は、この問題に関する全面的・系統的で、周到な文書である「農村の2つの権利の確認[集団的資産の財産権の確認、集団的経済組織のメンバーの身分の確認]をし、農村の『出嫁女』とその子どもの合法的権益を実現することに関する意見(関于推進農村両確権,落実農村“出嫁女”及其子女合法権益的意見)」(3)を発表した。

 しかし、こうした文書だけでは不十分だった。農村には、嫁に行った娘を「よそ者」扱いする旧い意識が強かったからである。

 それゆえ、南海区政府は、村の幹部に法制教育をして、出嫁女の権益を保護する法律の規定を理解させることや、農村の末端幹部と語り合って意思を疎通させ、政策に対する支持を勝ち取ることを重視した。

 そのために、2008年6月には、区の人民代表大会・宣伝部・農村工作部・婦女連合会・裁判所・司法局など十数の部門から30人あまりを引き抜いて「出嫁女事務局」に配置した。その30人あまりは、4つの工作組に分かれて、各鎮(街)に駐在して工作の指導をした。各鎮(街)にも出先の工作グループを置いた。婦女連合会の副主席は毎日各地を駆け回り、基層に入り浸って活動した。

 そうしたかいあって、2008年末には、全区の90%の1万7000名の出嫁女とその子どもが株主になり、利益の分配を受けるようになった。

[裁判所による強制執行も]

 しかし、それでも依然、抵抗があった。とくに村民委員会、村民小組(4)という2つのレベルの幹部を説得するのが困難であり、彼らを説得するために大きな精力を費やした。

 また、「行政の導きを主にし、司法の強制を補助にする」というのが、南海区が出嫁女の権益の問題を解決する原則だった。鎮の政府が行政処理の決定をおこなっても、村民小組が従わない場合、鎮の政府は裁判所に強制執行の申請をして、強制執行がおこなわれた(5)

 こうして、7月10日までに、95.2%の出嫁女とその子どもが株主の権利を持つことができた。

 南海区の各鎮(街)の政府は、既にすべて行政処理決定書を下達しており、残った問題も年内に解決するつもりだ。

[村の経済発展に結びついた]

 ある鎮委員会の書記は「以前は、鎮では毎年一部の出嫁女が関係部門にやってきて得られるべき権益を勝ち取ろうとし、村組の幹部もいつも時間と精力を出嫁女の上訪事件を処理するのに使った」けれども、出嫁女の権益問題が解決した後は、「村の中の雰囲気が調和的になり、村組の幹部も時間と精力を経済発展と社会活動に集中できるようになった」と述べている。

 また、多くの出嫁女は、権益が実現した後、郷里の建設を支えるために喜んで寄付をするようになった。

南海区の経験の意義

 以上が『中国婦女報』の報道の大要ですが、南海区のこの経験の意義として、以下のようなことが指摘されています。

党委員会や政府が主体になって出嫁女の権益を保護した

 李慧英さん(中央党学校の社会学の教授)は次のように述べています。出嫁女の権益問題を解決するこれまでの方法は、「大多数の地区は主に司法救済の方法」(個人が上訪し、婦連が参与し、司法が救済する)だった。しかし、この方法は、問題が生じた後の事後救済であった。また、訴訟には金や時間がかかり、出嫁女個人が多数の村民や村民委員会と対決しければならないので、尻込みして諦める出嫁女が多かったし、闘っても成果が得られない場合が多かった。

 それに対して、南海区では「行政の法律執行が主導的作用を果たし、司法が補助をしている。」「南海区の経験は、党委員会と政府が出嫁女の権益を保護する主体であることを示した」。「がっちりと動揺せずに政府の責任を履行してこそ、法律と民俗の間の背離と衝突を解決することができ、法律の形式的平等を実際の平等に転化することができるのだ。」(6)

「家父長制[父権制]に対する初めての本当の闘い」

 劉澄さん(江蘇省揚州市委員会党学校教授)は、その村の戸籍があれば当然村民の資格があるべきなのに、嫁に行った娘は、その村の戸籍があっても村民の資格を失うのは、父系による継承を中核にした家族制度である「家父長制[父権制](7)」のためであると指摘します。

 だから、劉澄さんは、今回、南海区政府がおこなったのは「『家父長制』に対する初めての本物の反撃」であり、「この初めての反撃が、全国的範囲の家父長制に対する総反撃の開始にもなることを希望する」と述べています(8)

私の感想

 私も、李慧英さんや劉澄さんの評価はその通りだと思います。

 南海区政府の今回の取り組みから、私は、1953年の婚姻法貫徹運動を思い出しました。単に法律を公布しただけでなく、それを推進するための専門機構を設置して、試験的な工作をしたうえで、具体的な指示を出し、行政や司法の側が組織的な努力をして、旧来の家父長制的な慣習の改変を試みた点が共通していると思うからです。

 ただし、1953年の婚姻法貫徹運動では、結婚や離婚の自由は言われましたが、父方居住や父系制のようなことは問題にされませんでした(9)。その後の人口抑制政策の中では父方居住や父系制も若干相対化されたとはいえ、行政がそれらに対してこうした形で組織的に立ち向かったのは、劉澄さんが言うとおり、初めてではないかと思います。

 ただ、今回「政府が主体になった」背景には、南海区では、出嫁女の上訪が「社会の安定」を揺るがすほどだったことがあると思われます。ですから、ただちに他の地域の政府が同じことをすることはないでしょう。

 都市化を背景に他の地域にも同様の動きが起きる可能性はあると思いますが、珠江デルタ地帯や南海区の特殊性は当然考慮に入れる必要がありましょうし、そもそも『中国婦女報』の記事が描くような、「経済発展」や「社会の安定」のためにおこなわれる改革では限界が出てくるのではないか、という疑問もあります。

 もう一つ気になったのは、『中国婦女報』の記述の中に、「農村の出嫁女の権益を持続的に実現するために、南海は、世帯を単位にして株主の権利を固定化して、『世帯にもとづいた利益分配[按戸分紅]』を実行し、新しいメカニズムによって、2009年末には農村の集団経済組織の株主の権利の紛争を解決することを目標にしている」とあることです。株主の権利を「世帯を単位にして固定化する」などの言葉だけ聞くと、女性が離婚した場合などはどうなるのかな? という疑問がわきました(私は農村の土地問題には詳しくないので、的外れな疑問かもしれませんが)。

(1)出嫁女権益保護如何突破重囲――広東南海模式調査」『中国婦女報』2009年7月30日。「南海“出嫁女”分紅有望全落実 以司法強制執行」(『南方日報』2009年9月2日)などの報道もありますし、南海区人民政府のサイトにもさまざまな記述があります。
(2)「上訪」は、辞書には「陳情」と書かれていたりしますが、むしろ「直訴」と訳したほうが適切なようです。「上訪」については、ネット上にも、「直訴阻止はありえない?-なぜ中国人は「上訪」を選択するのか(1/3)」(2006/05/18)、「むなしい法改正-なぜ中国人は「上訪」を選択するのか(2/3)」(2006/07/24)、「正義は皇帝に!?-なぜ中国人は「上訪」を選択するのか(3/3)」(2006/10/15)(いずれも「君在前哨/中国現場情報」ブログ)、「“闇監獄”とはなにか?=性的暴行事件が浮き彫りにした社会矛盾」(2009-08-12)(「21世紀中国ニュース」ブログ)などの記事がありました。
(3)原文は見つけられませんでしたが、「広東仏山南海:“出嫁女”同籍同権同齢同股同利」(『南方日報』2008年6月25日。新華網より)にかなり詳しい記述があります。
(4)村民委員会は村民の自治組織。村民小組については、村民委員会組織法第10条に「村民委員会は、村民の居住状況に照らして、若干の村民小組を分けて設置することができる。小組長は村民小組会議によって推薦される」とあります。
(5)そのほかに、南海区の政府は、出嫁女の権益の政策を実施した村民小組には財政的なサポートをし、実施しなければ、財政補助を抑えるという方法も使ったことも報じられています(「南海“出嫁女”分紅有望全落実 以司法強制執行」『南方日報』2009年9月2日、「南海年内可全部解決出嫁女権益問題」2009-02-23仏山市南海区人民政府HP)。
(6)李慧英「維護出嫁女権益 政府必須成為責任主体」『中国婦女報』2009年7月30日。
(7)劉澄さんは、中国の家父長制[父権制]について、以下のように説明しています。
「中国の家族は今なお父系継承[伝承]であり、子どもはみな基本的に父姓で、父親の血統と財産を伝えるものである。しかし、息子と娘の継承における働きは異なっており、息子は当然の継承者で、生まれつき相続権を持っており、家庭を存続させる跡継ぎだと見られる。家の跡継ぎを保つためには、妻を娶り息子を生ませなければならず、それによって代々血統を継ぐ。しかし、娘は当然の相続人ではなく、逆に嫁に行って、他家のために子を産んで、他人の跡継ぎにしなければならない。私たちは、この父系の継承を中核にした家族制度を『家父長制[父権制]』と呼んでいる。」「家父長制[父権制]の家族制度……[の下では]女児は、いったん嫁に行ったら『嫁に行った娘と撒いた水は、もとには返らない』ということになる。」「父母の家族のメンバーの身分を失った女性は、村の中でも『よそ者』と見なされる」
(8)劉澄「対“父権制”的一次真正反撃」『中国婦女報』2009年7月30日。
(9)Kay Ann Johnson,Women,the Family and Peasant Revolution in China, The University of Chicago Press, 1983, p.128.(この本については、私の書評が『中国女性史研究』第2号[1990]にあります)

農村女性についてのルポが評判に

 呉治平さんの『中国郷村婦女生活調査』(長江文芸出版社 2008年)というルポルタージュが評判になっています。

 呉治平さんは、以前は中国共産党の湖北省随州市委員会の宣伝部副部長でしたが、2005年に退職した後、農村女性問題の研究を始めました。4年あまりにわたる農村での調査や取材をつうじて、呉治平さんは農村女性の苦難を痛感し、多くの女性の相談も受けてきました。

 昨年の11月から、呉さんは「首個郷村婦女生活調査」というブログで、農村女性調査の報告を始めたところ、わずか3日間で150万あまりの訪問数を記録しました(現在では、訪問数は400万近くにまでなっています)。とくに「打工潮下的“臨時夫妻”(出稼ぎの波の下の「臨時の夫婦」)」という記事は100万以上の人が読みました。この記事は、多くの夫が出稼ぎに行って夫婦が別居するために、夫(または妻)が別の異性と「臨時の夫婦」になってしまう現象を取り上げて、夫婦が同居できる方策を考えたものです。

 他にも、たとえば以下のような文章があります(タイトルは、のちに単行本化したときの題名です)。

 ・「紅櫻桃与女性禁忌(赤いさくらんぼと女性のタブー)」……女性を差別するさまざまな風習について。月経中の女性は不浄だから、新婚夫婦の前に立ったり、子どもを産んだばかりの女性の家に入ったりしてはならないとか、亡くなった人の位牌を持てるのは息子や男の子孫だけで、娘は持てないなど。

 ・「生兒子光栄(男の子を産むのは光栄である)」……「養児防老(子どもを育てて老後に備える)」「伝宗接代(代々血統を継ぐ)」という思想によって、男の子を生むことが絶対視されているため、男の子を生めない女性が差別され、離婚さえされていることなど。

 ・「媽媽,你在哪里?(お母さん、どこにいるの?)」……父や母が出稼ぎに行ったために農村に残された女児の性被害について。家に一人でいるときに誘い出されたり、辺鄙な村では、野外に仕事に出かけたときに被害にあったり。継父からの被害や他の土地に仕事に行った時の被害などさまざまだが、告訴が難しいので、被害が表に出るのはごく一部である。

 ・「私房話(ひそひそ話)」……農村女性と結婚や性について対話した記録。彼女たちは「婚姻内強姦」の語がわからないし、夫に対して自分からは性の要求をほとんど出せない。しかし、たくさんの人が集まっている場所で愛や性について語るなど、彼女たちの性についての観念も変わりつつあることなど。

 ・「血殤(血による若死)()」……貧困による売血からエイズに感染した農婦たちが自らの受けた差別について語ったり、売血によって夫が感染して死亡し、自らも感染しつつも、一家を支えて頑張っている女性が自らの状況を語ったり。また、疾病予防センターの医者は、貧困で教育もないために都市で売春をする農村出身のセックスワーカーの感染を防ぐことは難しいと話す。

 ・「婦聯主任怒斥情人論(婦連の主任が「愛人論」を叱責する)」……「婦連の主任はみんな党の書記の愛人だ」というデマが流布されている問題から、女性の政治参加の困難さが浮き彫りになる。

 ・「男婦聯主任的尶尬事(男の婦連の主任のばつの悪さ)」……政治は男の領分だとされているために、計画出産の工作をする婦連の主任まで男性がつとめている村が少なくない情況について。

 こんなふうに簡単に紹介してただけではあまり伝わりませんが、すべて、生々しい実態が語られています。全体として、農村女性の困難な状況を述べたものが多いですが、一つ一つの話に読みごたえがあります。

 呉さんは、昨年12月には、最初に述べたように、調査結果を『中国郷村婦女生活調査』という1冊の本にまとめて出版しました(ネット書店「書虫」データベースのこの本のデータ)。以下のような構成のもと、計48編の報告が収められています(そのうちブログに出ているのは1/3ほどです)。

 第1章 市場は涙を信じない(市場経済下の女性労働について書かれた章です)
 第2章 田舎の習俗
 第3章 「準ホワイトカラー」の気分(都市文明の流入が農村女性に与えた影響についての章です)
 第4章 結婚と恋愛の倫理
 第5章 母の愛はかぎりがない(母と子の関係についての章です)
 第6章 ゆるゆるとした参政の道
 終章にあらず すべては変わりつつある
 付録1 農村女性問題アンケート
 付録2 国連「ジェンダー意識を村の政治の主流に入れる」基本調査アンケート

 「終章にあらず」では、ある村でのUNIFEM(United Nations Development Fund for Women) の「ジェンダー意識を村の政治の主流に入れる」プロジェクトの試みが報告されています。

 この本の裏表紙には、全国婦連女性研究所の劉伯紅さんの以下のような推薦の言葉も掲載されています。
 「ある意味で、中国の農村がわからなければ、中国はわからない。本書は、湖北の随州の農村女性の生活のパノラマ的な真実の記録を通して、中国社会の急激な転換の中における農村女性の困惑と奮闘を明らかにし、農村女性の発展と農村改革の深化に対して建設的意見を提出した、率直で誠意のある、深く問題を探究した、非常に見識のある作品である」

[参考]
只要有人的地方,我就要為女性説話──訪《中国郷村婦女生活調査》作者呉治平」『中国婦女報』2008年12月13日。

京都で『女工哀歌(エレジー)』上映会

 12月7日(日)、京都で『女工哀歌(エレジー)』の上映会がおこなわれます。中国の出稼ぎ女性労働者たちを描いた作品です。多国籍企業の責任なども問う映画です。私も協力させていただきます。プレ企画として、『捨てられた人形~グローバリゼーションとアジアの女性労働者』の上映会もあります。

 以下のような形でおこなわれますので、よろしければおいでください(以下は、ブログゆるゆる☆☆☆かふぇから転載させていただきました)。

///ゆるゆるトークかふぇ☆2008師走///

※可能な限り、バリアフリーな映画会をやってみる「ゆるゆるトークシネマ」ご案内

『女工哀歌(エレジー)』(原題:「CHINA BLUE」2005/88分)上映会

配給元「新日本映画社エスパースサロウ」のサイト
http://www.espace-sarou.co.jp/jokou/
~ ~ バリアフリー環境でロードショーを観よう! ~ ~

★副音声をつけます

★日本語字幕つきです

【と き】2008年12月7日(日)18時15分~21時15分(参加受付:17時15分より三階エレベーター前。お時間の許す方は17時50分からの会場づくりにお力を貸して下さいね)

【ところ】ひと・まち交流館京都 三階第4・第5会議室
http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html, 携帯はこちら⇒http://shimin.hitomachi-kyoto.jp/i/

【参加費】1,000円  

※只今上映協力券取り扱い中です。

※郵便振替でもお申し込み頂けます。文末の要領で連絡ください。チケットの受け取り方法も明記くださいね。
例)郵送、当日受付など。

※定員にゆとりがあれば当日参加も可能ですが、準備の都合もありますので、なるべくなら事前申し込みかチケット購入をお願いできたら嬉しいです!

●TIME TABLE●

・18時15分~開場 
 配給会社メッセージ

・18時30分~20時 
 「女工哀歌」上映

・20時10分~21時 
 レクチャー&会場トーク:「中国の出稼ぎ女性労働者-その状況,政策,運動」講師・遠山日出也(現代中国女性史研究者)

・21時~21時10分 主催者挨拶(ゆるゆるトークかふぇ事務局)

総合司会:
 森理恵(服飾文化研究者)

◎上映協力券または郵便振替の控えをおもちの方で、事前に参加申し込み頂いた方(先着24名様)は、同じ日の午後に行う以下のプレ企画にご参加いただけます)

●プレ企画~中国以外のアジアの労働者のことも知ろう!●

■2008年12月7日(日)

【ところ】ひとまち交流館3階、京都市福祉ボランティアセンター内、ミーティング室1・2

・14時~15時
 『捨てられた人形~グローバリゼーションとアジアの女性労働者』ビデオ上映
 原題:「DOLLS&DUST」(VHS、カラー60分)制作:CAW&WAYANG 日本語版制作:アジア女子労働者交流センター
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 経済のグローバル化がもたらす自由化、民営化、規制緩和の流れの中で、困難に立ち向かうスリランカ、タイ、韓国の女性たちの姿を伝えるドキュメンタリー。

・15時10分~16時30分 レクチャーと会場トーク:森理恵

【参加手続き・入場方法】
事前申し込み。当日は郵便振替の控えまたは「女工哀歌」企画の上映協力券を提示

プレ企画については会場キャパの関係で聴覚・視覚のバリアフリー対応は難しそうですが、可能な限り考えてみます。一度ご相談ください。
 
●ここに、ゆるゆるトークかふぇの新機軸●

 2006年以来、アジアや日本の女性労働の中にグローバリゼーション経済のもたらす影響について問題提起してきた「ゆるゆるトークかふぇ」。このほど「ゆるゆるトークシネマ」という新しいシリーズが加わることになりました!
これは、《映像という方法》をメインに使いながら、レクチャーとトークで様々な問題を考え、解決の道筋を開こうというものです。

●まずは、お隣・中国の女性労働の現場から●

 その第一回として、12月7日(日曜)に『女工哀歌(エレジー)』 の自主上映会を行います。この映画は貧しい農村から出稼ぎにきている若い女性縫製労働者たちの労働や生活の現場で撮った作品です。

 舞台は、中国の新興工業地帯にある欧米向けジーンズの縫製工場。そこでは工場経営者は欧米の多国籍企業の身勝手な要求をのんで、厳しい条件の仕事を引き受けています。が、だからといって経営者がまるまる板挟みになるわけではなく、その分、若い女性労働者たちを容赦なく搾り取るのです。

 こうして10代を中心とした彼女たちの低賃金・長時間労働に支えられたブルー・ジーンズが、先進国のスーパーマーケットでは梱包を解くとすぐさま「SALE」の値札を付けられて店頭に並べらる。そして、それを縫ったひとに思いをはせることもなく安いというだけで買っていく消費者。

 この映画には直接日本人や日本企業は出てこないけれど、中国にはたくさんの日系工場や下請があり、さらに国内でも外国人研修制度を利用した劣悪な労働現場は存在します。

 これは、たいていMADE IN CHINAの 安い服しか買えない日本のわたしたちにとっても無関係ではない世界なのです。

 この映画で、たいしてわたしたちの懐が痛まず買える服というのは、いったい誰が、どこで、どんな働き方で作っているのだろう?と考えてみたいと思います。そこから始まるなにかが、きっとある筈。

●もうひとつの柱は「バリアフリー」とはなにか?を考えること●

 さらに、今回の自主上映会は、「誰もが快適な環境で映像に親しむ」ということを、「もうひとつの重要なテーマ」にしています。それは、この映画だけではなく、車椅子者である主催者が、バリアフリーの視点で現実の映画館を考えたとき、いかに当事者の現実やニーズとかけ離れているかを感じているからです。

 そこでこの上映会のシリーズでは、車椅子者だけでなく、映画上映そのものがバリアフリーになっていない為に、たとえ映画館のスクリーンの前には行けてもアクセスすることさえ阻まれてしまうひとたちと一緒に、それぞれのさまざまなスタイルで映画を味わうことをテーマにしていきたいと思います。

 だから、ちょっとした映画上映の実験室になるかも?

主催:ゆるゆるトークかふぇ事務局
blog:http://yuru2cafe.jugem.jp
mailto:yuru2cafe@yahoo.co.jp

●郵便振替口座
上記メールでお問い合わせください。

中国の児童労働(2)──「中国労工通訊」の調査報告

 香港の「中国労工通訊」が2006年9月に発表した「中国の児童労働者現象に関する実地視察報告」(1)は、中国の児童労働に関する詳細な調査です。この調査は、とくに教育制度の問題に焦点を当てています。以下、その内容の一部を紹介します。


 「中国労工通訊」は、2005年の5-8月、河北省石家荘市・保定市(の管轄区域の順平県・淶水県・易県・高碑店市)・邢台市(の隆堯県)、河南省駐馬店市(の逐平県)、広西壮族自治区北海市(の合浦県)で児童労働の問題を調査した。

中国の児童労働者の基本的状況(この箇所は、一般に言われていることの紹介です)

 ・児童労働者は、経済的に立ち遅れた中西部の出身で、経済的に発展した東南の沿海地区に移動して働く。したがって、児童労働者は、広東・浙江・福建などに多い。

 ・女性の比率が高い。1996年の『中国婦女報』の広東・山東・遼寧・湖北の一部の県での調査によると、女性が73.5%を占めている。今回の我々の調査でも、女性の児童労働者の方が男性よりも多かった。しかし、我々の調査では、男性と女性の中途退学率には大差はなかった。女性の児童労働者が多いのは、児童労働市場の女性に対するニーズが、男性よりも大きいからだというのが一つの解釈として可能である。この点は、下記の児童労働者の職業分布から証明される。

 ・児童労働者の職業分布は、比較的階層が低いサービス業と労働集約型産業に集中している(紡織業、被服加工業、製靴業、バッグ製造業、玩具製造業、飲食業など)。雇い主は、零細工場主や小型の私営企業主が多い。

政府の対策

 国務院は1991年に「児童労働者使用禁止規定」を公布し、2002年には新しい「児童労働者使用禁止規定」を公布して、16歳未満の未成年者を雇うことを罰則付きで禁止した。ただし、教育的実践労働や職業技能訓練のための労働は許されるとしており、それらに関する明確な規定がないこと(2)や「児童労働者」の定義に曖昧さがあることは問題である。

 政府の労働行政部門は、児童労働問題に対する監察をして、工場に対する取り締まりをおこなっている。それは、ある程度児童労働者を抑制したが、労働行政部門の監察は、長期的に見ると、児童労働者を雇っている工場を閉鎖的にさせて、監察に対する障害を作り出した。また、労働監察部門は人員や財政の制約のために、人手不足なので、雇い主の厳重な警備と閉鎖的管理の前に、「民が通報しなければ、官は追及しない」というやり方になっている。

 また、取り締まりによって児童労働者を解放して、帰郷させても、故郷には仕事がない。そのため、児童労働者は、賃金や労働条件が労働法に違反していても、当局に通報せずにがまんする。また、帰郷後、仕事がないために犯罪に走る者もいる。

労働力市場の児童労働者に対するニーズ

 児童労働者に対するニーズは、「価格が安い」ことによる。農民労働者の月収は500~800元だが、児童労働者は400~600元である。労働時間も自由に延長できるし、違法なので、社会保険の費用も不要である。子どもであるから、管理や支配も容易である。

 子どもたちは、反復性が高く時間はかかるが、労働強度は高くない職種にたずさわっている(たとえば、服に飾りの玉を付ける、電子部品を取り付けるなど)。

 最近、中国の東南の沿海都市では、労働者の賃金が低すぎるために労働力不足が起きており、賃上げのための労働者たちの集団的抗争もますます激しくなっている。そのため、工場主は、賃金や労働条件に対する要求を出せない児童労働者を「代替労働力」にしている。

 児童労働者の労働条件は、成人の労働者よりも悪い。児童労働者には基本的な法律的知識や権利意識がなく、「法定労働時間」や「最低賃金」という観念もないため、雇い主の言いなりになる。河北省で調査したところ、児童労働者の賃金は300―400元であり、同省の当時の最低賃金である520元よりも低い。労働時間も、法定労働時間よりも長く、長い場合は14時間も働かされているのに、時間外の割増賃金もない。

 雇い主は、児童労働者を「食事・住まい付き」で雇う。少数の貧困地区から来た子どもは現在の生活条件に比較的満足しているが、大部分はそうではない。多人数が一部屋に押し込められて、長時間働かされている。暴力をふるわれることもある。父母から引き離されたことによって、心理的にも傷ついている。

児童労働者の供給

 児童労働をなくすには、そのニーズの面からだけでなく、その供給の面からも、原因を探らなければならない。

 中国では、9年間の義務教育(小学6年、初級中学3年)があるが、児童労働者の多くは、初級中学の2年か3年に進級する時に中途退学している。その時の年齢は14歳か15歳で、13歳の場合さえある。生徒の中退は、ふつう家長が、(子どもの成績が悪い場合に)子どもが学業を継続するコストと、中退して出稼ぎに行く収益とを比較して決めている。子どもが学校を中退して児童労働者になりうる状態になるのは、13─15歳、学年で言えば初級中学の2年生に集中している。

 中国の教育部の発表によると、初級中学の中退率は、2.49%である。しかし、その数字はかなりの「水増し」があり、実際の中退率は、それよりはるかに高い(3)

 児童労働の潜在的な原因は、農村の貧困にある。しかし、経済的に比較的豊かな農村の家庭でも中退は少なくなく、貧困が唯一の原因であるとは言えない。

教育制度の欠陥が、児童労働者の供給を作り出す根本原因である

 最近20年あまり、中国経済は急速に成長している。しかし、国家の財政の教育経費は、GNPの2.79%にすぎない。これは、1978年と比べても0.55%しか増えていない。中国では基礎教育の経費は、主に県や鎮の政府が担うことになっているが、貧困な県では、教師の賃金を支払うのが精一杯である。学校の運営に必要な日常の支出は、学生から徴収する「雑費」でまかなうしかない。「雑費」は、学校が買い入れた設備の償還、校舎の建設の借金の返済などにも使われる。

 「義務教育法」では、義務教育では「学費」を免除すると規定している。しかし、「義務教育法実施細則」では、「雑費」は徴収することができると規定している。「学費」と「雑費」に関しては明確な規定がなく、民間ではずっと両者を合わせて「学雑費」と呼んでいる。こうして、無償であるはずの義務教育は、実質的には「有料」になっており、我々が調査したところでは、教育部門や中学校の責任者は、「雑費」が学校の主な収入源だと述べている。父母が支払わなければならない経費は、農民の家庭にとって大きな負担である。河北省邢台市隆堯県では、初級中学の3年間で家庭が4000~5000元も支払わなければならない。

 また、中国では、初級中学の教育目標が高級中学や大学への進学に置かれており、教学の内容や課程の設置において、義務教育の基本的な要求が軽視されていて、進学を目指さない学生と保護者の意向が無視されている。たとえば、教学において、専門技術教育と農村職業技術教育の比重が低すぎる。課程も、都市と農村との区別や相互の接続が十分考慮されていない。そうしたことも、中退する学生を増加させている。また、一部の学校では、進学率の目標を達成するために、成績が悪くて高級中学の入試に合格するのが難しい生徒を中退するよう仕向けている。

 中国では義務教育が無償ではないので、教育への投資が回収できるか否かが重要である。高級中学や大学に進学させるには莫大な費用がかかるが、近年では、子どもを大学にやっても、大学生は就職難なので、教育への投資を回収するのは難しい。


 以上、この「中国労工通訊」による調査報告は、とくに、中国政府が経済成長を優先して、教育の予算を軽視していることを批判しているといえるでしょう。こうした問題自体は、大きく言えば、市場経済至上主義のもたらしたものであり、アジアや世界の他の国々も無縁ではないように思います(もちろん、都市の農村との間に制度的な格差があることなどは、かなり中国独自の問題だと思いますが)。

 この報告が、近年の農村からの労働者の不足が、児童労働の増加をもたらしたことを指摘している点も興味深く思いました。先日のエントリー「中国の児童労働(1)」で取り上げた、凉山彝族自治州から東莞市への子どもの誘拐・かどわかしに関しても、4、5年前から増加したことが報道されています(4)

 児童労働とジェンダーの関係も、さらに解明すべき点でしょう(たとえば、児童労働者の場合は、男女の賃金の格差はどうなっているのか、など)。

 もちろん中国の児童労働問題で論ずべき点はまだまだあります。たとえば多国籍企業や先進国との関連などです。最近評判の映画、《女工哀歌(エレジー)》(CHINA BLUE)の中にも、16歳未満の女性労働者が登場しており、この映画は、そうした問題に焦点を当てているようです。そうした問題は、後日、また論じたいと思います(続く)。

(1)中国労工通訊「関于中国童工現象的実地考察報告」(PDFファイル)(2006年9月)
(2)たとえば、2007年6月には、東莞市の工場で、四川省の中学生数百名が、「実習」の名の下に、1日14時間の労働を、月収わずか500元でさせられていたことが明るみに出ています(「四川中学生東莞做童工」『北京晩報』2007年6月19日「労働権をめぐる中国の現状に関するニュース」2008/03/20(国際労働運動香港連絡事務所))。教育部も、そうしたことがないように通知を出したほどです(「教育部強調加強中職学生実習管理 堅決途絶以実習之名使用童工」『法制日報』2007年10月26日)。
(3)「中国労工通訊」の調査報告は、この箇所では、「教育警鐘敲響:農村初二学生輟学率超過40%」(『中国青年報』2004年6月14日)と「河北某初中輟学率近90%,新“読書無用論”抬頭」(新華網河北頻道2005年11月9日)の2つの記事と、取材した中学校の教師や責任者の発言が引用してあります。
(4)「走出大山 大批被“拐”珠三角」『南方都市報』2008年4月28日

中国の児童労働(1)──凉山彝族自治州から東莞市に連れて来られた児童

 今年4月、『南方都市報』が、広東省東莞市の大規模な児童労働の実態を報道しました。東莞市の児童労働者は、13─15歳で、四川省南部の凉山彝(イ)族自治州から連れて来られ、1日に12~15時間働かされていました。残業の際の割増賃金も、社会保険・医療保障などの基本的福利もありませんでした。彼らは「賃金は故郷の家に送る」と言われて、仕事がない日は、1日に10元の生活費(家賃を引けば5元)しか与えられませんでした。

 彼らは粗末な借家におおぜいで住まわされていました。子どもたちが故郷に逃げ帰ろうとしても、交通費は与えられていません。工頭からも、「逃げようとすれば殺す」と脅かされていました。きれいな女の子は日常的に強姦もされていました(1)

 「賃金は故郷の家に送る」と言われていましたが、毎月の子どもたちの賃金は、せいぜい1/3しか家には送られていませんでした。何重にも搾取が行われていたからです。児童労働者→小工頭(小ボス。凉山で貧困な家庭から「高給」をエサに児童を捜し集める)→大工頭(大ボス。企業を紹介する、証明書を偽造する、児童労働者の秩序を維持するなど)→ヤミの仲介者(黒仲介。組織全体と工場の間を仲介する)→工場という形で四重に搾取されていました(2)

 東莞市のある場所には、毎朝、百名近い子どもが街頭に並んで、選ばれるのを待っていて、そこに、職業仲介人や経営者がやって来て、トラックやワゴン車でその子たちを連れて行くそうです。賃金が安く、何の福利の保障も必要ないので、工場主に歓迎されるとのことです。子どもたちは、玩具やアパレル、電子の工場に連れて行かれます。

 ある新聞記者が、工場の経営者を装って、大工頭に接近すると、彼は、工場で労働者が実際に働いているところを見せてくれました。ある音響機器の会社では、彼が手配した女の子100人あまりと、男の子90人あまりが働いていたそうですが、記者はそのうちの数十名に会ったところ、20名近くの女の子は16歳未満でした。男の子の中には、9歳未満の子どももいました。

 大工頭は「戸籍を偽造して年齢を18歳以上に偽れば、検査を逃れられる」と言います。また、工場が普通工の名簿と臨時工の名簿とを別々に用意しておいて、労働部門が検査に来たら、普通工の名簿だけを見せたりしていました。また、あらかじめめ労働部門の検査を知っていて、その時になると、子どもたちを外に出すということもおこなわれていました。

 その大工頭によると、東莞は、児童労働の一つの拠点であり、東莞を円の中心として、深圳・広州・恵州などの地にも子どもたちは送られるということです(3)

 故郷の家には、ふつう、最初に500元から1000元が前渡しされていたようです。しかし、子どもを誘拐して来た場合もあり、故郷の家には一銭も送られていない場合もありました。父母が子どもを売ることもありました(4)

 『南方都市報』の報道は全国的に注目され、警察や労働行政も動きました(5)

背景の一つとしての貧困

 この事件の背景の一つには、辺地の農村の極度の貧困があり、この点は多くの人に注目されました。人々が悲哀を感じたのは、次の話です。故郷のお母さんを訪ねた新聞記者が「あなたの子どもは可哀想に、2、3日に一度しか米の飯を食べられない」と言うと、お母さんは「なに、2、3日に一度、米の飯を食べらる」と言って、何秒か前には子どもが失踪して涙を流していたのが、驚きと喜びの表情に変わったということです(6)

 「都市の農村の二元的構造が引き起こした都市と農村の発展のアンバランス」が問題だという指摘もありました(7)

凉山彝族女性児童発展センターの取り組み――女児の職業訓練

 貧困対策だけでなく、子どもたちに法定年齢になるまでに必要な技術を身につけさせて、明朗なルートできちんと就職させることも必要です。たとえば、『南方都市報』の記事の中でも、凉山彝族女性児童発展センターが「特に貧困な家庭の女児の技能訓練と就労配属クラス」を作り、3~5カ月間、無料で訓練をして、彝族の女児を大都市の企業に合法的に就労させていることが紹介されています(8)

 その凉山彝族女性児童発展センターのサイトによると、このセンターが設立した「竹核女子技能訓練センター」では、Mercy Corpsの資金援助を受けて、15─18歳の女児にさまざまな職業訓練をしています。4カ月間の基本的な教養・知識訓練と4カ月間の職業技能訓練があります。基本的な教養・知識訓練では、漢民族の共通語や彝族の文字、基礎的な数学などを学びます。職業技能訓練では、ミシンや家事サービスなどの都市での就職に役立つ訓練や、手工芸や農業技術など、家で事業をするに役立つ訓練をしています。訓練の終了後は、センターが選んだ企業の職を世話をしたり、村で事業をする人には小口の融資をおこなったりします(「女子培訓学校」欄[とくに「女子培訓中心介紹」]、「凉山彝族婦女児童発展中心最新介紹」)。

 なお、凉山彝族女性児童発展センターについては、「ともこ」さんのブログ「週刊中国的生活」に、今年3月、「山の中のNGO活動 1」「山の中のNGO 2 フィールド篇」「ハンセン病患者への活動@四川省」に、このセンターを訪問なさった時のことが書かれています。

 もちろん中国の児童労働に関しては、他にも多くの要因が指摘されています。今後、見ていきたいと思います(続く)

(1)「餓得受不了才能吃頓米飯」『南方都市報』2008年4月28日
(2)「四環利益鏈搾幹童工」『南方都市報』2008年4月28日
(3)「凉山童工像白菜般在東莞売買」『南方都市報』2008年4月28日
(4)「走出大山 大批被“拐”珠三角」『南方都市報』2008年4月28日。王金玲主編『跨地域拐売或拐騙──華東五省流入地個案研究』(社会科学文献出版社 2007年)(人身売買の流入地でのケーススタディ)も、トラフィッキングの目的の一つして「安価な労働力」という類型を掲げている(p.34-37など)。
(5)「“童工”引発全国関注」『南方都市報』2008年4月30日
(6)「東方早報:両三天能吃到一頓米飯是“幸福生活”?」人民網2008年5月4日、「童工現象的深層原因在経済」『中国信息報』2008年5月8日。
(7)「消除貧窮才不会遭遇童工之痛」『中国婦女報』2008年4月29日
(8)(1)に同じ。

環境衛生労働者の苦難

 中国の「環境衛生労働者(環衛工)」は、暑い日も寒い日も、夜が明けないうちに道路の清掃をしています。雪が降れば、睡眠時間を削って、道路の雪かきをします。環境衛生労働者は「都市の美容師」とも称されますが、その仕事は、「都市の中の最も汚く、最も苦しく、最もきつい職業」だとも言われています(1)

 彼女たちは、毎日、朝の3、4時から働き始め、晩の8、9時に家に帰るという生活で、1日に10時間以上働き、休日もほとんどありません。臨時労働者や契約労働者であることが多く、そうした場合は最低賃金程度の収入しかなく、社会保障もありません(2)。労働契約も、きちんとなされていないことが少なくないようです(3)

 環境衛生労働者は、40歳から50歳の女性が多く、彼女たちの多くは、リストラされた人や農村からの出稼ぎに来た人です(4)。長沙市には、環境衛生の一線の労働者が6370人いるそうですが、そのうち農民労働者が5691人で、全体の89.3%を占めています(5)

 彼女たちの健康状態は、よくありません。西安市の蓮湖区で、環境衛生の女性労働者の健康診断をしたところ、その9割が病気にかかっていました(婦人病、貧血、胆嚢結石、腎臓結石、胆嚢炎など)。ある専門家によると、彼女たちの仕事は、時間の制限がきつく、労働強度が大きく、仕事の環境も悪くて、大多数の人は朝食を食べるどころではなくて、飲食が不規則であり、暑さ寒さの変化も激しいので、肝臓・腎臓・肺・胃・婦人科の病気にかかりやすいということです。また、通風や、腰の筋肉を疲労で損なうなどの、骨格や筋肉を損傷する疾病にもなりやすいそうです。しかし、彼女たちは低収入であるため、なかなか医者に行かないので、しばしば大病になってしまいます(6)

 また、交通事故にあう人も多いです。たとえば長沙市では、2005年1月から2006年7月までの間に、環境衛生部門で交通事故が165件発生し、182人が負傷して、5人が死亡しました(7)。交通事故のあうのは深夜や早朝ですが、こうした時間帯こそ、彼女たちが道路の掃除をする主な時間帯なのです。彼女たちは、傷害保険に入っていないので、いったん事故に遭うと、経済的な負担も重くなります(8)

 そのため、「朝晩の出退勤のときや車の流れがピークに達したときは、環境衛生労働者に大通りの清掃をさせないようにすべきだ」とか、「運転手に対する教育を強めるべきだ」という声が上がっています。もちろん、「傷害保険に入れるように関係部門が援助すべきだ」という声や、「政府がお金をかけて、大通りの清掃をもっと機械化すべきだ」という声もあります(9)

 このように大変な仕事をしている環境衛生労働者ですが、彼女たちはけっして人々に尊重されているとはいえず、彼女たちが殴られる事件もしばしば起きています(10)

 そうした状況ですから、今年の春の地方の人民代表大会や政治協商会議でも、環境衛生労働者の権益が話題になりました。河南省の人民代表大会では、11名の代表が、環境衛生労働者が保険に加入できるように政府が措置を取ることを提案しました。武漢市の政治協商会議では、ある委員が、政府が環境衛生労働者の仕事や福利、手当などに関して指導的な意見を出すことや、財政支出をおこなって彼女たちの賃金を引き上げることを提案をしました(11)

(1)「城市美容師需要的不僅是尊重」『中国婦女報』2008年2月18日。
(2)「城市環衛工負担重流失多」『新華日報』2006年6月7日「頻頻被打皆因瑣事 環衛工人的権益誰来保護?(3)」(新華網2007年5月21日)
(3)「労動合同缺失令環衛女工失業」『中国婦女報』2005年5月21日。
(4) (1)に同じ。
(5)「請給農民環衛工更多関懐」『湖南日報』2006年10月24日。
(6)「“城市美容師”健康堪憂 西安蓮湖区環衛女工九成患病」『中国婦女報』2006年4月12日。「呼市近七成環衛工人患多種疾病」(『中国婦女報』2005年6月29日)という記事もあります。
(7) (5)に同じ。「城市美容師何日享有安全-瀋陽環衛女工惨死車輪下引起全社会関注」『中国婦女報』2002年8月21日。
(8)「誰来保障環衛工人的安全?」『中国婦女報』2006年8月19日。
(9)同上。
(10)「頻頻被打皆因瑣事 環衛工人的権益誰来保護?」「頻頻被打皆因瑣事 環衛工人的権益誰来保護?(2)」「頻頻被打皆因瑣事 環衛工人的権益誰来保護?(3)」(いずれも新華網2007年5月21日)、「司機叫環衛女工譲路遭拒 両度将其暴打」(広州網2008年03月28日)「武漢一環衛女工制止店主乱掃圾拉 遭当街暴打」(人民網2008年3月5日)など。
(11) (1)に同じ。

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